第11話 愚者は独りで考える

 のっぺりと屹立する肉塊。

 その姿はどこまでも悍ましく、黒い影を落とす。


「あ、あああ、ああ!」


 彼氏君はガタガタと震え、恐怖に染まった目で茫然と府川さんを見上げる。


「わっ私だよ! 千場君の彼女の! 幸子だよ! 大丈夫、大丈夫だから!」


 府川さんが声を震わせ、ズルリと前に出る。


「ひっ! く、来るなあ! お前みたいな! ば、化け物が! 俺の彼女なわけあるか!」


 そう吐き捨てると、奴は府川さんに背を向けて逃亡した。



「……は?」



 いやいやいやいや、待て、待てよ、止まれ、引き返せ、優しくて正義感が強いんだろ?

 俺なんかと比べ物にならないくらい、府川さんに選ばれるくらい、凄い奴なんだろう?

 何で逃げてんだよ? 共感して、慰めて、励まして、抱きしめろよ!

 彼氏なんだろ? 好きだから付き合ったんだろ? 


 沢山の疑問に脳が埋め尽くされる。

 しかし同時に冷静な自分が、充分にあり得た結果だと結論を下す。


 想定できた筈の事態だったのに!

 俺は奴を過大評価して現実逃避していた。

 ようやく府川さんから解放されると、都合の悪い可能性を排していた。

 ……最悪だ。


「やだ、やだよ……好きって言ったのに、振られちゃった……化け物じゃ、ないよ…………幸子、なのに、私、幸子なのに……」



 そんな消え入りそうな声が聞こえた瞬間、俺は駆けだしていた。


 府川さんが振られるだと? ありえない。

 まだだ、まだ間にあう。

 今から奴を連れ戻し、府川さんの事を受け入れさせれば、まだなんとかなる筈だ!


 必死で辺りを見渡しながら夜道を走る。

 あいつさえいれば! まだ巻き返せる。

 しかし、俺の目の前に広がるのは闇ばかりで、人の気配は一切感じられない。


 クソ! 奴はどこに逃げた? 家か?

 いや、どこに逃げたかは関係ない。

 あんなに半狂乱になって走っていたんだ、体力が尽きてどこかでへたり込んでいるに決まってる。


 きっと、きっと見つかる筈だ。

 尤も、体力が尽きそうなのは俺も同じだが。


 ……あ! 

 焦りが募る中、ついに俺は人影を発見した。


「待て!」


 俺は人影を追って角を曲がる。


「あんな姿でも府川さんなん……あ」


 目の前にいたのは、香菜ちゃんだった。


「ごめん、人違いだった。あのさ、俺と同じくらいの年齢の男見なかったかな?」


「見てない。それより、そんなに焦ってどこへ行くんだ?」


 香菜ちゃんは、俺の顔を凝視しながら問うてくる。


「こっちの話だから、ごめん……」


「教えろ、たぶん解決できる」


「は?」


「化け物とか、呪いとか、そういうのだろ? 私は、そういうの得意だ」


 自信ありげに、香菜ちゃんは腕を組む。


 ……何故、俺が化け物について困っていると分かった?

 信じて良いのか?


 それに、いくら中身が府川さんでも、万一の事はあり得る。

 中途半端にオカルトをかじっている程度なら、あまり香菜ちゃんを巻き込みたくない。

 だが同時に、もし香菜ちゃんが本物の化け物専門家なら頼らない手は無かった。


「……なにを根拠に、香菜ちゃんはそんなオカルト的な単語を出したの?」


「化け物に魅入られてる奴は、眼が変。前に一緒に帰った時は少し違和感があるくらいだったけど、今は悪夢を見てるみたいな眼をしてる」


 悪夢という単語から、嫌でも雨と肉塊の夢を思い出す。

 あの夢に出てきた肉塊と、府川さんの肉塊化は、ほぼ確実に関係があるだろう。


 ……信じるか?


 それに、十分くらい奴を探し続けても見つけられていない以上、そろそろ公園に戻って府川さんを落ち着かせたい。

 よし、どちらにせよ公園に戻るなら、あくまで保険として香菜ちゃんには来てもらおう。


「じゃあ、ついてきて」


 香菜ちゃんが頷くのを確認すると、俺は公園に向かって走り出す。

 香菜ちゃんは、難なく俺のスピードについてきた。


 鍛えてんな……いや、俺の足が遅すぎるのか?

 まあ、付いて来れている分には問題ない。

 それよりも、問題は府川さんへの対応だ。

 俺が彼氏を連れ戻せなかったせいで、最悪の事態になってしまった。


 次に彼氏にアクションを掛けられるのは、学校が始まる三日後の月曜日。

 それまで、俺は府川さんを慰める事くらいしかできない……最悪だ。


 そもそも俺が府川さんに彼氏を頼るよう言わなければこんな事にはならなかった。

 そんな俺が府川さんを慰めるだと? できる訳が無い。

 うん、こういう時は家族から慰めてもらった方が良いはずだ。


 俺は走りながら妹さんに電話を掛けた。

 すると、すぐに妹さんの声が聞こえてくる。


「もしもし、ふ、府川、です」


「あ、妹さん? 白石です。あのさ、急で悪いんだけど、親御さんと一緒に大丘公園まで来てくれない? その……府川さんの彼氏に府川さんの現状を受け入れてもらえなくてさ、落ち込んでるんだ。それで、ちょっと府川さんを慰めて欲しいというか、一緒にいてくれるだけでも違うと思うから……」


「わ、私は、行けるんですけど、両親は、その、姉が気持ち悪くなってから家に帰ってないので……」


「え……?」


 初耳だ。

 もしかして、府川さんの母親は最初から逃げるつもりで俺に鍵を渡したのか?

 じゃあ、俺は親すら頼れなかった府川さんに、勇気を出して彼氏に打ち明けろなんて無責任な事を……。


「妹さん! できるだけ早く! 公園まで来てくれ!」


 妹さんの返事を待たずに電話を切り、自分は全力で走る事に集中する。


 最悪だ。俺は結局、何をやった?

 友達として近くに居続ける事すら放棄して、彼氏という府川さんの心の拠り所を完全に潰して!

 だいたい俺が府川さんの家に行かなかったら、府川さんの親は娘を俺に押し付けようなんて血迷った事をしなかったんじゃないか?

 いや、そもそも俺が告白なんてしなかったら、府川さんは奴に告白をしなかった。

 そうすれば今みたいに打ちのめされる事も……。


 思考が淀み、府川さんの消え入りそうな声がフラッシュバックする。

 瞬間、足がもつれ俺は盛大に地面へと倒れ込んだ。


 クソ、転んでる暇なんて無いだろ。

 すぐ立って、すぐ、立って…………



 俺、行かない方が良いんじゃないか?



 そもそも、俺がこれ以上なにかしてどうなる?

 また状況が悪くなるだけなんじゃないのか?

 だいだい、好きだなんて言って、俺は府川さんの心情を何も察していなかったじゃないか。

 ……というかもう、どうにもならないだろ。


 思考が、停止する。


 俺はもう、走るどころか立ち上がる事すらできなかった。

 転んで動かなくなった俺を不審に思ったのか、香菜ちゃんが立ち止まって振り返る。


「おい、お兄ちゃん? 怪我したのか?」


 俺を見降ろす香菜ちゃんの顔は、逆光で良く見えない。


「……泣いてるじゃんか」

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