第31話 考える葦は身の程を知らず
今まで、香菜ちゃんがわざわざ昼休みに俺の教室まで来た事など無かった。
そして何よりも、香菜ちゃんの強張った表情が、握りこんだ掌が、昨日の朝とは状況が違うのだと言外に伝えてくる。
……どういう事だ? 香菜ちゃんに肉塊の記憶は残っていない筈。
「どうしたのー? 貴女も一緒に食べるー?」
緊張感が高まる中、府川さんは呑気に口を開いた。
香菜ちゃんの瞳が、ジロリと観察するように府川さんを捉える。
「っ! ごめん、府川さん。ちょっと香菜ちゃんと話してくるから。すぐ戻るよ」
俺は咄嗟に立ち上がり、半ば無理やり移動させるようにして香菜ちゃんと廊下に出た。
香菜ちゃんの化け物嫌いは狂気の域に達している。
もしも記憶が戻って今の府川さんを肉塊と同一視されたら非常に厄介だ。
「それで香菜ちゃん、どういう用事かな?」
香菜ちゃんはその問いに対し、俺を値踏みするように目を細めた。
「お兄ちゃんが昨日の朝に言っていた、妹さんというのについて教えてほしい」
「…………」
一言目で、核心の話をされてしまった。
香菜ちゃんがどこまで知っているのかは分からないが、何かしらの疑念と情報を持っている事は確かだろう。
……ここは、どう答えるべきだ?
絶対に避けねばならないのは、香菜ちゃんに府川さんが化け物だと認識される事。
やっぱり誤魔化すか? しかし、香菜ちゃんは独自にオカルト現象を調べられるだけのポテンシャルがある。
ここで変に誤魔化して独自に動かれたら厄介だ。
であれば、俺が取るべき行動は……。
「信じてもらえないかもしれないけど、実は数日前まで府川さんに妹がいた筈なんだ。でも、何故か急に皆の記憶から消えちゃったみたいでさ……。妹さん本人もどこにもいないし。香菜ちゃんは何か知ってるの?」
注意を妹さんに向けさせる事で肉塊から香菜ちゃんを遠ざけ、頼るという形で香菜ちゃんの動きを補足する。
俺に出来る事で今思いつくのは、せいぜいそれくらいだ。
香菜ちゃんは顎に手を当て、何かを考えこんでいる。
俺は緊張を悟られないようにしつつ、黙って香菜ちゃんの反応を待った。
「ふむ……お兄ちゃんは『肉塊』というワードに心当たりは無いか?」
ビクリと肩が震えそうになるのを必死で堪える。
「え? いや、何で?」
「実はな、私のメモ帳に書きおぼえの無い記載が多数見つかったんだ」
ドキリと心臓が大きく跳ねる。
そうか、記録が消えていないのであれば、当然香菜ちゃんが肉塊の存在に辿り着く可能性は高い!
「そのメモには、何て書いてあったの?」
気を抜いたら、声が上ずりそうで仕方がなかった。
それでも、香菜ちゃんの表情を見る限り、今のところ不信感は抱かれていないように思える。
まあ、どれだけ感情を推し量ろうとも、表情の読みにくい香菜ちゃんが相手では直感程度の信憑性しかないが。
ともあれ、香菜ちゃんは比較的あっさりと自分の持っている情報を開示した。
「メモの要点をまとめると、化け物がお兄ちゃんに悪意を持って接触している可能性があるらしい。そこには府川幸子の妹についても記述されていたが、その存在は今この世界から消え去っている」
香菜ちゃんが、真剣な目で俺を見つめた。
「つまり、お兄ちゃんは、存在をどうこうできるレベルの化け物に目をつけられている可能性が高い、という事だ」
「そ、それで、その化け物の正体というか……ソイツがどういった存在か、みたいな目星はついてるの?」
俺の問いに香菜ちゃんは一度口ごもり、しかし最終的には口を開いた。
「……メモには、府川幸子が全ての原因だと書かれていた」
やはり! そこまで書かれていたか。
嫌な汗が、ゆっくりと背中を伝う。
「あっ! でもさ、嘘に真実を混ぜて騙すって良くある手法だし、そのメモが誰かの罠という可能性も……」
俺は咄嗟に、化け物の正体が府川さんであるという方向から話を逸らそうと口を開いた。
「ああ、勿論このメモを鵜呑みにするつもりは無い」
香菜ちゃんは頷き、冷静にそう返す。
……焦った。
ひとまず、香菜ちゃんがすぐに府川さんを殺しに来るという展開は無さそうだ。
だが、油断できない程度に香菜ちゃんには手札が揃っている。
マズい、非常にマズい状況だ。
俺はカラカラに乾いた口を開き、少しでも情報を集めようと言葉を絞り出す。
「それで、香菜ちゃんはこれからどうするつもりなの?」
「……そうだな、府川幸子の妹の痕跡をたどって、世界改変が本当に行われたのか確認しようと思う」
「え? 世界改変?」
突然飛び出した聞きなれない単語に、思わず聞き返す。
「ああ、ただの神隠しならそう珍しい事でもないが、今回は世界から記憶が失われている。これで府川幸子の妹がどこかに隠されている訳でもなく、その存在ごと消滅していたのなら……それは不完全ながらも、確実に世界改変だ」
その仰々しい説明に、ゾワリと首筋の毛が逆立った。
……やはり、府川さんの肉塊化以前から妹さんが存在したのか確認する事は急務だ。
肉塊化した府川さんは、普通に妹さんの存在を受け入れていた。だが、俺は府川さんが肉塊化するまで、一度だって妹さんの話を聞いた覚えが無い。
つまり、妹さんが府川さんの肉塊化に合わせて出現したと仮定した場合、妹さんの存在が記憶干渉、ひいては世界改変の原因となっている可能性が高いという事だ。
妹さんが、黒幕なのか……?
思い至った、真相に近い可能性。
俺はこんがらがった脳内を悟られないよう気を付けながら、香菜ちゃんとの会話をそこそこに切り上げた。
存外、核心に辿り着く日は近いのかもしれない。
+++++
「……お邪魔します」
「はーい! いらっしゃい!」
府川さんはタタタッと俺を追い越して家の中に入り、振り返ってニコリと笑う。
俺は予定通り、放課後に府川家へと遊びに来ていた。
最初に確認すべきは、やはり府川さんと母親の関係だ。
府川さんの母親は、千場以外で府川さんを化け物呼ばわりした俺の知る限り唯一の存在。
もしここで両者の関係性に違和感があれば、肉塊化していた時の強烈な記憶は改変しきれていない可能性が高い。
そんな事が分かって何になるのかと問われても具体的な事は言えないが、確実の現状を解き明かすヒントにはなる筈だ。
「……そういえば、府川さんの親は今どこにいるの?」
玄関で靴を脱ぎ、俺は何気ない調子を装ってそんな事を聞く。
「んー? お父さんはお仕事で、お母さんはたぶん編み物かなー?」
「なるほど、じゃあ一応挨拶だけしときたいし、お母さんの所に案内してくれない?」
「えー、律儀だねえ?」
府川さんは、ふふふっと笑いながらも、ごく自然に母親の元へ案内してくれた。
「お母さん! 彼氏連れてきたー」
か、彼氏?!
「うぇあ、どうも、お邪魔してます……」
「え? 彼氏さん? え……あー! いいえ! それはっ、その、ご丁寧にどうも!」
府川さんのあまりにも開けっぴろげな言いように、思わず変な声が出てしまった……。
だが、対する府川さんの母親も俺と同程度には驚いているようで、ティーカップを掴もうとする指が何度も空を切っている。
「じゃあ、優太郎君! 行こっ!」
爆弾を投げた張本人は、何食わぬ顔で階段を上っていく。
「あっ、ちょっと待っ……あの、では、失礼しますー」
なんとも言えない愛想笑いを浮かべ、俺は駆け足で府川さんの後を追う。
視界の端に映る府川さんの母親は、最後までポカンと口を開けていた。
不意打ちで心を乱されたが、何とか最初の目的は達成できた。
パッ見ではあるが、あの様子では恐らく両者の関係性に変化は起きていない。
……やはり、府川さんが千場を好きでなくなったのには、肉塊化していた時の記憶とは別に、何か理由があるのか?
俺はそのまま二階に上がり、正面の扉を見る。
そこには以前来た時と同様に『幸子の部屋』と書かれたプレートが下げられていた。
「…………」
改めて、周囲を見渡す。
やはり2階には、妹さんの部屋だけが見当たらない。
募る違和感を頭の片隅に置き、俺はゆっくりと扉に手をかけた。
ふと、嫌な想像が頭を過る。
もし扉を開けたら、その向こうには腐臭を放つ肉塊が蠢いているのではないか、と。
……うるせえよ。
覚悟を決めて、俺は扉を押し開けた。
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