学校が動いたら

増田朋美

学校が動いたら

秋が深まり、多くの枯れ葉が地面に落ちる季節もそう遠くない気がした。と言っても、家庭ではまだ暑い日が続き、エアコンを稼働させている日が多く見られる。

今日も、佐藤が、学校の構内で、また下級生を脅して金をとったという。相手の下級生は、この学校から外せない、貴重な存在の女子生徒。まあ、もともと女子高校だから、女子生徒しかいないんだけど。その中にも、ボス的な女子生徒がいて、下級生から、金をとるとか、暴力を振るうとか、そんな事件が、年を重ねるごとに増えてきたと思う。

「小川先生。」

と、不意にほかの教師に、そういわれて、小川常子は、ハッとした。

「またやりましたよ。佐藤都。小川先生の指導なんて全く聞いちゃいないですよ。普通の学校なら、退学を申し渡してもいいのではありませんかね。それを、小川先生が、退学させたら地域が危なくなるというから、彼女をこの学校に入れているんですけどね。もう、佐藤をここに置いておけと主張しているのは、小川先生だけですよ。」

そう言っているのは、自分より年下の校長先生だった。先代の校長先生が昨年定年退職し、その後継人としてやってきた、まださほど年ではない校長先生。でも、常子にしてみれば、教育者としてはなってないような気がする。

「そんな事はできませんよ。彼女をほかの学校に追いやったら、その学校で同じことをすると思います。それは、させてはならないと思います。」

常子は、急いでそう言うのであるが、隣の席に座っていた若い男性教師が、こういう事を言った。

「しかしですね。あの佐藤都の酷さには、呆れるところがあります。私だって、彼女から、何度にらまれたでしょうか。挙句の果てに授業もろくに聞かないで、もう完全に、私達をバカにしていますよね。そんな生徒がいられたら、落ち着いて授業はできませんよ。」

「そうですよ。それに、被害にあった名取さんのお父様が見えましてね、もうこれ以上、意地悪をされるようであれば、転校させるって言っているんです。名取さんといえば、テレビ番組でも有名な方でしょう?それなのに、あそこまで子煩悩なお父様も今どき珍しいかもしれないけど、名取さんにこの学校から出ていかれたら、この学校は、ご破産になってしまうの、おわかりになりません?」

と、別の席に座っていた、若い女性の体育教師が、男性教師に続いて言った。それは、言ってはいけないことでもあるけれど、でも名取さんのお父さんが、テレビ俳優として活躍していて、その莫大な資本から、この学校の再建資金を投資したというのは事実である。その名取さんを、転校させるわけにはいかない。

「先生、もう学校の平和を守るためにも、佐藤都を退学させたほうがいいのではありませんか?大人はこういうことができるんだって、見せてやったほうが、いいのではないかと思うんです。」

と、校長先生が、嫌そうなかおをして、そういった。

「そうですが、もし、彼女が退学したとして、地域で悪事をするようになったらどうするんです?もしかしたら、彼女は詐欺集団とか、そういう事をやらかす可能性は十分にありますよ。」

と、常子は反論したが、

「いえ!彼女の酷さにはもう手が出ません!もうこの学校には来るなと言うことを示したほうが、いいと思いますよ。」

と、体育教師がちょっと、ヒステリックに言うほど、佐藤都の態度の悪さは、学校中知られていた。ほかの生徒が、ちょっと先生に告げ口をしただけでも、佐藤都はその生徒の背骨が折れそうになるくらい暴行を加えた事もある。全く、女子生徒なのに、なんでそんなに力があるのだろう、というくらい、佐藤都は暴力を振るうのだった。確かに、中年の教師たちでは、彼女に殴られれば、大怪我をする可能性もあるかもしれない。それで、教師たちは、彼女をここから出してしまおうとしているのだろう。

「あとは、小川先生が、ここでいさせてあげたほうがいいと言っているだけなんです。あとの先生方は、みんなここを退学させろと言っています。どうですか、小川先生。一番年上の教師だし、経験もあるから私は大丈夫だと思っているのかもしれませんが、ほかの先生方は、みんな佐藤都の暴力に怯えて授業をしているのですよ!」

と、校長先生がみんなを代表してそういう事を言った。でも、常子はなぜか、彼女を退学にしようと言うことはできなかった。

「いえ、その佐藤都だって、いえない事情があると思うんです。佐藤都と、被害者の、名取陽子はもしかした共通点があるのかもしれない。それを、なんとかすれば、もとに戻るのではないでしょうか。」

と、常子は校長先生にいった。

「何を言っているんですか。名取陽子は、俳優の娘ですが、佐藤都はサラリーマンの家庭です。二人に共通点なんてどこにもないじゃありませんか。」

男性教師が、はあと大きなため息をついて、そういう事を言った。確かに、そういうことなのだが。名取と、佐藤は、容姿も家庭の経済力も全く違っている。名取は、学校から遠く離れた広大な屋敷に住み、佐藤は、マンション住まいである。

「小川先生はこの学校で一番年上だから、自分の実力でなんとか、彼女を矯正しようとしているんでしょうが、彼女は、人の言うことなんてまるっきり聞きませんよ。それを、小川先生がご自分で確かめられたらどうですか?」

と、先程の体育教師が、そういうと、そうだそうだ、それがいいとほかの教師たちもすぐに言った。常子は、この学校で、ずっと教師をやってきたし、ある程度、暴力的な生徒に接してくることもあったという自負心が自分にあった。だから、佐藤都を退学にはしないということにしていたのであるが。それと同時に、授業開始のチャイムが鳴ったので、皆、それぞれの授業をする教室に散っていった。

常子は、出席簿を持って、3年2組とドアに表示されている教室に入った。生徒たちは、授業の予習をしているものも居るし、雑誌を読んでいるものも居るが、常子が入ると、急いで、それらをしまって教科書を取り出した。しかし、一番奥の席に座っている、佐藤都だけは、教科書を出さなかった。

「佐藤さん、教科書を出しなさい。」

と、常子は都に言った。

「うるさいな。」

都は、ちょっとかったるそうに言った。

「授業を始めるわよ。ほら、早く教科書を出して。」

常子が言っても都は教科書を出さなかった。

「何をしているの!人の指示に従えない人は、社会に出ても、大人として見てもらえなくなるわよ!」

常子がちょっと強く言うと、

「うるさいわね。社会社会って、脅かしてるんじゃないわよ!どうせ、社会なんて、弱いやつを追い出して、虫けらみたいに殺すだけでしょ!」

と、都は席から立ち上がり、常子を後ろへ突き飛ばした。常子は、それを避けることもできず、もろに受けてしまって、別の生徒の机にごん!と頭をぶつけた。それと同時に、都が常子の顔を踏みつける。殺されるのではないかと思った常子が思わずきゃあと叫んだので、隣のクラスから若い先生が来てくれて、これは傷害事件と言って、すぐに警察に通報してくれた、ところまではわかったのであるが、常子はその後がよくわからなかった。

気がつくと、常子は、病院のベッドの上にいた。養護教諭の先生がそばに付いていてくれていて、佐藤都は、警察が連れて行ったといった。そして、からだの方は、骨に異常はないし、数日安静にしていれば大丈夫だと言った。でも、本当にそれだけだろうか?常子は、もう二度と学校に何か行きたくないほど絶望していた。それを告げて、養護の先生は帰っていったけれど、常子は、もう疲れ切ってしまって、自分は、もう死ぬしかないとか、そんな事を考えていた。

その日は、どうやって眠ったか、常子は全く覚えていない。ただ、ぼんやりして、時間だけが過ぎ去ってしまったような気がする。やがて、病院の窓に朝日が登ってきたのがわかった。そして、看護師や医師がなにか話している様子も聞こえてきた。

「小川さんおはようございます。」

と、一人の十徳羽織をきた男性が、常子の前にやってきた。着物に、白い十徳羽織。江戸時代にでも行ってしまったのかと、常子が考えていると、

「あれ?小川常子先生ではありませんか?」

と、その男性が言った。そのような姿をしているけれど、彼には常子も見覚えがある。

「影浦くん!どうしたの、こんなところで。」

と、常子が思わずいうと、

「それが言えるんじゃ、精神疾患としては、比較的軽度ですね。周りに何も関心が持てなくなのが、普通なので。多分、先生は、うつ病ではなく、ちょっと落ち込んでいるだけだと思いますよ。」

と、影浦は、にこやかに笑ってそういう事を言った。

「それでは、」

「ええ。昨日、養護教諭の先生が、小川先生がうつ病の疑いがあるので、見てあげてくださいと僕に頼んで行ったんです。それで、僕は、先生の診察に今日はこさせてもらったわけです。」

常子が言うと、影浦はそういうのだった。影浦こと、影浦千代吉は、常子がいくつかの学校を巡った中で、その中でも印象に残る生徒だった。あのときの影浦千代吉は、なんだか、へなっとした、とても人の役にたつとは思えない生徒だったような。それが、今や、医療従事者になっているとは。

「影浦くん、医者になったの?」

常子は思わずそう言った。そんなことができそうな学力があったという記憶もない。本当に平凡な学生の一人だったはずのに、今は、医者として、自分のことを見ているのである。

「まあ、端くれではあるけれど、ただのバカも、こういうふうに、医者になることができるんです。先生は、生徒の事なんて、学校に居るときしか見ないから、きっと僕のことを、ただの生徒としか見れなかったんでしょうけど、僕は、ああいう学生を演じないと、あの学校に居られませんでしたからね。それは、先生には絶対見抜けませんでしたよね。まあ、学校の先生は成績でしか生徒を見ませんから、そうなってしまっても、仕方ないでしょうけど。」

影浦にいわれて、常子は、そうなのね、としか言えなかった。結局、彼のほうが、一枚も上手だったのだ。

「それでは、先生。今日は、頭のCTを撮るそうですから。それまでは、ゆっくりしていってください。」

と影浦はいうが、常子にしてみれば、もっと落ち込んでしまうことをいわれてしまったような気がする。

「後で、軽い安定剤でも出しておきますから、先生、無理をしないでくださいよ。」

と、影浦は別の患者さんを見に行くために、常子の部屋を出ていった。個室に入院させてもらったけど、もしかしたら、ほかの患者と一緒にいたほうが、気が紛れるかもしれなかった。影浦にいわれたことが、頭のなかをよぎるのだ。もしかしたら、それが脳のCTに出てしまうかもしれない。普通のときであれば、そんな事考えないと思うけど、ここに居ると、ありもしない事まで考えてしまうようである。

「誰か、一緒に話す仲間でもいればなあ。」

常子は、小さな声で呟いた。個室というのは、ちょっと、寂しすぎた。今は安静にしていなければならないと思っても、なにか退屈で、もうなにもすることもないので、困ってしまう。いろんなことを考えてしまい、止める手段もないので、常子の中を妄想がぐるぐる周り、彼女を苦しめた。そのまま、しばらく時間が経ったが、常子を見舞いに来る、同僚の姿もない。家族もいないし、友人のようなものも居るわけでもないので、当然のことだと、思うことはできず、ひたすらに、寂しい寂しいと思ってしまうのだった。

「小川先生。一人で居るのは寂しいと思いますが、なかないでもらえませんでしょうかね?」

誰かが、声をかけた。午後の回診にやってきた影浦だった。

「もしよろしければ、四人室に変更いたしましょうか?」

と、影浦がいうと、常子はぜひそうしてくださいと懇願した。影浦は、わかりましたと言って、にこやかに笑っていた。

「それにしても小川先生、今日はどうされたんです?階段から転落でもしたんですか?」

と影浦に聞かれて、常子は、まさか生徒に殴られてここに運ばれてきてたなんて言えるはずもないと思った。常子は、どうしようかと考えていると、

「よくあることですが、生徒さんから、ぶっ飛ばされて、ここへ来たのではありませんか?」

と、影浦は、真顔で言った。

「僕は先生をバカにしていっているつもりでは毛頭ありません。ただ、うつの原因になっていることは、ちゃんと調べないと、医者としての義務がありますからね。つまり医者には、病人を治す義務があるんです。外科医は、メスを持てばいいのかもしれないけど、精神科医は、そうして、患者さんからお話を聞くしかできないんです。」

「そうね。私も、自分のことを、過剰に信じすぎていたのかもしれない。正しくそういうことなのよ。影浦くん。嘘を着くことはできないわね。」

と、常子は、もうなんでも話してしまえと思って、影浦に言った。

「そうですか。それはわかりました。でも結構居るんですよ。生徒からぶっ飛ばされたとか、バカにされたとか、そういうことで、こちらにこさせてもらう先生が。」

影浦の話は、実にありふれているというような喋り方だったので、その事実がよくわかった。

「どういう事情で、その生徒さんが、そうなってしまったかはわかりませんが、相当怒りがあったんだと思います。先生は一方的に教科書を読むだけだし、それに何があるんだろうと思う生徒さんも大勢見たことありますよ。もう少し、生徒さんと先生の距離が近ければ、もう少し、そういう事件は減ると思うんですけどね。」

「なんだか、影浦くんのほうが、事情をよく知っているみたい。私は、何をやっているのかな。」

「いやあ、ご自身を責めないでください。それはしょうがないことです。どんなときだって、世界を変えることはできやしません。悪いことがあったときしかできやしませんよ。でもそれは、悪いことかもしれないけど、角度を変えれば、良いことになると思います。だって、変わろうとするきっかけになりますから。そのために、自分が犠牲になったと思えばね。そう考えれば、傷だって、痛くないんじゃありませんか。」

「影浦くん、いつからそういう事を言うようになったのよ。学生の時とはぜんぜん違う。でも、何か私より、影浦くんのほうが、おとなになったような気がするわ。私はただ、学校って言うところで、生徒に学問教えれば良いだけだけど、影浦くんは、そうじゃないもんね。」

と、影浦に向かって常子は、感心してしまった。

「まあ、僕達は、医者ですからね。それに、心の事を扱うとなると、扱う相手は失敗は許されませんから。僕達は、そういう意味では責任持ってやらなきゃなりませんのでね。」

「影浦先生、になっちゃうわね。ずっと、教師をやってきて、大事なことを、見失って来たような気がする。あたしは、何をしてきたのかなあ。何か、完璧に負けてしまったような気がするわ。」

常子は、小さな声で言った。

「ねえ影浦くん、いや、影浦先生と呼べばいいのかな。ちょっと、手を貸してもらいたいことがあるの。私が受け持っている生徒なんだけど、ひとの言うことはもうまるで聞こうとしない。私も、その生徒から、突き飛ばされて、ここに来たんだけどね。ちょっと、彼女をなんとかするのを、手伝って貰えないかな?」

影浦は、そうですね、と常子を見た。

「そうですね。でも、それだけでは、こちらも手伝えませんよ。医療的に援助が必要な人でなければ、僕達は、手を出せませんのでね。その生徒さんが、なにか悩んでいると言うのであれば、というより、其の生徒さんには、先生が居るじゃないですか。僕達のところに、其の人を引き合わせても、その人は裏切られたとしか見ないかもしれない。そうなったら、こちらも一貫の終わりです。そうさせてしまうことはできませんのでね。」

と、影浦は、医者らしくしっかりと答えた。

「先生、ちょっと様子がおかしいと言って、直ぐに、医者にその生徒さんを引き渡したら、先生は、何をしてくれる人になるというのですか。ただ、医療者に患者を引き渡すパイプ役を演じるだけじゃないでしょう。それよりも、大事な技術、つまり教育の技術というものがあると思うんですがね。」

「でも私ももう年だし、もう今年いっぱいで定年なのよ。そうしたら、学校からも用無しになっちゃう。そうしたら、もう教育者でも何でもなくなるわ。」

常子は、申し訳無さそうにそう言うと、

「でも、まだ、秋ですよね。時間はたっぷりあるんじゃありませんか?その時間を無駄にしないのも、人間として、やるべきことだと思いますが?」

と、また影浦にいわれてしまった。

「またいわれちゃったわ。影浦先生にはかなわないわ。教師なんて、本当に役に立たない仕事ね。」

常子は、はあとため息を着くと、

「ええ、そうかも知れないですけど、でも教育できるのは、先生がたしかいませんよね。」

影浦はにこやかに笑った。

「わかったわ。私も残りの人生、教師としてしっかりまっとうしよう。」

常子はそう決断した。それは、そういうことなんだと思う。自分にできることを世の中でしっかりやっていくこと。それが自分にできる唯一のことでもあった。もうこんな年だから、新しいことに挑戦することだってできやしない。持っているのは、過去と経験だけだ。

「まあ。長く生きてらっしゃるところだけは、僕の負けですよ。それは、先生じゃないとできない技術でしょ。長く生きているから、身についていることもありますよね。それは、学校が動かなくてもできるのではないでしょうか?」

「まあ、そうですね。でも、私は、学校の中に居るしかできないしね。」

常子がまたそう言うと、

「でも、先生にできることをやっていかなきゃ。僕も先生が早く回復できるように、薬追加しておきますから、先生、良くなって、早く学校に動けるといいですね。」

と、影浦先生は、常子先生に言ったのだった。


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