第8話 拗れた状況と拗らせた思春期

 今日、俺は府川さんから呼び出しを受けた。

 彼氏にカミングアウトする日が決まったから、俺と細かい話がしたいと言うのだ。

 尤も、いざ話してみたらカミングアウトについての話題はそこそこに、雑談タイムが始まったのだが。


 いや、最初の三十分はまだ良かった。

 俺は今も未練がましく府川さんの事が好きだから、楽しくお話しできていたのだ。

 だが、俺の貧弱なストレス耐性では四十分で限界が来た。


 要するに、俺は例の如く府川家のトイレで吐いている。


 少し話しをしただけでこれなのだから、本当にどうしようもないな。

 精神的ダメージは最初に比べてそこまででもないのだが、体が肉塊の前に相対する事を拒否するのだ。

 いい加減、俺の身体にも慣れて欲しいものである。


「……今日も、吐いているんですね」


 いつの間にか、妹さんが背後に立っていた。

 これからも何回かここに通う以上、できるだけ妹さんからの心証が悪くなるのは避けたい。


「ああ、ごめん。嫌だったよね、次から近くのコンビニのトイレに行くようにするよ」


 俺は、できるだけ爽やかな笑顔を心がける。

 まあ、吐瀉物をぶちまけておいて爽やかも糞も無いが。


 俺の笑顔に、しかし妹さんの顔は曇ったままだった。


「そうじゃ、ないです。なんで、なんでそんな風になってまで、姉に会いに来るんですか……」


「いや、確かに吐いてるけどさ、精神的には別にそこまででもないから大丈夫。心配しないで」


 俺の言葉に、妹さんは声を荒げる。


「大丈夫じゃないですよ! このままじゃ、し、白石さんが壊れちゃいます!」


「はは、そんな大げさな」


 本当に大丈夫なんだが。

 俺の行動が何かの琴線に触れたのか、妹さんは更にヒートアップする。


「明日、遊びに行きましょう! し、白石さんは姉が好きだったんでしょう? なら、同じ外見の私と遊びに行ったら息抜きになる筈です!」


 ……とんでもない事言うな、この娘。

 正直言って、妹さんを見る度に肉塊になる前の事を思い出すから、寧ろ辛くなるのだが。

 まあ、そんな事言える筈も無いけれど。


 ここは、それとなく断るのが正解だ。


「気持ちは嬉しいけど、俺は大丈夫だから」


 少し困ったような笑顔を作る、これで完璧。


「……そう、ですか」

 妹さんは露骨に肩を落とした。


 …………。


 はあ……ああー、ええと、あ、そうだ、あれだ、そろそろ府川さんと妹さんを分けて考えられるようにならないと今後に支障が出る。

 その問題解決の為にも、今回は妹さんの要求を利用しよう。


 妹さんと仲良くしておいた方が、何かと今後の役にも立つだろうし。

 うん、よし。


「明日の放課後、四時に駅前で待ってて」


 俺がそう言うと、妹さんは一瞬きょとんとする。


「え……あ! 遊びに来てくれるんですね! はい! はい! 待ってます! えへ、へへへ」

 妹さんのしまりの悪い顔を見る限り、好感度はそこそこ稼げたみたいだ。



+++++



 予定の十分前、駅前には既に妹さんが待っていた。

 スマホも触らず、直立不動で。少し怖い。


「早いね、待った?」


「待ちたくて、早く来たんです」


 はにかんで笑いながら、妹さんはそう言った。


 あの直立不動は、待ちの状態を楽しんでいたのか……だいぶ予想外の返しだな。

 俺もそういう予想外のコミュニケーションを求められているのだろうか?

 人畜無害な一般男子高校生的会話以外は不慣れなのだが……不安だ。


「とりあえず、近くのカフェでも行く? どこか行きたい場所とかあるならつきあうけど」


「あっ、ええと、すみません。あんまりこういう時に行く場所って、良く分かんなくて……」


 もじもじとそんな事を言われてしまったので、俺達はカフェに行く事になった。

 昨日散々下調べしといて良かった。

 というか、俺が遊ぶ場所に駅前を指定しなかったら、この娘は今日何をするつもりだったのだろうか?


「いらっしゃいませ、二名様ですか?」


「はい、二人です」


「今日はカップルデーとなっておりますので、ケーキがお安くなっております。良かったらどうぞ~」


「ああ、はい。ありがとうございます」


 ……カップルデーってなんだよ、こっちは振られた女の妹と来てるんだぞ?

 カップルなんかより、よほど複雑怪奇だろうが、ケーキ無料にしろ。


 俺はナーバスな気分で席に着き、メニューを妹さんに渡す。


「…………」


 妹さんは固まったまま、一向にメニューを開こうとしない。


「どうした?」


「えっあっあのっカ、カカ、カップルって恋仲の男女の事ですよね?」


 妹さんは、真っ赤になりながらそんな事を聞いてきた。


「一応、一般的にはそうだけど……」


 高校生にもなって、こんな初心な反応するか?

 いや、でも府川さんの妹だしな……府川さんの妹、か。


「あの……」


 恥ずかしそうに、妹さんがチラチラ見てくる。

 府川さんと同じ可愛さだ。複雑である。


「わ、私達って、いつから交際を開始していたのでしょうか……?」


「いや、カップルって男女一組とか、一対とか、そんな感じの意味もあるから。俺達が付き合ってなくても、安いケーキは食べられるよ」


「そ、そうでしたか……」


 真顔で雑学を返してやったら、妹さんは少しシュンとしてしまった。

 少しいじわるだったかな?

 こういう府川さんと似てるから発生する嫌さを払拭する為に、今日は遊ぶことにしたのに。

 ……ちゃんと切り替えよう。


「ほら、一緒に何食べるか選ぼう?」


「あ、はい」


 メニューをお互いに見えやすくなるように横にして置く。

 妹さんは、本当に真剣な表情でメニューを見つめている。

 女子高校生は、みんなこうやって時間をかけて悩むものなのだろうか?

 毎回ケーキを食べる時はチーズケーキしか頼まない俺とは無縁の感覚だ。


 五分ほど何のケーキを食べるのか悩むふりを続けていると、遂に妹さんは何を頼むか決めたようだ。


「私、甘々苺ショートにします!」


「あー、それ美味しそうだよね。俺は、うーん……この大人のカラメルチーズケーキにしようかな」


 そのまま注文し、ケーキが来るのを待つ。ここからが鬼門だ。

 学校で友達が府川さんしかいない俺は、致命的に話しを切り出すのが苦手だ。

 いや、むしろ話を切り出すのが苦手だからこそ、優しい府川さんしか友達がいないとも言える。


 妹さんが自分から会話を始められる性格なら良かったのだが、さっきから妹さんは俺をジッと見つめるばかりで、一言も発さない。

 その点を鑑みるに、妹さんは俺と同類だと考えて良いだろう。


 ……終わったな。

 学校は英会話じゃなくて、最初に日常会話を教えてくれ。


 クソ~、話さえ切り出してくれれば俺だっていくらでも話せるのに。

 とはいえ、待っていても仕方が無い。

 妹さんを府川さんと切り離して認識するとか、妹さんの好感度を稼ぐとか、俺には色々と目標があるのだ。


 何か、何か話題は無いか?

 ふと、結露したコップが目に入る。

 水、結露、水、雨、あ、雨! そうだ、肉塊の悪夢の話とかどうかな?


 いやー、少し前まで毎日のように府川さんとそっくりの肉塊が夢に出てさー……うん、無いな。


 えーと、なんか、なんか無いか?

 ふと、スマホのメッセージアプリが目に入る。


 そうだ! 連絡先交換!

 一度しか使えないが、アイコンや一言、ホーム画像等々、一気に話題が広がる最強の切り口だ。


「あのさ、連絡先交換しとかない? 今後も何かと連絡とるだろうし。ほら、府川さん関連とかで」


「あ、ええと……すみません。スマホ、持ってないんです」


 申し訳なさそうに、妹さんが俯く。

 現代の高校生でスマホ未所持な人っているんだ……。

 いや、府川さんはスマホを持っていたし、普通に連絡先を教えたくないだけか。


 気まずそうにしている妹さんにフォローを入れようとした所で、店員さんがケーキをこちらに運んできた。


「こちら、カップルセットの甘々ショートケーキと、大人のチーズケーキと、今日の紅茶になります。以上でよろしいでしょうか?」


「あ、はい。大丈夫です」


「ごゆっくりどうぞ~」


 ニコッと笑い、店員さんは去って行った。


 俺と妹さんは、無言でケーキを食べ始める。

 ……デート、難し過ぎるだろ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る