第14話 疑いの目が見つめる未来

「姉さん、白石さんから離れて下さい」


「あ、う、む、無理」


「そう言って、昨日家に帰ってきてから、ずっとナメクジみたいにベッタリ張り付いてるじゃないですか」


「で、でも、わ、私、私たち、付き合ってるし……」


「だとしても明らかに異常ですよ!」


「あ、あ、うぅ、優子は優太郎君と、か、関係ないじゃん」


 府川さんのその言葉に、目に見えて妹さんの機嫌が悪くなる。


「まってまって、二人とも落ち着いてよ」


 今朝から、ずっとこんな感じだ。

 妹さんは府川さんと仲が良いのかと思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。

 府川さんと妹さんの険悪さは、姉妹特有のものなどではなく、明らかにそりが合わない人間同士の険悪さだった。


 色々と落ち着いてきたら、府川さんは妹さんにあずけて、俺は府川さんを元に戻す方法を探そうと思っていたのだが、どうしたものか?


 他にも問題は山積みで、先が思いやられる事この上ない。

 だが、良かった事もあった。

 昨日の夜を境に、俺は府川さんの問題について比較的冷静に考えられるようになったのだ。


 今になって思うと、肉塊になった初日の段階で府川さんとの距離を詰めたり、彼氏が本気で府川さんを受け入れると思っていたり、今までの俺は明らかに判断力が鈍っていた。

 そして、これらの判断ミスは、恐らく府川さんへの過度な期待が原因だ。


 …府川さんへの期待が消えた今の俺は、府川さんの事が好きでは無いのか?

 昨日からずっと、この疑念が俺の中で渦巻いている。

 そしてそれが思考の表層に上がる度に、俺は無理やり思考を切り替えていた。


 何はともあれ、俺にベッタリの府川さんを説得して、香菜ちゃんと接触しないとな。

 どうやって、府川さんを説得しようか?

 本当に、先が思いやられる。


「……はあ」


 俺はこれからの事を考え、思わずため息を漏らした。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 唐突に府川さんが取り乱す。


「え! ちょ、府川さん? どうしたの! 大丈夫だよ、怒ってないから」


 府川さんを優しく撫でて、なんとか宥めすかす。


「あ、あ、ああ、ご、ごめんなさい、ため息、吐いたから、怒らせちゃったのかと、思って」


「そっか、怒ってないからさ、大丈夫だよ」


「う、うん」


 府川さんは、徐々に固くしていた体を緩めて行った。

 昨日独りで公園に放置されたのが相当堪えたのだろう。

 家族と彼氏に捨てられた傷は、深めに見積もっておいた方が良さそうだ。


 だが、ずっと府川家に入り浸っている訳にもいかないのも事実。

 そろそろ家に帰らないと親にも不審がられるし、学校も明後日には始まる。


「さて、俺は一度家に帰ろうと思うんだけど……」


「す、捨てないで、はな、離れたくない、よ」


 少し帰る事を匂わせると、予想通り府川さんは俺の手に触手を巻き付けてくる。

 俺が何とか説得を試みようとしたタイミングで、玄関のチャイムが鳴った。


「あ、私が出ますね」


 そう言って妹さんは、パタパタと一階に下りて行く。

 ……誰だろうか?


「あ、お、お母さんかな?」


 府川さんが、期待するように表面を波打たせた。


 正直、府川さんの母親が帰ってくる可能性は低いと思う。

 だが、それを言っても意味が無いので、俺はただ府川さんを優しく撫でた。

 撫でられるのが気持ち良いのか、府川さんは体の一部を猫のようにグリグリと押し付けてくる。


 気持ち悪い。

 府川さんが寝ている間に胃の中身を全て吐き出していなかったら、今頃吐いていただろう。

 そろそろ慣れてきても良い頃合いだと思うのだが、未だに俺の身体は彼女を拒絶し続けていた。


 俺が不快感を表に出さないよう必死で優しい笑顔を作っていると、妹さんが一階から戻ってくる。


「すみません、白石さんに用があるって女の子が来てるんですけど……」


 女の子? 誰だ?

 ……ああ。


「髪が肩にかからないくらいで、背のちっちゃい子?」


「はい、その人です」


「じゃあ、知り合いだ。ちょっと行ってくる」


 俺が部屋から出て行こうとすると、触手に掴まれて止められる。

 不安そうにしている府川さんの様子を見れば、何を言いたいかは明らかだった。


「……じゃあ、一緒に下りて来て良いから隠れててね?」


「うん!」


 府川さんは嬉しそうにそう返事をすると、もぞもぞと毛布を被って俺に着いてきた。


 これで隠れたつもりなのだろうか?

 なんか、昨夜から府川さんが精神的に幼くなっている気がする。


 蠢く毛布を引き連れて階段を下りる。

 毛布を被って動き回るという行為が楽しくて仕方が無いとでも言うように、府川さんは押し殺したようにクスクス笑っていた。


 一階に下りると、案の定そこには香菜ちゃんが立っている。


「こんにちは」


「うん」


 香菜ちゃんは俺の挨拶に軽く返事をすると、スカートのポケットから小さな石を取り出す。


「なにそれ?」


「まあ、いいから」


 香菜ちゃんは、軽くその石を放る。

 石はコツンと府川さんに当たり、鈍く光った。


「……よし」


「えっと、何したの?」


「そいつを眠らせた」


 俺は慌てて府川さんの方に駆け寄り、毛布を剥がす。

 府川さんは緩慢な動きで伸縮を繰り返しながら、静かな寝息を立てている。


「え? 目、覚ますよね?」


「ああ、大丈夫だ。それより、早くその布団でソイツを隠してくれ。キツイ」


 香菜ちゃんは心底はダルそうに項垂れている。

 妹さんが平気そうだったから、府川さんの姿が堪えているのは俺だけなのかと思っていたが、香菜ちゃんもなのか……。


 まあ何にせよ、謎の小石のお陰で香菜ちゃんがある程度オカルトに詳しそうだという事が分かった。

 ひとまずは頼りにさせてもらおう。


「それで、何で府川さんを眠らせたの?」


「ソイツ、今精神的に不安定だろ? これから話すことは聞かせない方が良いと判断した」


 ……これから俺は何を聞かされるんだ?


「昨日、お兄ちゃんの話を聞いて、騒動の原因は呪いの可能性が高いと判断した。後は何の呪いか特定できれば解呪の方法も分かるんだが、私の蔵書からは分からなくてな。それで、お兄ちゃんに話を聞きに来た」


「え……と……その、府川さんに掛けられている呪いの正体が分かれば、府川さんは元に戻るって事?」


「ああ、そうだ」


 香菜ちゃんは、事も無げに頷いて見せる。


 ……信じられない。

 昨日の今日で、ここまで分かるものなのか? 


「何でも答えるよ! ありがとう! ほんと、ありがとう!」


「そう急ぐな。まだ、どんな呪いかまるで分かっちゃいないんだ。それでな、呪いに掛ったってことは、呪いを掛けた奴がいるってことだ。今日は呪いを掛けそうな奴の心当たりが無いか聞きにきた。誰か、いないか? ソイツに恨みとか、妬みとかがありそうな奴」


 恨み、妬み、府川さんに? ありえない。

 と、今までの俺なら言っていただろう。

 だが、冷静に考えると府川さんの純粋な性格は、性悪女子からの受けは悪いだろう。

 後は、単純に府川さんと近しい人間も怪しいな。


「パッと思いつくのは、府川さんの両親、彼氏……いや、元彼氏か。あと妹さん、府川さんの友人二人、クラスの性悪女子とか、そんな感じかな?」


 俺の言葉を聞き、香菜ちゃんは考え込むように小さく唸る。


「なるほど、な……あれだけ大きな効果のある呪いだ、相当に大きな感情が無いと掛けられない。さっき上げた奴等の中でも、特に大きな因縁がありそうな奴はいるか?」


「大きな因縁、か……」


 府川さんの性格を考える限り、家庭に問題があったとは思えない。

 元彼氏とは、少なくとも府川さんが告白するまでほとんど関りは無さそうだった。

 そして友人二人やクラスの女子と深い因縁があると感じた事は、今までの学校生活で一度も無い。


 ここまで一つずつ可能性を潰して考えたが、そんな事をするまでもなく明らかに怪しい人物が一人。

 …………妹さんだ。

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