第3話


「これを見てくれ」


 上りかまちから続く、板の間の部屋に入るや否や嬉々とした様子で千加良ちからが指し示すのは紛い物の暖炉の前、ソファとの間に、それはあった。

 さあ、どうだと言わんばかりに得意げな様子で僕に見せたのは、一度水分を含み汚らしくひしゃげた段ボール箱とそこに入った溢れ返る録音済みと見られるカセットテープとやらである。


「……何なんですか?」

「コレが分からないのか。カセットテープだ。このコンパクトカセットと呼ばれるケースに入っている磁気テープに、一定速度で摺動させることにより信号を記録す……」

「ご心配なく、ソレは分かっています。……いや分かっているのは、その仕組みじゃなくて、カセットテープが何かを録音したり再生出来たりするモノだって事くらいは、僕にだって分かっていますってことですよ」


 千加良ちからの顔の前に片手を上げ、長くなりそうな言葉を途中で遮ぎった後「僕の疑問は、そうじゃなくて」と続ける。


「聞きたいのは、コレをどうやって入手したのか、その経路とコレをどうするのかって事です。嬉々として売り物になりそうもないモノを買い取り、すぐさま僕を呼び付けた訳が聞きたいんですよ。いったい何なんですか、とね」

「いち従業員が、生意気にも雇い主であるこの俺に楯突くとはなぁ」

「ご心配なく。いつクビにして貰っても構わない仕方なく勤めている一個人の、単なる意見ですから」


 最初にこの店に足を踏み入れたあの日、僕が大学に入学したばかりの両親が亡くなって間もない鳴かず飛ばずの小説家で、さらには妹が居ることまで強引に聞き出した千加良ちからは、その場の雰囲気に呑まれ諾々だくだくと従うしかなかった僕を即断で、従業員として採用したのだった。

 千加良ちからは僕に『遺産があるとはいえ、無尽蔵ではないんだ。遊んで暮らすにはいかないだろう。働かなくてはな』と優しげな声色で親身に言ったものだが、今なら分かる芝居がかったその様子は、まるきりの芝居で、雑用をさせる誰かが欲しかっただけなのだったと。

 そうして僕は、まんまと千加良ちからの張る蜘蛛の巣に絡め取られたのだった。



「まあまあ、そんなに言うな。同業者から譲り受けたんだよ。その人から見せてもらった古物台帳に拠れば、先ごろ孤独死した叔父の遺品とやらの、ほぼガラクタんなかにあったモノらしい。なんと、コレを押し付ける代わりに一緒に年代モノのウォークマンも譲ってくれたんだ」

 これは売り物になる。

 そう言って段ボールの天辺から取り出したのは使用感の半端ない所謂いわゆる初代モデル1979年のTPS-L2ウォークマンのそれを、誇らしげに掲げて見せた。


「……結果、押し付けられてるじゃないですか」

「そうか? しかしこの古道具屋『鬼灯ほおづき』は、そもそも曰く有り気な古物を安く買い取って高く売りつけるのが代々の習わしであるとするんだから、無料タダで手に入れただけ良いじゃないか」

「そんなの習わしって言いませんよ。でも嬉々としている理由は、タダで手に入れたからって、違いますよね?」

「それこそ史堂しどうだよ。鼻が利くなぁ。さすが腐っても小説家だな」

「どこ一つ取っても、それ褒めてませんよ」


 僕の言葉に千加良ちからが形の良い唇を歪ませ目を細めて笑うその顔は、あまりに妖艶で背筋がぞくりとする。

 スタンドカラーの白いシャツの袖を片方ずつ捲り上げながら、千加良ちからは「取り敢えずどれでも良いから一つ、聴いてみたらお前も分かる」と言うと、段ボール箱をマントルピースの上、何も置かれていなかったマントルシェルフの上に無造作に担ぎ上げると、まるで御神籤を引くようにカセットテープが雑に積み上げられたその中に腕を奥底までぐいっと突っ込み、ややあってから適当な一本を取り出した。


「これ、だ。これにしよう」

「聴くのは良いですけど、どうやって?」

「何を言うんだ。目の前におあつらえ向きなウォークマンがあるじゃないか」

「これ使うんですか? やだなぁって、言ったらどうします?」

「俺が使って、使えたんだ。お前が使えない筈はない」

「まあ、それもまた真理ではありますが……ってもう使ったんですね」

「動くかどうか、確かめたんだ。そうしたら、どうだこのカセットテープの中には……あーいやいやいや。話す前に聴いた方が早い」


 垢汚れた玩具みたいなヘッドホンを、指で摘むようにして嫌々受け取ると、カセットテープをセットする千加良ちからの長い指を見ながら、さりげなくボリュームの位置を確認した。

 最大音量にすれば、直接両耳に着けなくとも聴こえると踏んだのである。


「何考えている?」

「コレをぴったりと耳に着けるのだけは、勘弁してください」


 はっと鼻で笑う千加良ちからの嘲るような眼を無視して僕は「耳に着けなくともこうすれば、千加良ちからくんと一緒に聴けるし一石二鳥ですよ」とにっこり笑い返す。


「歳下だからといって、そうやって可愛らしく笑えば何でも許されると思うなよ」


 千加良ちからはそう言いながらも、僕が耳を外側に当てて持つヘッドホンのもう片側へと、すらりとした背を屈ませ顔を寄せる。

 見慣れているとはいえ、その恐ろしいまでに美しく整った顔が、均整のとれたしなやかな肢体が、すぐ傍にあることに思わず緊張し、微かに腕が震えた。

 しかし本当に恐ろしいのは、その眼だ。

 千加良ちからは、真っ直ぐ覗き込んではいけない捕食者の眼をしている。捉えられたら命を差し出すほかに逃れる術はない、その眼。

 近寄ってきた千加良ちからの身体の熱は深部から漂う体臭と良く混じったムスクやアンバーのオリエンタルで独特な甘みのある香りを立たせ、その匂いがふっと鼻を掠める。匂いに官能的な衝動を感じるのは、所詮は人間もまた動物だからだ。


「……千加良ちからくん、香水変えました?」

「鼻が良いな。いや……違う。明け方まで女と会ってたからかな」

「また、そうやって……」

うるさく言うなよ」

「いつか刺されても知りませんよ」

「その前に、俺が殺すよ」

「また……貴方って人は」


 千加良ちからの口から出ると、その言葉は冗談にならない気がするから恐ろしい。


「おい、再生を始めるからな」


 千加良ちからの指がゆっくりと確実に再生のボタンを押した。

 カチッと固い音がする。


 そうして聴こえてきたのは――。

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