第32話 昼と夜の境界、君と俺と肉塊

 瞳だけを動かし、ジロリと府川さんの部屋を見渡す。


 ……肉塊は、いない。

 腐臭も、汚液も、水音も、何もかも綺麗さっぱり消えていた。


 部屋の中央で、府川さんはゆるりと微笑んでいる。

 それを認識した瞬間、俺の心はようやく一時の安寧を取り戻した。

 しかし、それもすぐに消え去る事となる。


 残っていたのだ。

 椅子の残骸も、ねじ切れたベッドも。


 普通、こんなものを片付けずに残しておくだろうか?

 いや、別に片付けない理由なんて探そうと思えば色々あるだろう。

 廃品回収業者の到着が明日、今日片付けるつもりだったが俺が来たので後回しにした、思い出の品なのでなかなか捨てられない、単純に面倒くさくてなあなあになっている。


 パッ思いついた理由は、どれも十分に有り得そうな話だった。

 ……とはいえ、この残された惨状が少々奇妙で不気味な事実に変わりは無い。


「部屋の片づけ……アレだったら手伝おうか?」


「え、あ! そうだね! ちょっと散らかってるかも……」


 府川さんは、誤魔化すように「えへへ」と笑った。

 そしてキョロキョロと周囲を見渡し、床に落ちていた教科書を本棚に入れる。


 そっちかよ。


「とりあえず、椅子の残骸とベッドを片付けない?」


「あっ、うん! そうだね~」


 何とも言えない違和感。

 これはきっと、部屋の惨状だけが原因ではない。

 明確に、府川さんの行動に対する違和感があった。


 もしかすると、府川さんは肉塊化以前と以降で、完全に元通りになった訳では無いのかもしれない。

 いや、そもそも好きな人が千場から俺に変化している時点で、完璧に元通りになった訳ではないと証明されているのか……。


 俺と府川さんは、ひとまず椅子の残骸を袋に詰めて、庭の倉庫へと運んだ。

 次は、ねじ切れたベッドだ。


「せーのっ!」

 壊れたベッドを、府川さんと協力して持ち上げる。

 ベッドは金属製だったが、中空構造なのか存外軽い。


「よし、これも倉庫に運ぼうか」


「うんっ」

 府川さんは何が楽しいのかニコニコと笑っている。

 対する俺は、府川さんとの共同作業が楽しくてニコニコと笑っていた。


「ところで府川さん、最近何かあった?」


「えー? 何、急だねえ?」


「いや、何って事は無いけどさ。雑談というか……何か変わった事があったら聞きたいなって」

 大した事では無いというように振舞いながら、探りを入れる。

 しかし、府川さんは「んぇー」とか、「あー」とか言って、階段から転がり落ちない事ばかりに集中していた。


 まあ、良いか。

 肉塊化していた頃の記憶は改変されているのだから、どうせ大した情報は出てこないだろう。


 そんな事を考えていると、ようやく一階にたどりつく。

 そのまま、俺達は椅子の時と同じようにベッドを倉庫へと運んでいく。


「優太郎君は、このあと何かしたい事とかある?」


「え、うーん」

 本音を言えば、妹さんについての書類なんかを調べたいが、勿論そんな事は言えない。


 どうにかして、自然な流れで妹さんについて調べる方法は無いだろうか?

 戸籍、住民票、学校の書類……駄目だ自然に見る方法が思いつかない。

 こっそり確認しようにも、どこにあるのか分からないし。


「思いつかないならさっ、お散歩に行こうよ!」


 府川さんが、なんとも可愛らしい提案をしてくる。

 とはいえ、何も思いつかないのは事実なので、それもまた良いのかもしれない。

 肉塊化という重要現象の中心である府川さんとのコミュニケーションは、立派な情報収集だ。


 結局、ベッドを倉庫に運び入れた俺達は、一度部屋に戻って散歩の準備を整える事にした。


 散歩ごときで準備とは随分と大げさな気もするが、女の子にはそういう事が必要なのだと耳にした覚えがある。であれば、俺が口を出すのは野暮というものだろう。

 というか、せっかく好きになってくれた府川さんから嫌われたくない。


 俺が守りたい世界とは、人間の府川さんが俺を好いている世界の事だ。

 故に俺は、府川さんから嫌われない為の努力を惜しむつもりは無い。


 ……なんて格好つけてみたものの、待ち時間というものは往々にして暇なものである。

 俺は、府川さんがドレッサーから洋服を探している間、何とはなしに部屋を眺めた。


 ベッドと椅子を片付けたからか、随分と広く感じる。

 そんな中、ふと部屋の隅に並べられたぬいぐるみに目が行った。

 肉塊化した時に引き裂かれたであろうぬいぐるみも、他のぬいぐるみと同じように並べられている。


 一瞬、それも片付けるか聞こうと思ったが、止めた。

 大切にしているのかも知れない。


 チラリと府川さんの方に目をやる。

 ……まだ、準備には時間がかかりそうだ。


 そこで俺は、本棚に並ぶ本の背表紙を眺める事にした。

 大した暇つぶしにもならないが、スマホを見るのは何となく悪い気がしたのだ。


 教科書とか、少女漫画ばかりだな。あと、何冊か絵本も入っている。

 そういえば府川さんは以前、恋愛系の少女漫画が好きだと話していたな。


 順番にタイトルを読んでいると、大きめのしっかりとした背表紙が目に留まる。

 ……小学校の卒業アルバムだ。


 小学生の府川さんは、どんな感じだったのだろうか?


「府川さん、卒業アルバムを見ても良いかな?」


「んー? 良いよ~」


 返事を聞き、早速俺は卒業アルバムを手に取る。

 パラパラとページを捲っていると、府川さんの写真はすぐに見つかった。


 府川さん、6年2組だったんだ。

 今より幼い顔の府川さんには、しっかりと無邪気な笑顔に今の面影が残っている。


「……ふっ」

 運動会や遠足、小さい府川さんはどの写真でも楽しそうに笑っていた。


 府川さんにも、過去がある。

 当たり前だけれど、そんな事実がなんとも嬉しかった。


 そういえば、妹さんも載ってるのかな?

 妹さんの写真を探して、何気なく卒業アルバムを見返す。


 ……ん?

 あ! そうだ、卒業アルバムなら!


 俺は急いで卒業アルバムの最初のページを開きなおす。


 妹さんは、府川さんの双子の妹だ。

 同じ小学校に通っていたと考えるのが妥当だろう。

 そして、双子という事は妹さんと府川さんは同い年。


 もし妹さんが肉塊化以前から存在していたというのなら、この卒業アルバムに妹さんの名前も載っている筈……!


 何度も、何度も、卒業アルバムを見返す。

 見落としが無いよう、卒業者の名簿を上から下まで心の中で読み上げる。

 写真も、じっくりと一枚一枚確認する。

 ……しかし、妹さんの名前はどこにも載っていなかった。


 やはり、妹さんは存在していなかったのだ。

 その事実が意味する事、それは妹さんが全ての元凶である可能性。


 肉塊化した府川さんは、妹さんの事を自然に受け入れていた。

 そして肉塊化が戻った今、肉塊や妹さんについての記憶が曖昧になっている事を、周囲の人間は自然と受け入れている。


 状況的に、妹さんが何らかの目的をもって府川さんを肉塊化させ、目的が達成できたから再び世界を元に戻したとしか考えられない。

 であれば、妹さんの目的は……?


「お待たせ!」


 ビクッと、思わず肩が震える。


 咄嗟に振り返ると、いつの間にか私服に着替えた府川さんが立っていた。

 水色を基調としたファッションは小ぎれいにまとまっており、おとなしめの印象を受ける。

 学校ではピンクで可愛らしい筆箱やハンカチを使っていたから、その服装は少し意外だった。


「し、私服、似合ってるね」

 声が震えた。キモくなかっただろうか?


「うん、ありがとっ!」

 府川さんは、心から嬉しそうに笑ってくれた。


 この笑顔が、俺に向けられている。

 そんな事実を改めて嚙みしめる。

 全ての謎が解けるまで、あと少し。そんな予感に近い確信があった。


「じゃあ、行こっか!」


「……うん」


 俺は後ろ手に部屋の戸を閉める。

 そして、府川さんの後を追うように家を出た。


 外は既に、薄っすらと茜色に染まり始めていた。

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