第4話 「冬祈」(完結)

「おはよう。これに着替えて」


まだ寝ぼけ眼のわたしの前に・・・

作業着だろうか? これまで着たことはないから、なんだかちょっと恥ずかしい。


「おっ! 結構サマになってるじゃない。さあ行くよ」

履き慣れない長靴を履いて向かった先は・・ネギ畑だった。

「ここ。俺の仕事場」そう言って男は笑った。


「20年位前かなあ・・台風が来てね。この辺も随分被害を受けて、高波を被ったネギは、ほぼ全滅。それでも生き残った僅かなネギはね、いつも以上に甘みを増したものになって、今では海水を散布しながらネギ育ててるんだ。甘くて瑞々しいって、これが結構いい値段で売れるんだよ。」


わたしは土まみれになり、男に教わった通り畑作業を続けた。冬なのに、体は汗ばんでく

る。


「さあて。ちょっと休憩しよか。慣れない仕事で疲れたでしょ? おいで。」


畑からわき道に入り、小高い丘へと続く坂道を男は登り始める。

行きついた先は・・瀟洒なログハウスだった。

男はポケットから鍵を取り出し、ログハウスの扉を開いた。


「さあ、どうぞ。入って」


アンティークな木製のテーブルと椅子が並んでいる。

(ここは・・・カフェ・・?)

男はそのまま奥へと歩いていく。おそらくキッチンがあるのだろう。

わたしは窓際の席に座り外を眺めていた。

眼下にはさっきまで作業していたネギ畑が広がり、その奥には灰色の空をそのまま映した海が広がっている。


「お待たせ。はい、どうぞ」

男は手に持ったココアをわたしの目の前に置いた。


「あ・・ありがとう。いただきます。」

香りとともに、口の中に凝縮された甘みが広がる。



「ここね。涼子と一緒にやるはずだったレストランなんだ」

唐突に男は語り始めた。


かつては都内の有名レストランで料理の腕を磨いていたこと。

奥様と一緒にいずれは店を持ちたいと話していたこと。

ここのネギに魅せられて、この場所で店を開く決心をし、全財産をつぎ込んでこの建物を

建てたこと。

ところがレストランの開店を目の前にして、奥様が自ら海に飛び込んで命を絶ったこと・・・


「今でもね・・なんで自殺なんてしたのか、原因はわからないんだ。でも、それ以来何に

もやる気なくなっちゃってね。見かねたこの土地の人が優しくてね、仕事世話してくれて

さ。今じゃこのとおり、ただの農家のオヤジ(笑)」


男は私と目を合わせるでもなく自虐的に笑った。聞きながら、わたしは思った。


わたしは・・・



(わたしは、ネギだ。)


一度死に損なったわたしを、男は助けてくれた。

生き残った命に、息吹を吹き込んでくれたのは間違いない。この人なのだ。


「ねえ? ネギ好き?」

「なんだよ、藪から棒に(笑)・・ほら、ココアが冷めるよ」


今度はわたしが、この人を助けてあげなきゃいけない。だから・・


「あの・・一緒にやらない? この店。ほら、わたしも亮子だし。そりゃ、亡くなった涼子さんに比べたらとても敵わないかもしれないけど・・」

「え? 本気で言ってる?」


はにかんで笑う男の頬に、わたしはそっと唇を寄せた。

しわくちゃの頬に無精ひげが浮かんでいる。

その刻まれたしわの一つ一つが、今のわたしには愛おしくてたまらない。


深ければ深いほど、きっとその奥に愛がたっぷりと詰まっている。

わたしにはそれがわかる。


男の腕が、わたしの背中に回り、わたしを優しく包み込んだ。


「ねぎ・・嫌いじゃないなあ。むしろ好きかも(笑)」

「え? 今?(笑)もしかしてずっと考えてた?」


わたし達はすっかり冷めきったココアを一気に飲み干した。

冬の空は、いまだ暗いまま。

けれど、その向こう側には太陽が輝いているにきまってる。

ありったけの愛を携えて…


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冬日之温 高田"ニコラス"鈍次 @donjiii

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る