第24話 夢妄想現実理想、全部嘘

 ……悪夢だな。

 俺は周囲を見渡して確信する、いつもの田舎道だ。


 現実で何度も肉塊と遭遇したからだろうか?

 俺は以前ほどの嫌悪感や恐怖は覚えず、酷く落ち着いていた。


 いつも通り、肉塊は雨に濡れながら震えている。


 どうせ夢だ、また傘を差してやろう。

 俺はいつも通り、おもむろに肉塊の元へと近づいて行く。


「ご……ごめ……ん……」


「……っ!」


 肉塊が、ぶつぶつと何事かを呟いている。

 前回は上手く聞き取れなかったが、今回は違う。

 肉塊は「ごめん」と、そう言っているのだ。


 こんな事、今までの悪夢では起こらなかった。

 今回は、今までの悪夢と違うのか?


 咄嗟に、俺はもう一度周囲を見回す。

 府川さんの部屋だ。

 さっきまで、確かにあの田舎道にいた筈なのに……。


 どうなっている?

 今までは、田舎道で肉塊に傘を差して、それで終わりだった筈だ。

 肉塊が何かを呟く事も、景色が変わる事も無かった。


 俺は少しだけ警戒心を高め、もう一度肉塊に目をやる。

 雨に濡れている訳でも無いのに、肉塊はやっぱり震えていた。


 気が付くと、手に持っていた筈の傘も消えている。


 この脈絡の無さ……いつものオカルト的な悪夢ではなく、普通の夢か?

 ここの所ずっと悪夢や肉塊について考えていたし、普通の夢に肉塊が登場してもおかしくは無いな。


 俺はそう結論付け、再び肉塊を見る。


 ただの夢と分かっても尚、恐ろしい姿ではあるが、やはり所詮は夢。

 グロテスクなだけの肉塊は、いっそ陳腐とすら思えてくる。


 ……この後は、どうしようか?

 どうせ夢なのだから、わざわざ気持ちの悪い肉塊に構ってやる必要もあるまい。


 俺は振り返ってドアノブに手をかけた。

 そこで、一瞬だけ部屋から出る事を躊躇する。


 少しだけ気がかりな事があるのだ。

 肉塊が、雨に濡れてもいないのに震えていた。


 ……別に、気にするほどの事でもない。

 これは、ただの夢だから。


 俺はドアを開け、府川さんの部屋から一歩踏み出す。

 そして十メートルほど歩いた所で、踵を返した。


 ……震えている肉塊に、少し毛布をかけてやるくらいは良いと思ったから。


 気が付くと、俺と肉塊は再び田舎道に佇んでいた。

 右手には、傘がある。


 俺は、そっと肉塊に傘の半分を差し出した。


「…………」


 ずっと何事かを呟き続けていた肉塊が押し黙る。

 そして、ゆっくりと鎌首をもたげるように、肉塊は触手を伸ばした。


「……あ」


 触手の一本が俺に触れた瞬間、肉塊は小さく声を上げる。

 もう一本、俺の存在を確かめるかのように、触手が俺の頬を撫でる。


「優太郎、くん……」


 次の瞬間、肉塊はぐちゅぐちゅと音を立て、這いずるようにして逃げ出した。

 どんどん遠ざかって行く肉塊を、俺はボンヤリと見つめる。


 あの声、府川さんだ。

 どうやら府川さんは、夢の中でさえ肉塊の姿をしているようだった。

 どうせ府川さんの夢を見るのなら、人間だった頃の夢を見たかったな……。


 はあ。

 夢の中とはいえ、府川さんに拒絶されるのは堪えるな。

 ……なんて、もう府川さんを好きでは無いのに可笑しな話だ。


 俺は傘を投げ捨て、その場にしゃがみ込んだ。

 夢の中でも、雨は冷たい。


 霞む景色を眺め、自らの肩を抱く。

 ……寒い、早く目が覚めれば良いのに。


 どんどん服が濡れて重たくなっていく。

 体温が奪われていく。

 手で触れた肩だけが、少しばかり温かい。


 傘を差せば良いのに、傘は見当たらない。

 さっき自分で投げ捨てたのだ。今更、頼るなという事だろうか?

 だとすれば、自分の夢なのに随分と手厳しい事だ。


 気分が落ち込んでも広がる景色は美しいままで、俺は軽く苛立ちを覚える。

 夢の癖に。


 寒い。


 雨は止まない。


 目は覚めない。


 ……嫌な夢だ。


 なんだか、寒くて震えるという行為すら馬鹿馬鹿しく思えてくる。

 だってこれは夢の中だ。

 体がこんなに震えるのにも、大した理由なんて無い。


 俺は、ごろりと大地に寝転んだ。


「……あ」


 視界一杯に、肉塊の影が広がる。

 いつの間に戻って来ていたのか、府川さんは俺に見られている事に気が付くと、ぎゅっと小さく収縮した。


「府川さん、戻ってたんだ。逃げたのかと思ってたよ」

 夢の中だからか、俺らしくも無い刺々しい言葉がとび出した。


「ご、ごめんね……怖がらせちゃうと思って、逃げちゃった」


「じゃあ、何で戻ってきたの?」


 俺の質問に、府川さんは更に小さくなって答える。


「そ、その、遠くから見たら、優太郎君が寂しそうにしてたから……」


「……そっか」

 酷く、優しくて都合の良い夢だ。

 俺は府川さんを好きでないと気づいたのに、それでもこんな夢を見ている。

 自己嫌悪。


「優太郎君、大丈夫? 寒いよね?」


「いや、まあ……うん」


「分かった! じゃあ、待っててね……」

 そう言うと、府川さんはグチュグチュと歪み始める。

 そして十数秒ほどグチャグチャやった後、最後に高く伸び上がった。


 府川さんが、テントのように俺に覆いかぶさる。


「えへへ、屋根でーす」

 頭上で府川さんは楽しそうに笑う。


「府川さんは寒く無いの?」


「うん、大丈夫だよ! 優太郎君こそ大丈夫?」


「……うん」


 府川さんは俺の返事を聞いて「良かった」と呟く。

 そんな言葉が、余計に痛かった。


 止まない雨音を聞きながら、俺は濡れた服を絞る。

 肉塊になった好きな人の下で雨宿りとは、随分と奇妙な時間だ。


「なんかさ、私、バス停みたいだねぇ」

 唐突に、府川さんがそんな事を言い出す。


「バス停?」


「うん、バス停。雨宿りできたり、バスが来るまでぼんやりしたり、そんな感じの場所」


「……良いね」

 よく意味は分からないけれど。


 俺はそっと、府川さんに触れた。


「あ……」

 府川さんは、ビクリと震える。


「触っちゃ、ダメだよ。気持ち悪いでしょ……? それに、傷つけちゃう」


 掠れるような声は酷く寂しげで、俺の胸はまた少し痛んだ。


「府川さんはさ、俺が何日も会いに行ってない事、気にしてないの……?」

 夢の中でこんな事を聞いても意味が無い。

 そう自覚しながら、それでも聞かずにはいられなかった。


「…………」


 帰ってきたのは沈黙。

 静かな肉のバス停の中で、雨打つ音だけ鳴り止まない。

 意味は無い。

 ここで聞ける答えに、意味なんて無い。


 ……それでも俺は、ただ黙って待っていた。

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