第5話



『きんきゅうしゃりょうが、とおります。きんきゅうしゃりょうがとおります。みちを、あけてください。みちをあけてーくだ、さーい』


 先ほどの女の子の声ではないことは、聴けば直ぐに分かった。

 幼い子供独特の高い声ではあるが、どちらかといえば静かな落ち着いた声色で、身体を動かしながら喋っているのか、不明瞭な音はさらに、声が大きくなったり小さくなったりと前のテープよりも、もっと聴き取りづらいものだった。


『うー、うー、きんきゅうしゃりょうが、とおります。……まもなく、げんばにとうちゃくします。じこですか? じけんですか?』 


 おそらく床の上で玩具の車を、走らせているのだろう。

 ……しかし、あの音。

 ジーッというテープが回る音の隙間を縫うように、聴こえてくる断続的に続く同じ音。


『とうちゃくしました……たいへんです。あしが……ありません。ゆびが、ちぎれています。……あたまから、ちがでています』


 カタ、カタカタ、カタ、カタ、カタ。

 カタ、カタ、コッ、、カタ、カタ、カ……。


『これは、ひどいですね……たすけますか? たすかりますかねぇ……どうしたら、なおりますか? どうして、こんなことになったんですか?』


 突然、ごっ、という何かを床に打ちつけるような音が聴こえたと思ったら不意に、男の子の声が、大きくなった。

 上体を起こしたのだろうか。


『なるほど……やくそくを、まもれないこのあたまが、だめなんですね。とりかえましょう。だいじょうぶ。この、あたまがわるいから、けがをするんです。とりかえたら、おりこうになりますよ。すぐにしゅじゅつを、はじめます』


 ゴリゴリゴリ、ゴリゴリゴリ。

 床に何かを擦り付けているような鈍い音が続く。

 ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴ……。


『……と……で……ました。おり、こうになれば、もう……の……ね……また……で』


 力が入っているのだろう。擦り付ける音が大きく、男の子の声が、途切れ途切れにしか聴こえない。


 ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ。


『……ゆびは、ざんね……が……は、だめ……ったから……しましたが、あたま……これ、で……って……もう、だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶだいじょ』


 カタ、カタ、カタ、カタ、カタ。

 ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴ……。

 カタカタカタカタカタカタ……。


 唐突に、ぶつッ、とスイッチを切り録音を止める音がした。後は、テープが回るだけの耳の奥を震わせるジーッという奥が、続く。

 ゴリゴリという音と男の子の声が耳に残り、なかなか消えてはくれない。突然打ち切られる録音は、何を意味するのか。

 暫くヘッドホンを耳に当て、そのままにしていたが、テープが回るばかりで、やはりこれ以上は何も録音されてはいないようである。

 ヘッドホンを下ろし、千加良ちからの方へ顔を向けた。

 

「声が違った……男の子、でしたよね? その女の子じゃあなさそうな別の……もしかして、千加良ちからくんがこれまで聴いたカセットテープは……」

「ああ、そうだな。いや……多分、そうだろう。今のところ五本、全部違う声が録音されていたんじゃないかな」


 カセットテープの入った段ボール箱に視線を送り、その量にぞっとする。

 これら全てに、子供の声が……?

 いったい、どのくらいの時間を掛け、何の為に、どうして。


「さて、そこでだ。女の子とは、何だ? さっきからお前、何が視えている?」


 ……しまった。

 予期していなかった千加良ちからの問いかけに、ぶわと毛が逆立ち、汗が噴き出すのが分かった。


「え? 視え……? な、何を……言ってるんです。ちょっと言い間違えただけですよ。一つ前に聴いたカセットテープのとは、違うと言いたかっ……」

「四年も一緒にいるんだ。買い取ったその秘密は、いつになったら打ち明けてくれるのかと愉しみに待っていたんだが……どうやら良い機会のようだから俺の方から訊いてやるよ」

「なッ……」

「この古道具屋『鬼灯ほおずき』は、そもそも曰く有り気な古物を安く買い取って高く売りつけるのが代々の習わしだって言っただろう? であるとすれば、この場合の曰く有り気な古物とは、も当て嵌まるんだよ、史堂しどう。実はあの日、俺はお前を買ったんだとしたら? ……まあ、いずれにせよ売り付ける先は無さそうだから、従業員として俺に有り難いように使われるだけだがな」


 噴き出した汗は、背中をつうと流れる。半袖から突き出ている両腕にびっしりと立つ鳥肌は、今やびりびりと痺れていた。

 ソファは、こんなにも狭かっただろうか。隣に座る千加良ちからが、すがめるようにして僕を見るその眼は、愉快そうに歪む唇は、禍々しくも美しくて身動きすらできない。また、しなやかな獣を思わせるその身体は、先よりひとまわりもふたまわりも大きく感じ、分かっていても逃げ場など何処にも在りはしないと、今更ながら全身で感じていた。


「……何が、言いたいんですか?」

「おやおや。まだ言い逃れしようとは、どうも往生際が悪いらしい。だったら何故、そうやって左眼を庇う? ははぁ……成る程な。やっぱり視えるのは、そっちの眼だけか? いつからだ? 生まれつき? いや、子供の頃からじゃ、なさそうだな。ひょっとすると……両親が死んだあの事故か? その時に怪我でもしたか? さっき覗き込んだ時に分かったんだが、そっちの眼にだけコンタクトレンズ、入ってるよなぁ」


 口にしたら、駄目だと分かっていた。

 視線を動かしても、いけない。

 、いけない。

 たとえ、何があろうとも。

 に、僕の存在がバレてしまうから……。

 しっかりと見ては、いけない。

 左眼だけに映る……。

 ソファに座る僕の膝に置かれている、包帯の巻かれた指の欠けた小さな子供の手を。


「言ったろう? この店にある古道具はのモノが多いって、お前も最初に来たあの日から知っていたじゃないか」


 そうだあの日、『鬼灯ほおずき』に足を踏み入れた僕は――。


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