第2話:噛む・紅葉・冷える

十一月に入り、学部棟中庭は紅葉に染まった。それ以外の色は、ベンチの木の色と、当たり前に存在する校舎の薄汚れ気味の灰色だけだ。

時折容赦なく吹きつけるようになった風は冷たいが、それでも満月は気にも留めずにベンチで弁当を広げている。

「あー……さすがに寒なってきたな……。マフラーはまだいらんと思ってたけど」

ぱくりと、以前より焦げ目の減った卵焼きを口に放り込む。食堂で食べるより、自炊した方が安いからと、毎日大して美味しくもない弁当を作り続けてきたが、どうも最近手慣れてきたらしい。嫁に行くあてはないが、まあ嬉しいことだ。己の舌が、己の未熟な料理に慣れただけの可能性もあるが、考えないものとする。そんな侘しいことがあってたまるか、こちとら花の大学生よ。

からり、と乾いた音が狭い中庭に響いた。

「うわっ、さむっ!まだこんな寒いとこで食べんの?」

振り返るまでもない。超平和時空への侵入者は正規の入り口からはやってこない。たんっと軽やかな音はいつものこと。中庭が見える廊下の窓から入ってきた音だ。

「文句言うなら、その辺で適当に食べればええねん。てかあんた、今まで誰とどこで食べてたん。ほっぽっててええん?」

許可も無しに隣へ座るのもいつものこと。いい加減慣れてしまったので、そろそろ別のエンカウントが欲しいところだ。

いつも堂上は、中庭に二人しか居ないことを確認してから食事をする。程なくして、がさごそとビニール袋を漁る音が聞こえてきた。

「その辺の店で食べたり、食堂で食べたりしてたら、誰かしらに捕まっていた。特定の人とは一緒に食事したことがない」

ぱきり、と空気が入れ換わる、ような錯覚。

さようならエセ天使、と心の中で別れを告げた。

最近になって知ったことだが、堂上は、満月の一世一代の大告白を鼻で笑ったときのあの口調がデフォルトらしい。標準語なところを突っ込んだところ、出身は関東らしい。郷に入っては郷に従え、ということで、それなりに突っ込まれない程度の関西弁をマスターして関西にきたらしい。猫を被れば大人しい、こんな後輩いたら絶対構い倒したくなるようなそんなどちらかといえば二十歳の男にしては可愛らしい部類に入る彼だが、猫を被らなければこんなものである。堅苦しい口調は、やはり家の事情なのだろうか。どことなくとっつきにくいし、何より目つきから雰囲気まで変わって、全体的に温度が下がる。

短い間とはいえ、その猫を被った天使のような悪魔、否、閻魔大王に惚れてしまった身としては、なんとも複雑である。

「なんともまあ冷たい大学ライフですコト……」

「俺がいないと毎日一人で食べてる君に言われてもな」

「元々、誰かと食べんのって苦手やねん。今はそうでもないねんけど、もう習慣になってるっていうか」

かぽん、と小さな弁当箱を閉める。

思い浮かぶのは、両親との食事の風景。もう両親と食事をすることは叶わないというのに、数人で食事をするとつい思い出してしまう、そんな時期が満月にもあった。それでつい他人との食事を避けていたのだが、今ではもう家族との食事も完全に思い出として昇華されている。懐かしむことこそあれ、悲観することはない。

「ついてもた習慣って、なかなか治らんもんよ」

てきぱきと弁当箱を袋にしまい、魔法瓶のお茶を一口。冷蔵庫から出してそのまま入れられたお茶は、きんと冷えており、通った場所からお腹までを急速に冷やしてしまう。

堂上も食べ終えたのか、再びビニール袋をがさごそ鳴らしている。えらく小食だなこいつ。

「それはつまり」

ぎゅっと袋の口を縛ると、堂上はそれをすぐ目の前のごみ箱に投げた。おにぎりの袋以外にも何か入っていたのか、平時より重さを伴ったそれは綺麗に弧を描いてごみ箱へと消える。ないっしゅー。

「俺も、少しは自惚れてもいいということだろうか」

「は?」

発言の意味が分からず、喉から漏れたのは間抜けな声。数秒体をフリーズさせて、代わりに脳をフル稼働させる。そして漸く満月はその意味に思い当った。

「……あ」

ほか、と続けるはずの口に何かが触れる。硬くて、冷たい。

「まあそう言うな。私の前で平然と食事をしていたのは満月の方だ」

にっこりと微笑む堂上は憎らしいことこの上ない。

違う。違う。そうじゃ、そうじゃない。

ただ、堂上の前で猫を被るのがばからしくなって。それが、とても気楽で。少なくとも苦ではなくて。

唇に当たっていたそれをごり、と噛んだ。いちご味。

「……勝手に」

ばきん、と口の中でざらついた塊が砕ける。

「思っとけ、あほ」


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目覚めたのは誰のせい 灰野海 @haino-umi

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