第4話 助けを求められても酔えない
府川さんが、俺に助けを求めている。
そう理解した瞬間、俺は府川さんの家を目指して駆け出した。
このメッセージの理想的解釈は『幸せ過ぎる、助けて!』みたいな惚気のパターンだ。
しかし、そうやって楽観視するには、府川さんの今日の行動が引っかかる。
府川さんは、あまり病気をしない。ましてや、サボりなんてありえない。
だというのに、唐突に学校を休むなんて明らかにおかしい。
府川さんは、既読無視を今まで一度もした事が無い。
どんな時だってスタンプや相槌を駆使して、自分から話を終わらせる事はしないのだ。
この二つの違和感、冷静なら少しくらい気になった筈だ。
不幸に酔って、現実どころか府川さんすら冷静に見られなかった自分が嫌になる。
これで、府川さんが家にいなかったらどうするつもりだ?
というか、彼氏は何をしているんだ?
そもそも、何故彼氏がいるのに俺を頼った?
……不可解な事が多すぎる。
とりあえず、府川さんが家にいなかったら親御さんに説明して警察だな。
ひとまず結論を出した事によって、考えるべき事がなくなる。
結果、次第に思考は最悪の妄想へと移ろって行った。
無事でいてくれ。
純粋な府川さんが、傷ついて歪む所なんて見たくない。
……なんて、昨日しっかり振られた癖に、まだ府川さんに執着しているのか。
我ながら愉快な頭だ。
本当に、俺が助けに行って良いのだろうか?
彼氏にメッセージを送ろうとして間違えたんじゃないのか?
不安が次第に大きくなり、足が止まりそうになる。
ああ、もう。
どちらにせよ、今は行くしかないんだ。
お前なんかに助けて欲しくなかったと言われたら、その時に泣こう。
無理やりネガティブな思考を終了させ、無心に足を動かす。
タッタッタと、アスファルトを蹴る音が嫌に耳につく。
そして、気が付いた。
走るのって死ぬほど辛い。
息が切れ、喉が渇く。
今まで思考に意識を集中させてやり過ごしていた疲労が、一気に実感として襲ってきたのだ。
辛い。なんだ、これ? 拷問か?
足がフラフラする。
体力の無い自分を、これほど忌まわしく思った事は始めてだ。
身体全体が悲鳴を上げ続けている中、それでも俺は走る事を止めなかった。
……今の俺、主人公みたいだ。
まあ、そんな主人公然とした行いも『颯爽と府川さんを助けたら、もしかして……』等と頭を過った時点で、ただの利己的な打算に成り下がる訳だが。
+++++
ようやく、着いた。
俺は、倒れ込むように府川家の玄関のチャイムを押す。
「ピーンポーン」
…………。
荒い呼吸を繰り返しながら、ジッと扉を見つめて待つ。
時間の流れが嫌に遅く感じる。
もう一回、チャイム押すか?
いや、まだそんなに経っていない。もう少し待とう。
……。
最悪の状況が頭を過る。もう一回、押すか?
……よし、十秒待って返事が無かったら、もう一回押そう。
一、二、三…………六まで数えたタイミングで、返事があった。
「どちらさまですか?」
扉越しに聞こえたのは大人の女性の声だ。
府川さんの母親だろうか?
「府川幸子さんの友達の白石と言います。幸子さんはいらっしゃいますか?」
「あ、ああ、えっと、娘は……調子が悪くて」
……歯切れが悪いな、何か隠しているのか?
何にせよ、府川さんの様子は見ておきたい。
「お見舞いもしたいので、よければ幸子さんに会わせていただけませんか?」
俺が発した言葉を最後に、しばらく無言が続く。
何か、俺を府川さんに会わせたくない事情でもあるのか?
……最悪の場合、この母親が何かしらの加害者である可能性もある。
府川さんから助けを求められている以上、最悪の状況を想定して動くべきだな。
場合によっては、無理やりにでも押し入ろう。
「あの、もし会うのが難しいのなら、見舞い品だけでも渡しておいて下さいませんか?」
ガチャリと扉が開く。
中からは、泣き腫らしたように目が真っ赤になった女性が顔を出した。
「……いえ、お友達から渡してもらったほうが娘も喜ぶと思うので。どうぞ、上がってください」
どうやら、強引に押し入る必要は無くなったようだ。
「お邪魔します」
府川さんの母親に連れられ、家の中を歩く。
……なんだか、少し臭うな。まあ、他人の家だし、こんなもんか?
特に室内に違和感は無い。
俺がそんな事を考えていると、前方を歩いていた府川さんの母親が、階段の前でスッと立ち止まる。
「この階段を上って、突き当りの部屋が娘の部屋です」
それだけ言い残すと、府川さんの母親は逃げるように去って行った。
全体的に、挙動が妙な人だったな。
何かに怯えているような、隠し事をしているような、そんな印象を受けた。
嫌な予感を覚えつつ、俺は階段を上がる。
「うっ」
急に強くなった異臭が鼻を刺す。
なんだ、この臭い? 腐った肉のような、妙に酸っぱい臭いだ。
……死臭?
その考えに至った瞬間、俺は鼻も抑えず駆け出した。
やめろやめろやめろやめろ、府川さんは死んでない。
死ぬとか、現代日本じゃあり得ない。あり得ないから、大丈夫だ。
きっと、たすけてのメッセージだって惚気だ。
本当に助けて欲しいなら、俺なんか頼らない。
大丈夫、大丈夫、大丈夫だ!
転びそうになりながら、半ば蹴破るようにして突き当りの扉を開く。
「府川さん!」
扉を開けた瞬間、強烈だった異臭が何倍にも膨れ上がって鼻を刺す。
だが、そんな事は気にもならないくらいに衝撃的な光景が、俺の眼前には広がっていた。
肉塊だ。肉塊が在った。太り過ぎた芋虫を思わせる、ぶくぶくと醜く膨らんだ、肉塊だ。ところどころ溶けだしかのように汚液を滲ませる、肉塊だ。歪に、混沌と、何の規則性も無く、心臓のように体を蠢かせる、肉塊だ。異臭を放つ、肉塊だ。吐き気を催す、肉塊だ。グロテスクな、肉塊だ。脈打つ、肉塊だ。歪な、肉塊だ。異形の、肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。肉塊だ。
肉―――
「あ、優太郎、君?」
府川さんの、声がした。
悪夢で毎日見ていた肉塊から、府川さんの声がした。
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