第30話 水面に映る肉塊は、

「おはよー!」


「え、あっ、おはよう!」


 朝から、府川さんが元気に家の前で待っていてくれている。

 今日は昨日と違って香菜ちゃんがいないようだが、府川さんが来たのを見て気を遣ってくれたのだろうか?


「おっ! 優太郎君、今日は元気そうだねー」


「まあね、あんまり嫌な夢見なかったから」


 今日も俺は、いつもの田舎道を夢に見た。

 だが、その田舎道に肉塊はおらず、雨も降っていなかったのだ。


「そうなんだ! それは良い事だね!」


 純粋すぎて、眩しい笑顔。

 府川さんの様子に変わったところは無い。


 肉塊化していた時の府川さんは悪夢の記憶を持っていたから、夢の話題を出せば何か変化があると思っていたのだが……。


 まあ良い。

 悪夢の変化も、恐らく肉塊消失や記憶補完と同じような事象なのだろう。


 ポケットからメモを取り出し、チラリと見る。

 肉塊化の原因を知る為に必要そうだと思った事を、昨晩書き留めておいたのだ。


 メモには、

・香菜ちゃんが言っていたミナシゴロシさんとはどんな化け物か?

・妹さんは府川さんの肉塊化以前から存在したのか?

・府川さんの好きな人が千場から俺に変化した理由

と、今朝追記した

・悪夢の内容が変化した理由

の四項目が書かれている。


 中でも重要度が高そうなのはミナシゴロシさんだが、危険度も高そうだし不用意に近づくのは避けたい。かと言って、肉塊殺害未遂の件がある以上は迂闊に香菜ちゃんに相談もできないので保留。

 妹さんについては、記録が残っている筈だからそれを調べたいのだが……家族構成が記録されている書類って、どうやったら見られるんだ?

 戸籍とか住民票の発行って他人じゃできないよな。


 職員室に忍び込んで、府川さんの家族情報がありそうな書類を探すか?

 それとも、府川さんに頼んで住民票を発行してもらう?


 色々と考えてみるが、どれも現実的じゃない。

 ……暇なときにでも、何か方法を考えよう。


 俺が思考を続ける間も府川さんの表情はクルクルと目まぐるしく変わり、話題もコロコロと変わり続けた。


 はー、なんで府川さんの好きな人が俺に変わったのかな?

 最初は、府川さんが肉塊だった頃に千場から化け物扱いされた事が原因かとも思ったが、府川さんにその時の記憶は残っていない。


 そういえば、母親にも化け物扱いされたみたいなこと言ってたよな?

 もしも消えた記憶が原因で母との関係が拗れているのなら、直接見れば分かる筈だ。


「あー、府川さん。今日の放課後、府川さんの家に遊びに行っても良いかな?」


「え! 優太郎君、家来るの!? 大歓迎だよー。うわー、楽しみだあ!」


「ありがとう、俺も楽しみ」

 府川さんは、嬉しそうにふにゃふにゃと笑っている。それにつられて、俺も自然と笑みが零れた。


 やっぱ、好きだ。

 肉塊の姿を受け入れられなかったという事実が脳裏を過るが、意識的に無視をする。

 少なくとも、今の府川さんは人間だ。


 ふと湧いてきた罪悪感を押さえつけ、俺はにこやかに府川さんを見る。


「あ……」


 府川さんが、奇妙に妖艶な表情を浮かべていた。


「ふふ……付き合った次の日にお家デートなんて、結構大胆だよね?」


「あ、いやっ……」

 指摘されて、急に恥ずかしくなってくる。

 悠長な事を言ってはいられないとはいえ、冷静に考えれば確かに急だ。

 肉塊化していた時の記憶が無いのであれば、今回が初のお宅訪問になる訳だから。


「えっと、あの……」

 言葉が出てこない。昨日と同じだ。

 府川さんにこんな瞳で見据えられた事など、以前は無かった。


 その後もドギマギきょろきょろとしていたが、最後に俺は掠れた声で「はぃ……」とだけ呟いた。

 何が「はぃ……」なのかは、自分でもよく分からなかった。


+++++


「優太郎君! 一緒に食べよ!」

 昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴った瞬間、府川さんはぐるりと振り返るや否やそう言った。


「え、いや、あ、はい」


 もう、表面を取り繕うだとか格好良い事は言っていられない。

 何故こんなにも真っすぐな好意をぶつけてくるのか?

 今までの苦労や苦悩が嘘のようにさえ思えてくる。いや、寧ろこの今こそが嘘なのか?

 そう疑いたくなる程度に、今の俺は幸せだった。


 自分でもニヤついている事が分かる。


「……っぅえあ!」

 府川さんが机を動かし、ぴったりと俺の机にくっつけた。


「何、その声~」

 府川さんはケラケラと笑った。


「あっは、いや……ははっ」


 乾いた声しか出ない。

 それでも無意識に自分の弁当を開く事ができたのは僥倖だと言えるだろう。


「じ、じゃあ、食べますか?」


「うん!」

 ニッコリと笑う府川さんを見て、更に口角が上昇する。


 そんな時だった。

 トントンと、肩を叩かれる。


「お兄ちゃん、少し話がある」


 そこには、香菜ちゃんが立っていた。

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