第9話 雨の冷たさが気になるようになった訳
無言でケーキを貪る時間が、ただひたすらに苦痛だった。
しかも、無言だからすぐにケーキ食べ終わりそうだし……。
こんなちっちゃいケーキで五百円も取っておいて、カップルデーで安くなっているだなんてよく言えたものだ。
しかし、流石に店に入ってからの会話がケーキを選ぶ時だけなのは不味い気がする。
お茶を飲み終わる前に手を打たねば。
「すみませ~ん、このカップルドリンクも追加でお願いします」
「かしこまりました~」
よし、これで少し時間が稼げる。
「俺、ちょっとトイレ行ってくる」
「あ、はい」
唐突に話しかけられてビクッとした妹さんを後目に、俺はトイレへ向かう。
トイレの個室に入ると、俺は便座に腰掛けた。
無論、便意を催した訳ではない。
スマホでデート中の話題について検索するのだ。
俺は昨日のうちにブックマークしておいた『デートで使える! イチオシ! 話題二十選!』というサイトにアクセスする。
……なるほど、流行の食と服と曲について話せば良いのか。
全ての話題において造詣が深くないぞ! どうしよう!
えーっと、あ、知らない場合は質問とか、共感でも良いって書いてある。
よし、散々無知を晒しつつ共感しよう。
とりあえず、優越感と仲間意識をくすぐる方向でいけばなんとかなりそうで良かった。
安心した俺は、意気揚々とトイレを後にする。
「ただいま。あ、もう飲み物きてたんだ」
「あ、おかえりなさい。あの、二種類味があるみたいですけど、どっちにします?」
妹さんの言う通り、テーブルの上には青と赤の液体が乗っていた。
嫌に毒々しい色合いだな。こんなものをカップルドリンクと称しているのか?
「妹さんは、どっちが良いの?」
「し、白石さんの飲みたい方を飲みたいです」
「……とんでもない事言うね」
「え! あ! すみません! 駄目、でしたか?」
「いや、駄目じゃないけどさ」
俺、結構嫌われてたのか?
やっぱ、ケーキ食べてる間ずっと無言なのは不味かったみたいだな……。
「じゃあ、俺は赤い方飲みたいから、赤いの飲んでいいよ」
「ありがとうございます!」
満面の笑みで、妹さんは赤いジュースを飲み始める。
なんとも言えない気分だ。
……もういいや、さっさと食の話題を振ろ。
「妹さんは、どんな食べ物が好きなの?」
「ショートケーキです」
「ああ、さっきも頼んでたもんね」
「はい、また食べたいです」
この娘、既に次の食事に思いを馳せているのか?
食欲無盡か? 甘いものは別腹って奴か?
胃が複数あるのか? もしかして牛さんなのか?
また食べたいというのは、反芻の事なのか?
吐き出してしまうのか? それを再び食べちゃうのか?
俺の疑問も彼女の食欲と同じように無盡だが、放つ言葉は決まっている。
「それな~」
共感の意を示す魔法の言葉だ。
こんな感情も思考も空っぽで、嘘とよく似た言葉を吐きたくは無い。
だが、素人が変に拘りを持っても失敗する事は目に見えている。
だから、俺は黙って『デートで使える! イチオシ! 話題二十選!』の言う通りに、ただただ質問と共感を繰り返すのだ。
質問。
「その赤い奴、どんな味なの?」
「えーと、なんか甘くて、少し酸っぱいです」
共感。
「あー、俺のも同じ味だ。ちょっと酸っぱいよね~」
「はい、結構美味しいです!」
共感。
「それな~」
質問。
「ケーキはどんな感じだった? 一生懸命食べてたけど」
「とても美味しかったです。でも、し、白石さんと一緒に食べたからかも、しれないです。今まで、食べ物を美味しいと感じた事が無かったので……」
それな~……いや、なんで俺におべっか使った。
ケーキの味と俺の有無は関係ないだろ。
それとも、俺って実は砂糖だったのか?
ケーキに無くてはならない存在なのか?
甘党に愛され続けているのか?
そもそも、このシステマティックな会話は何だ! 退屈過ぎるだろ!
それとも、ここで自分を最後まで殺しきれる者だけが、デート成功という栄光を掴めるとでも言うつもりか?
……はあ、難易度が高すぎる。
とはいえ、ここで挫ける訳にもいかない。
さっきの返答を聞く限り、お世辞を言われるくらいには妹さんからの好感度を回復できたみたいだし。
後は、俺が妹さんの外見に引っ張られないようになれば今日の目的達成だ。
あれ? それなら寧ろ、ちゃんと会話をして妹さんの人となりを把握した方が良くないか?
よし、もっと会話しやすい場所に移動しよう。
「ずっと居座っててもアレだし、会計済まそっか?」
「あ、はい」
そうして俺は二千円を失い、ようやく無駄にオシャレなカフェを出る事ができた。
あんな意味不明でカップルデーとか言っちゃう空間、もう二度と行きたくない。
振られたばかりだから、余計にそう思った。
「この後、どこか行きたい場所とかある?」
無論、本当に行き先の希望を知りたい訳では無い。
妹さんは最初に、遊ぶ時にどこへ行けば良いか分からないと言っていた。
そしてその言葉の真偽に関わらず、妹さんはその設定を守ろうとするだろう。
であれば、妹さんは行き先の決定権を俺に委ねる。
こうして俺は、めでたく自己中心的な感じを出さずに行き先の決定権を得るという算段だ。
先ほどの虚無ニケーションとは打って変わって、思考をふんだんに詰め込んだ言葉の反応を伺う。
さあ、俺に決定権を委ねるのだ。
「あ、えと、し、白石さんが、姉と一緒に行ってみたかった場所に行きたいです」
妹さんはもじもじしながら、そんな言葉を口にした。
……この娘、府川さんの代わりにでもなるつもりか?
いや、そこまで献身する理由が見当たらない。
ほとんど他人の俺を元気づける為にわざわざ遊びに誘った時点で、ある程度お人好しな性格だと察する事はできるが、それにしても限度というものがある。
というか、ここで俺が水族館に行きたいって言ったら、俺が府川さんと水族館に行きたかったって思われないか?
いやまあ、行きたかったんですけどね。
四回くらい一緒にイルカショーを見る妄想をしましたけどね。
イルカショーを見た後にお揃いのイルカのアクセサリーとか買ってあげたりしてね。
あと、魚の餌やり体験で府川さんに水しぶきがかかっちゃうんだけど、上着を貸してあげるんですよ。
はい。
「俺が府川さんと行きたかったのは、水族館かな」
「じゃあ……」
言葉を続けようとする妹さんを遮って、俺は更に言葉を続ける。
「でも、妹さんとは買い物とかしたいかな」
「え、あ、でも、それは……」
妹さんは、しどろもどろになって押し黙ってしまった。
ミスったか?
姉にコンプレックスがあるから姉の代わりに徹しようとしているのかと思って、自尊心をくすぐろうと思ったんだが……いや、単純に俺がキモかっただけかもしれない。
今までずっとデート系のサイトを参考に行動していたが、冷静に考えると遊びに誘われただけだ。
俺、傍から見たら女子から遊びに誘われただけでデートだと勘違いした奴だ。
……最悪。
妹さんが家に帰ったら、府川さんに俺のキモエピソードを面白おかしく語られるんだ……。
俺が酷くネガティブな妄想を巡らせていると、妹さんがおずおずと口を開いた。
「あ、あの、し、白石さん。私と遊ぶの、楽しくないですか?」
「え?」
どういう事だ?
特につまらなさそうな素振りは見せていない筈だが。
「今日の、し、し、白石さんは、どこか違う所を見てるみたいで……やっぱり、私なんかが遊びに誘ったの迷惑だったかなって。私、姉と同じ外見だからって舞い上がってしまって……すみません」
俺とは数回しか会ってないのに、会話内容だけで違和感を察したのか。
この娘、府川さんより相当洞察力高いな。
「不安がらせたみたいで、ごめん。妹さんと府川さんがそっくりだから、まだ俺も混乱してて……俺さ、妹さんの事をもっと知りたいんだよ。公園とかでゆっくり話したいんだけど、駄目かな?」
「あ、うう、あー、す、すみません……まだ、無理です。すみません、では、その、今日は本当に楽しかったです! あの、さようなら」
「あ……」
妹さんは、そのまま走り去ってしまった。
洞察力高そうだから割と正直に返答したのに、何が駄目だったんだ……?
やっぱキモかったのかな、俺。
……帰ろ。
俺は独り、トボトボと歩き始める。
「……ん?」
雨だ。折り畳み傘、持ってきといて良かった。
雨粒が傘に弾かれる音は予想していたよりも大きく、すぐに雨脚が強くなりそうだと感じる。
結局、今日は妹さんと微妙な感じになっただけだったな。
何がいけなかったのだろうか?
本当に、人の気持ちは良く分からない。
パタパタと傘を打つ雨音が煩くなってきた、すぐに視界も悪くなるだろう。
はあ、雨は憂鬱だな。
俺が憮然とした態度で歩いていると、ずぶ濡れで立ち尽くす妹さんを見つけた。
「……っ!」
悪夢がフラッシュバックし、彼女の姿に肉塊を幻視する。
瞬間、頭を殴られたような衝撃と共に気分が悪くなり、めまいがした。
……吐き気がする。
訳が分からない、アレは誰だ?
肉塊? 府川さん? 妹さん?
そもそも、現実なのか? これも悪夢か?
あのポツンと佇む姿は、正しく悪夢のソレだ。
肉塊なのか? いや、人だ。人も肉塊だ。
悲壮に濡れる背中が、妙にかわいそうだ。だから何だ。
府川さんか? 肉塊が? 正気か? 人だ、人だ。だから何だ。
これも夢か? いや、現実だ。だから何だ。
だから何だ。大切なのは、あの娘が独りで濡れている事だろう。
傘を差してあげなくちゃ。善人ぶるな。
喰われたくないから、傘を差してあげなくちゃ。
奴は人を喰わない。
傘を差してあげなくちゃ。善人ぶるな。
善人ぶるな。
善人ぶるな、利己主義者。
「うわっ!」
荒い運転の車が横を通り、水しぶきが跳ねた。
冷たい水の感覚と共に、呼吸が荒くなっていた事を自覚する。
危なかった、完全に錯乱していた。
今回は、なんとか正気を取り戻したが、あの精神状態のままでは何をやらかしていたか分かったもんじゃない。
思っていた以上に、俺は悪夢と府川さんの件が堪えていたのか?
再び前に向き直り、妹さんを見る。
もう、錯乱する事は無さそうだ。
そうだ、ここで傘を差してやって、今日下がった好感度を少しでも上げとこう。
「……風邪ひくよ?」
自然に、後ろから傘を差す。
俺に気が付いた妹さんは驚いたように身をすくめ、小さく震えた。
「あ、な、なん、で?」
「まあ、その、うん」
何故と問われても、ご機嫌取りですだなんて言える訳も無い。
口ごもっている俺を見て何を勘違いしたのか、妹さんは安心した様な顔で笑った。
「えへ、えへへ、やっぱり、好きな人以外にも優しいじゃないですか」
妹さんは、嬉しそうに傘を持つ俺の手に自分の手を重ねた。
「そんな、涙浮かべるほど笑わなくても」
……なんとも気恥ずかしい。
結局、俺はそのまま妹さんを家まで送っていった。
その間、最後まで会話は無かったが、その沈黙も悪いものでは無かったと思う。
尤も、妹さんがどう感じたかは知らないが。
まあ、家に入る直前で渡された紙に、府川家の電話番号が書いてあったし、妹さんも俺と同じ気持ちだったと捉えて良いのだろう。
何はともあれ、府川家からの帰り道が久しぶりに気分の良いものになったのだ。
雨も案外、悪くない。
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