第25話 現実を見て、夢を恨む今

「……また、会いに来てくれるって信じてる」

 府川さんは俺の問いに、そう言って答えた。


 『信じてる』その言葉は酷く俺の心を搔き乱す。

 だって俺は逃げ続けているのだ。

 あんなに怯えて、寂しそうで、好きだった府川さんから……。


「俺なんかを、信じないでくれ」


「……え?」


「あ、いや……」

 困惑したような府川さんの声にハッとして、すぐに表情を取り繕った。


 俺は何を言おうとした? 信じないでくれだと?

 馬鹿を言うな。

 信じさせていたのは、騙していたのは、俺だろうが。


「えっと……」

 すぐに言い訳を並べようとして、これは夢だと思い出す。


 ただの夢だ、ただの夢だ、ただの夢だ。

 だったら何を言ったとしても、別にどうでも良いじゃないか。

 俺は、すっと府川さんを見上げる。


「えっと、俺は府川さんに信じて貰えるほど立派な人間じゃないけどさ……府川さんが元に戻れるよう頑張るから、その、信じて待っていてくれるのは嬉しいよ」


 ……ただの夢でも、俺は表情を取り繕った。

 優しい声音で嘘を吐いた。

 馬鹿みたいだ。


「優太郎君なら大丈夫だよ! 信じてる! 絶対! 信じて待ってる!」

 果たして、夢の中の府川さんは嬉しそうに震えている。

 俺の気持ちとは裏腹に。


「はは……ありがとう」

 吐きそうだ。


 引きつる心を押さえつけ、軽い調子で笑って見せる。

 夢の中ですらこんなんなら、俺は何処で本音を吐き出せば良いのだろう?


 俺の最悪な心情をよそに、府川さんはのんびりと言葉を続けた。


「もしさー、私が元に戻ったら、どこか行こうよ」


「どこかって?」


「うーん、分かんないけど、どこか。ほら、私たちさ、あんまり遊んだりとかしたこと無かったよね? だから、どこかに行きたいの!」


 随分と抽象的で、夢物語のように希望的な話だ。

 府川さんが元に戻る保証なんて、どこにもありはしないのに……。


 でも、これは夢だ。

 だったら少しくらい希望的な事を言っても良いのかもしれない。


「……俺は、静かな所に行きたいかな」


 ボソリと呟いた俺に、府川さんはすかさず声を上げる。


「良い! 良いね! 優太郎君! その後はさ、楽しくてにぎやかなとこにも行こう!」


「賑やかな所……祭りとか?」


「うん! あとは、海とかも良いかも!」


 楽しげに未来の事を語る府川さんを見ていると、まるで昔に戻ったような気持ちになる。


 やっぱり、府川さんは素敵だ。

 何でもない事を楽しそうに語る所とか、海を賑やかな場所だと捉えている所とか。

 俺には眩し過ぎるくらいに輝いて見える。


 今この瞬間が楽しくて仕方が無い。そんな表情が好きだった。

 いつかの休み時間みたいに、俺は今ドキドキしている。


 俺も、未来の話をしよう。

 山にだって行きたい。北海道なんかも良いかもしれない。そうだ、遊園地も良い。


 俺はその時、きっと自然に笑えていた。

 話したい事があって、気が付いたら口を開いていた———



 ———そこで、目が覚めた。



「…………くそ」


 周囲を見渡しても、そこにあるのは見慣れた自室。

 話した事も、感じた事も、全部虚構だと突きつけられる。


 ……夢なんて嫌いだ。


 俺は不貞腐れて布団に潜り込む。

 学校なんて知らない。

 今日はもう、適当な理由をつけて休んでしまおう。


 ゆっくりと目を瞑る。

 また同じ夢を見られるようにと祈りながら……。


+++++


「ん、……?」


 物音で目を覚ます。

 俺はゆっくりと瞼を持ち上げ、回らない頭で周囲を眺めた。


「あ、おはようお兄ちゃん。起こしちゃったか?」


「あれ……香菜ちゃん」


 ベッドの横に座り込んでいる香菜ちゃんと目が合う。


「ほら、今日学校を休んだろ? 熱が出たって聞いたから、おみまいに来た」


「ああ、ごめん。ありがとう……」

 今日はズル休みだったから、罪悪感で少し胸が痛む。


「もう、熱は大丈夫なのか?」


「ああ、というか熱というよりも……ちょっと嫌な夢を見ちゃってさ」


「……夢?」

 俺の言葉を聞き、香菜ちゃんの目が露骨に険しくなる。


「あ、ごめん、勘違いさせちゃったかも。べつに悪夢とは関係なくて、普通の嫌な夢だから。ほら、最近色々あってちょっと、こう、夢にも府川さんが出てきたというか……」


「夢の中の府川幸子はどんな外見をしていた?」


「え、いつもの肉塊の姿だけど……」


「……っ! 本当か!?」

 俺の答えを聞き、香菜ちゃんは焦ったように目を見開く。


「え、うん。いやでも、たぶん化け物とかは関係ないよ。今までの悪夢とは違う感じだったし」


「それは、府川幸子に聞けば分かる話だ」


「どういうこと?」


 俺の疑問に、香菜ちゃんは淡々と答える。


「府川幸子に電話して、今日の夢の内容を聞け」


「……なんで?」


「お兄ちゃんの電話が終わったら説明する」


「分かった……」

 ただならぬ様子の香菜ちゃんに不安を覚えつつ、俺は恐る恐る府川さんのスマホに電話をかける。


「もしもし! 府川です!」


 電話は、すぐに繋がった。

 その事に少し安心を覚えつつ、俺は乾く唇を舐めて話し始めた。


「あ、府川さん。久しぶり、白石です。最近会いに行けてなくてごめん」


「ううん! 大丈夫だよ~」

 ピクニックで小動物を潰した時はあんな感じだったが、電話越しの声を聞く限り、府川さんはもう随分と元気そうだった。


「府川さんが思ってたより元気そうで良かったよ。何かあったの?」


「うん! 楽しい夢を見たんだ~、優太郎君が出てきたんだよ!」


 気の抜けた声。

 それとは裏腹に、俺の緊張感は高まり始める。


「……俺が出てきたって、どんな夢だったの?」


「えっと~、私がバス停みたいになって、優太郎君を雨宿りさせてあげるの。前みたいに話せて、楽しかったんだあ」


 バス停という単語で確信する。

 ……俺が見たのと、同じ夢だ。

 アレも悪夢と同じく、化け物に関係のある現象だったのか?


 俺は、慎重に言葉を選びながら言葉を紡いだ。


「他にも、俺が夢に出た事ってあったの?」


「う~ん……あ、そういえば昨日もちょっとだけ出てきたかも。なんか、その時も夢の中で雨が降ってた気がする」


「へえ、そうなんだ。府川さんの中で、なんとなく俺と雨のイメージが繋がってるのかもね」


「へへへ、そうかも。もしそうなら、雨も好きになっちゃうかもね~?」


「はは、そうだね……じゃあ、そろそろ切るよ? ちょっと話したかっただけだから、話せて良かった」


「あ……うん。優太郎君、次はいつこっちに来れそう?」


 その質問に、俺はギクリとさせられる。

 俺は今も、府川さんに会う覚悟が決まっていない。

 しかし俺の虚栄心は「明日にでも会いに行く」と今にも口に出しそうだ。


「えっと……余裕ができたら、会いに行くよ」

 必死で自分を抑え込み、曖昧な返事に留める。


「うん、待ってる! じゃあね!」


 そう言って府川さんは電話を終わらせた。

 俺がすぐにでも会いに来ると信じてやまないその声音が、チクリと俺の胸を刺す。


「……お兄ちゃん、どうだった?」


 香菜ちゃんは観察するように俺を見る。

 その目を真っ直ぐに見つめ返し、俺はゆっくりと口を開いた。


「府川さんも、同じ夢を見ていた」


「っぅ……やっぱりか」


 香菜ちゃんはガシガシと荒っぽく頭を掻き、スマホを見ながらぶつぶつと何事かを呟き始める。

 その様子は酷く焦っている様であり、怒っている様でもあった。

 どちらにせよ、香菜ちゃんは明らかに切羽詰まっている事は明らかだ。


 俺は、恐る恐る香菜ちゃんに話しかける。


「香菜ちゃん。これって、どういう事なの?」


 その時初めて俺の存在を思い出したかのように、香菜ちゃんはハッとした顔で俺を見る。

 そして、苦しそうに唇を噛みしめた。


「……府川幸子は人間ではなく、元来肉塊の化け物だった可能性がある」

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