第34話 夢の中でまた逢えたなら
日曜の昼下がり、俺がウトウトと自室で微睡んでいると、気の抜けた玄関のチャイムが鳴った。
香菜ちゃんが来たのだろう。
俺は自室から出て階段を降り、軽く返事をしながら玄関を開ける。
「よう、お兄ちゃん」
予想通り、玄関には私服の香菜ちゃんが佇んでいた。
外は寒かったのか、少しだけ鼻の頭が赤くなっている。
「香菜ちゃん、いらっしゃい。リビングの方に上がって、温かいお茶だすから」
「ああ、ありがとう……」
香菜ちゃんは丁寧に靴を並べると、言われた通りリビングに入って行った。
俺は流し台の前に立ち、電気ケトルでお湯を沸かし始める。
お湯が沸くまでの間に、さっさと用を済ませてしまおう。
「香菜ちゃん、言われた通り府川さんに、この紙書いてもらったよ」
「ああ、確認する」
香菜ちゃんは俺からあみだくじのような紙を受け取り、水晶球をかざした。
この紙で、府川さんに妙な呪いが残っていないか確認できるそうだ。
「……うん、大丈夫だ」
紙から視線を上げ、香菜ちゃんは俺を見てそう告げる。
「良かった、じゃあ府川さんは本当にもう元に戻ってるんだね」
疑り深い俺は、実はまだ府川優子が府川さんを演じているのではないかと、心のどこかで疑っていた。
だが、これでようやく安心できそうだ。
「元々かかっていた呪いの種類も暗示だったみたいだし、特に解呪後の後遺症も無いはずだ」
香菜ちゃんはそう言うと、紙に息を吹きかける。
すると、それは光の粒となって解けるように空へと消えた。
「おお、凄い。魔法っぽい」
香菜ちゃんは「別に……」と、少し照れくさそうに目を細めた。
「……それより、お兄ちゃん」
「ん?」
香菜ちゃんが改まったように視線を合わせる。
「今まで大変だったろ? よく頑張ったな」
「いや、別に……俺は何もしてないよ」
行動も空回ってばっかりで、何度も府川さんを傷つけた。
「そんな事ない。手帳に書いてあったんだ、お兄ちゃんは府川幸子を見捨てず頑張ってるとか、魔法の事も怪物の事も分かんないのに、全部自分で抱え込もうとしてるとか」
そう言って、香菜ちゃんは俺に優しく微笑みかける。
「お兄ちゃん、私はもう何も覚えてないけどさ……でも、ちゃんと見てたぞ?」
「……うん」
少しだけ、目が潤んだ。
何かが報われた気がした。
報われるような事なんて何一つしてはいないけれど、それでも辛かった事や、頑張った事は確かにあったんだ。
本当は府川さんの事だって、府川優子の事だって、全然納得なんかしていない。
俺は酷い事をした、最悪な事を考えた、最後は色々な事を諦めた。
……それでも香菜ちゃんの言葉で、諦めて良かったと、少しだけ思えた。
電気ケトルがピーっと鳴り、お湯が沸いた事を伝える。
俺は香菜ちゃんに背を向けて、目に溜まった涙を拭った。
きっと、涙ぐんだ事はバレている。
それでも香菜ちゃんは、何も言わないでいてくれた。
「お湯湧いたから、お茶淹れるね。ミルクティーで良い?」
「ああ、それで頼む」
俺はミルクティーの粉を二人分のカップに入れ、少しだけ砂糖を入れてかき混ぜる。
そんな風にして、俺と香菜ちゃんの昼下がりは緩やか過ぎていった。
+++++
温かい日差しが降り注いでいる。
いつも通り、俺は見慣れた知らない田舎道に立っていた。
道端には雑草が生えていて、空には薄い水色が広がっている。
こんな場所は知らない筈なのに、どことなく懐かしさを感じる風景。
いつも通りだ。
府川さんが人間に戻ってから、毎日この夢を見ている。
もう肉塊はおらず、雨も降っていない夢の中で、俺はぼんやりと座り込んだ。
今ではすっかりこの景色もお気に入りだ。
全てが解決した後、府川さんはごく自然に千場と付き合い始めた。
数日前と全く態度の違う府川さんに、千場は最初こそ困惑していたが、女心とはそういうものなのだろうという風に納得したようだ。
そしてそれから二週間後、つまりは昨日。
府川さんと千場は、あっさりと別れた。
どちらから振ったのかは知らないが、府川さんも千場も、そこそこに落ち込んでいたようだ。
……まあ、何も思わなかった訳では無い。
とはいえ、俺にはやはり関係の無い話で、関係する事が出来ない話なのだ。
では、俺の方の学校生活はどうなのかというと、概ね今まで通り。
変化と言えば、府川さんと喋る機会が少し減った事と、下校も香菜ちゃんと一緒にするようになった事くらいだ。
今でも府川さんに話しかけられると胸の鼓動は早くなるが、とはいえ諦めはついている。
大人になるとはどういう事が、俺は少しだけ分かった気がした。
……さて、そろそろ目覚める時間だろう。
俺は大の字になって地面に寝転んだ。
こうやって目を瞑れば、自然と目覚ましの音が聞こえてくるのが通例だ。
だんだんと、意識が現実に近づいていく感覚。
そのまま目覚めそうになったところで、鼻を刺す腐敗臭に夢の中へと引き戻された。
「や、やっほー、ひ、久しぶり……」
耳慣れた声が聞こえた。
ゆっくりと目を開ける。
視界に広がるのは自室の天井などではなく、茜色が混ざり始めた空だった。
瞬間、ナメクジのようにゆっくりと、視界に肉塊が侵入してくる。
「へ、へへ……優太郎君、優太郎君、さ、寂しくて、会いたくなっちゃった」
媚びたように甘い声。
そこで俺は確信する。この肉塊は紛れもなく府川さんだ、と。
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