第13話 本音を言っても嘘になる、なんて

  街灯だけが頼りの夜道を超えて、俺は府川さんの家に辿り着いた。右手に触手を、左手に鍵を握って、カチャカチャとドアを開ける。


  家に入ると、すぐに妹さんが降りて来た。


「あ、白石さん! すみません、すぐに公園へ行こうと思っていたんですが……」


「いや、大丈夫だよ。それより、府川さんの事を任せて良いかな?」


「あ……はい、大丈夫です」


 俺は妹さんの返事を聞くと、軽く会釈してそのまま帰ろうと振り返る。


「ま、まっ、て……!」


 触手で、控えめに服の裾を摑まれた。


「ゆ、優太郎君……おいて、いかないで」


「いやでも、もう遅いし……」


 俺の言葉に、府川さんはグチュリと嫌な音を立てて歪む。


「……やだ、おねがい、ねえ、おいてかないで? ずっと一緒にいてくれるって、だって、怖い、やだ、独りはやだ、私、ねえ、なんでも言うこと聞くから、やだよ……やだ、やだ、やだ」


「ああ、分かった、不安にさせてごめんね? 今日はずっと一緒にいよう」


 そんな歯の浮くようなセリフを吐いて、俺は優しく府川さんの表面を撫でる。

 ネトネトとした内臓のような感触。柔らかさが、手にへばりつくようだ。


 俺がゆっくりと撫で続けていると、徐々に府川さんは弛緩していった。


「好き、好き、優太郎君、一緒にいてくれるんだ? 好きだからね、好きだから、好きだよね? 一緒にいてくれるんだ」


 府川さんは溶けたように地面に広がりながら、下品で媚びた言葉を並べた。

 ……吐きそうだ。

 でも、府川さんをこんな風にしたのは俺だ。

 大丈夫、大丈夫、ずっと俺が望んでいた言葉ではないか。


 現実を呑み込む。


「妹さん、そういう事だから今夜は泊まっていっても良いかな?」


「あ、はい、私は大丈夫です……白石さんは、大丈夫なんですか?」


「うん、もともと親には帰りが遅くなるかもって伝えてたし、泊まりになったって連絡入れれば大丈夫だと思う」


 俺は、努めて明るくそう言った。

 妹さんが親の事を心配している訳では無いと知りながら。


 尚も心配そうにしている妹さんを置いて、俺は府川さんと共に二階へ上がった。


 府川さんの部屋。

 一度は入ってみたかった場所、二度とは立ち入りたくない場所。


 ……やはり、外から戻った直後は臭いがキツイな。

 俺は床に散らばったベッドや椅子の残骸をどかしながら、寝具の準備を進める。

 その間も、府川さんが俺の服から触手を離す事は無かった。


「あ、府川さん。布団敷いた後に聞くのもなんだけど、俺も一緒の部屋で寝て良いの? アレだったら、府川さんが寝付いてから俺は廊下で寝るけど」


「だ、大丈夫……ありがと、優太郎君。えへへ、大好き」


 俺の提案に、府川さんは嬉しそうにそう答えた。

 その『大好き』は、俺が学校で何度もドキッとさせられた『大好き』に似ていた。

 俺は今回も、ドキッとした。


 やはり、この肉塊は府川さんなのだと思い知らされる。

 しかし同時に、どこまでいっても肉塊なのだ。


 ……俺は、府川さんのどんな所が好きだった?


 目を閉じて、ふと湧いた自問を追い払う。

 そして、ズルズルと布団の上に移動した府川さんに掛布団をかけてやった。


「ね、ね、優太郎君……お、お話し、しよう? お話し、優太郎君が、なんで私に告白してくれたのか、き、聞きたいから」


 さっきのやり取りで少しは気が紛れたかと思ったが、まだまだ不安そうな声音だった。

 きっと、他者から肯定されて安心したいのだろう。

 今の府川さんは、自分で自分を肯定する事すらできないのだ。

 ……はは、俺かよ。


 優しい笑顔を保ったまま、俺は府川さんの寝ている隣の布団に寝転ぶ。

 そして、ずっと俺の服を握っていた触手に、そっと手を触れた。


「俺は、府川さんの色々なところが好きだよ。純粋なところとか、可愛い声とか、優しい性格とか、本当に色々」


「……私、優しくなんてないよ。私の事を本当に大切に思ってくれてたのは優太郎君だけだったのに……振っちゃったし」


「そんな事無いって、しっかり振ってくれるのも、それはそれで優しさだよ? それにほら、俺以外の人達も突然の事だったから驚いただけで、ちゃんと府川さんの事を大切に思ってくれてるんじゃないかな?」


 思っても無い事を口にする。

 こんな事ばっかり、俺は得意だ。


「えへへ、ゆ、優太郎君がそう言うなら、そうかも……」


 果たして府川さんは純粋で、俺の言葉を聞いて安心したように笑った。


 控えめに俺の指に触れていた府川さんの触手が、ねっとりと俺の腕に巻き付いてくる。

 それは太り過ぎたナメクジのようで、糸を引きながら舐るように蠢く。


 ……気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。

 顔が強張りそうになるのを堪えながら、必死で嘔吐感を我慢する。


 まだ、まだだ。

 今、トイレに行きたいと言ったら、触手が絡みついた事に嫌悪感を覚えたとバレてしまう。


「ゆ、優太郎君は、わ、私と付き合えてうれしい……?」


「そりゃあ、まあ、ね?」

 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。


「そ、そっか、えへへ……私も、好き、好きだよ、好きだから、一緒にいて、ね……?」


「勿論! 今までも、ずっと一緒にいたでしょ?」

 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。


「今までも……うん、うん! そう、そうだよね!」


 じわりと、府川さんから異臭を放つ液体が滲んだ。

 この液が嬉し涙か、それとも涎か、今の俺にそれを判断する余裕は無い。


 少しだけ強く、俺の腕を握る触手に力が込められた。


 シンと静まり返った府川さんの部屋は、酷く非現実的な空間に思える。

 それでもここは現実で、隣に横たわるのは肉塊だ。


「……ねえ、優太郎君?」


 沈黙を破るのは、府川さんの珍しく改まった声。


「うん、どうしたの?」


「…………わ、私は」


 震えた声で、府川さんは言葉を紡いだ。



「……私は、府川幸子かな?」



 その問いを提示した府川さんは酷く不安げで、とても弱々しい。


 俺は、脳に満ちる『気持ち悪い』を必死で締め出した。

 だってこれは、真剣な話だ。


 目を背けたくなる程にグロテスクな姿。

 それでも俺は、府川さんを真っ直ぐに見つめた。


「府川さんは、府川さんだよ」


 俺は、本心をハッキリと口にする。


「……でも、千場君も、お父さんも……お母さんも、私の事を化け物って、怪物って言った、よ?」


「俺は、ずっと府川さんって呼んでる」

 ……なんて。


 それを聞いた府川さんは、嬉しそうに「うん!」と言った。

 俺は、そんな姿を見ても醜悪だとしか思えなかった。


 やっぱり、俺は自分が嫌いだ……。

 じゃあ俺は、何が好きなんだっけ?


 その夜、府川さんが寝付くまでの間、俺はボンヤリと肉塊の蠢くさまを眺めていた。

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