第23話 ひび割れて割れない自己同一性

「はぁ……」

 まさか、ここまで情報が集まらないとは。


 俺は放課後に一人、人のいない神社でグルグルと頭を悩ませていた。

 千場や妹さんについて調べるよう香菜ちゃんに言われてから三日、俺は何の成果もあげられていない。


 最初、千場のクラスに行ってみたところ、千場は先週の土曜日からずっと家に引き籠っているとの事で合えなかった。

 次に、府川さんの友人たちにそれとなく肉塊の話題を振ってみたりもしたが、それらしい反応は見受けられなかった。

 ……肉塊の件について調べるなら、やっぱり妹さんに会いに行かないと駄目だよな。


「……はぁ」


 妹さんに会いに行くという事は、府川さんの家に行くという事だ。

 そして勿論、府川さんの家には府川さんが居る。


 俺は結局、ピクニックの日以来一度も府川さんに会いに行っていなかった。


 ……いや、正確に言うと何度か会いには行った。

 ただ、いざ府川さんの家を前にすると思い出すのだ。


 怪談の化け物に追いかけまわされる恐怖。

 怪物によって廃人にされた蓮一。

 府川さんに潰された小動物らしき肉片。

 そうなるともう、俺は府川さんの家の前に一秒だって立っていられなくなる。


 つまり、俺は恐怖を理由にしてずっと逃げているのだ。

 それどころか、自分を誤魔化す為に千場や府川さんの友人を嗅ぎ回って、無駄に時間を浪費した。

 香菜ちゃんの用意してくれた逃げ道に、まんまと縋りついたのだ。


 なにが『俺にできる事をしたい』だ。

 何もできないから、何もしなくても良いとでも言うつもりか?

 ……酷く自分が情けない。


 府川さんから逃げるのであれば、もう俺は千場と何も変わらない。

 そんな認め難い事実から目を逸らす様に、俺は視線を宙へと彷徨わせた。


 ふと、ボロボロの社が目に付く。

 そういえば、ここは神社だったな。


 ……こんな状況だ。

 案外、神頼みも良いかもしれない。


 俺はゆっくりと立ち上がり、フラフラと社に向かって歩く。


「本当にボロボロだな……」

 こんな壊れかけの神社に縋ろうとするなんて、自分が情けない事この上ない。


 俺は自虐的な笑みを浮かべ、じろじろと社を眺める。

 そこで、設置されている小さな箱の蓋が少しだけ開いている事に気が付いた。


 興味本位で蓋を開けてみる。


「うわ……なんだよこれ」


 箱の中には、ぎちぎちに詰められた紙切れの山。

 その一つ一つに違う筆跡で願い事が書かれている。


『そうた君と両思いになる夢を見たいです』

『兄を殺す夢』

『ユメでネコちゃんになりたいにゃー』

『ハナ、カオリ、ミキ、ヨシコにやり返す夢を見せて下さい』

『不幸にしろ』

『クソババアを夢でボコボコにしたい』

『夢で人生を全部やり直したいです。神様お願いします。何でもします。』

『うんこ』

『告白がしたい! ゆめで』


 キツイな……何かのおまじないか?

 神頼みをするにしては、どれもこれも夢を見たいという消極的な願いばかりだが。

 そういうフォーマットでもあるのだろうか?


 随分と稚拙な願い事の群れを見て、どうにも神に祈る気が失せてしまった。


 冷静になってみれば、結局これも現実逃避だ。

 俺が府川さんを好きだと言うのなら、今すぐにでも府川さんに会いに行くべきで、更に言えば、君は怪物などではないと伝えるべきなのである。


「ふ……」


 俺は小さく溜め息を吐いて、社を後にした。

 これではもう、府川さんの事が好きだなんて言えない。


 …………あっ、そうか。

 俺は、もう府川さんを好きではないのか。


 そんな諦めにも似た確信を得て、俺の心は少しだけ軽くなる。

 気が付いてしまったのなら、これ以上は自分を誤魔化せない。


 俺は優しくもなければヒーローでもなかった。

 府川さんに、付き合いきれなかった。

 ……ただ、それだけの事だった。


 ぽっかりと心に開いた穴の分、足取りも軽く家路を辿る。

 俺の影は、長く長く後ろに伸びていた。


 +++++


 枕に顔を埋め、無気力にうずくまる。

 なにも考えず、ぼんやりと。


 むいー、あー、くそー。

 眠れねえ。


 ……当然か、まだ七時だし。

 七時か……あー、いー、はぁ。


 クソクソクソクソクソクソクソクソ。

 あー、ヤバい、何が、ヤバい。ヤバい。


 府川さ……ああ、あー、はぁ。


「……香菜ちゃんに、もう肉塊の事は調べなくていいって言わないとな」

 俺はもう、府川さんを好きでは無い。

 香菜ちゃんを巻き込む訳にはいかない。


 すっと、上体を起こす。

 ボンヤリと虚空を眺め、これからの事を考えようとするが、どうにも思考がまとまらない。


 ぱったりと、上体を倒す。

 分かっていた事だが、俺の中で府川さんはとても大きな存在だったようだ。

 とはいえ、もう俺には府川さんと相対する気力が残っていない。


 寝て起きたら、全部なんとかならないかな……。

 まあ、今は寝る事すらできていないんだが。


 手持ち無沙汰に、枕の縁を指でなぞる。


 ぷるるる ぷるるる


「あー、あ……んあ?」


 スマホが鳴っている。

 ……電話だ。


 めんどくさ。

 もごもごと布団に潜り込んで、呼び出し音を無視する。


 ぷるるる ぷるるる


 しばらく無視を続けていたが、一向にスマホは鳴り止まない。

 手で耳を塞ぎ、小さく小さくうずくまる。

 外界から逃げるように、現実から身を守るように。


 ……るる ぷる…る


 ぷるる……ぷ…るる


 ぷるるる ぷるるる


 耳障りな呼び出し音は、耳を塞いでも薄っすらと鼓膜を揺らし続けた。

 しつこい、しつこい、しつこい、しつこい。

 今は誰とも話すつもりなど無い。さっさと諦めてくれ。


 ぷるるる ぷるる———


「……もしもし、白石です」


「あ! 白石さん! 良かった……」


 電話越しには、随分と嬉しそうな妹さんの声が聞こえてきた。


「ごめん、待たせちゃった? ちょっとテレビ見てて、電話に気づかなくってさ」

 こんな時でも、俺は白々しくそんな事を嘯く。


「いえ、こちらこそすみません! 突然電話しちゃって……」


「大丈夫だよ。それより何か用事?」


 俺の質問に、妹さんは少しだけ口ごもる。


「あ、えっと……最近、あまりお会いできていなかったので」


「いや、ほら、ちょっと会い辛くて」


「そう、ですよね……」


 しばらく無言が続く。

 妹さんは、あれだけ関わっておいてあっさりと逃げた俺をどう思っているのだろうか?

 ……そういえば俺、ピクニックの時に妹さんに告白されたんだっけ。


 妹さんは、俺の事が好きなのか?

 好きって、どんな感覚だったっけ?


「あの、白石さん……」


 ボンヤリと逸れていた思考から、妹さんの声で一気に現実に引き戻される。


「姉とは関係なく、その、どこかへ遊びにいきませんか?」


「え、いや……」

 府川さんとは関係なくって、それは無理ではないだろうか?

 妹さんの見かけは、本当に府川さんと瓜二つだ。

 一緒にいたら、嫌でも府川さんの事が頭を過る。


「ごめん、ちょっと無理かな」


 当然と言えば当然だが、俺は妹さんの申し出を断った。


「…………」


 電話越しに、長い沈黙。


 すぐに後悔が襲って来くる。

 別に、どこかへ遊びに行くくらい良いじゃないか。

 そもそも肉塊について調べるのなら、妹さんとの接触は不可欠だ……なんて。


「あ、誤解させちゃったみたいだね? その、無理っているのは、最近は忙しくて遊びに行くのは無理って意味で、ちょっと会うくらいならできるかなー、みたいな……」


 府川さんの事がもう好きではないと自覚した癖に、俺はそんな言い訳を捏ねるのだ。

 対する妹さんは、電話越しに小さく笑う。


「白石さんは、やっぱり優しいですね……でも、大丈夫です。会うのは、もう少し先にしましょう」


「え、ああ、そう? 妹さんがそう言うなら、まあ」


 そんな曖昧な空気のまま、それとなく妹さんとの通話は終了した。


 ……駄目だ、取り繕った事がバレていた。

 いつもだったら、こんな事にはならないのに。


 俺はスマホを置き、静かに目を瞑る。

 自己嫌悪とも羞恥心ともつかない感情は、それでも収まらない。


 その夜は、夢を見るまで府川さんの事を考えていた。

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