マーダー 4
面白くも無いだろうに、男は目を逸らすことも耳を塞ぐこともせずにじっと道也を待つ。
やがて道也はふらふらと立ち上がった。長い咆哮の末に喉は傷み、身体を省みずに暴れたからか節々が激しい痛みを訴えてくる。この短時間で年を取ったかのような心地だ。
「慣れたか?」
道也はすぐさま否定した。
「慣れないし、痛みが薄れたわけでも、ましてや旭への気持ちが無くなったわけでもない。ただ、覚悟ができた。一生この痛みを抱えて生きていく覚悟が」
「言うだけなら簡単だ」
「大丈夫だよ。ずっと旭が好きだったんだ。だからこれから先も旭が好きだ。好きだから、この痛みはなくならない」
「そういうことじゃないんだがな」
呆れたように言う男に、道也は確かな優しさを感じた。そもそも彼の都合など考えずに力を行使したとて、道也には男をどうにかする力が無いことは明白なはずだ。
明らかにデメリットしかない行動は、道也の身勝手な感傷と同じく、人らしい感情の機微によるものだろう。
「それで、あんたの目的は何だ」
散々に感情を発露し、男が己を害さないと確信できた道也はようやくそれを聞くことができた。
何の目的もなく男のような特別な力を持った存在が、富も力も名声もないただの高校生の前に現れるとは思えない。
何か特別なことがあるとするならば、人を殺したという一点だけ。
「契約だ」
「契約?」
そしてその一点で道也が選ばれたのだとすれば、次に男が吐くのは甘言だろう。
「俺の力を貸す代わりに、対価を貰う」
道也が何かを言う前に、男は続けた。先刻と全く同じ言葉を。
「後悔しているだろう」
男の真意を理解し、道也は総毛立った。同時、期待と歓喜に打ち震えた。
「想い人を取り戻したくはないか」
後ろめたい人間ほど、リスクを厭わない。
なるほど、だから男は自分を選んだのだ。
道也は理解した。自分の有用性も、この先自分はろくな目に合わないことも。
迷う理由は無かった。
「叶うなら、なんでもする」
彼女ともう一度会えるのなら、彼女が幸福になる可能性があるのなら、そしてその隣に自分が在れるのなら、何を失おうとも構わない。
彼女がいないのならば、自分は何もないのと同じなのだから。
「だから、戻してくれ。俺を彼女が笑っている瞬間に」
「ああ。叶えてやろう」
男が何を成すか道也には分かっていた。なにしろ散々に見せつけられたのだから。
彼の願いはただ一つ。即ち「
男の力が彼女を蘇らせる力だったのなら道也はこうまで即答できなかっただろう。時を戻す力……それこそが今、最も必要な力だ。何故ならこの自分が彼女を殺した罪は消えずとも、彼女から「桐島道也に殺された」という記憶は消えるのだから。
彼女の幸福に、そんなおぞましい記憶は必要ないのだ。
「覚悟も何もかも済んでいるだろう。やることは自明だ、準備時間をこれ以上やる気はない。まあ、目だけは瞑らせてやる」
相変わらず変なところで優しいなと笑いながら、視界を塞ぐ手のひらを無抵抗で受け入れる。
「ああ、ありがとう。あんたが神か悪魔かは知らないが……もう旭を殺さないと誓う」
「そんなことはどうでもいいが、もう二度と神と呼ぶなよ」
ということは悪魔か。
人情に溢れた悪魔もいたものだと道也は笑った。
「ん? 急に笑ってどうしたの」
そして、重苦しかった取調室の空気から何かが変わったと肌が認識する前に、あまりにも耳に馴染む、二度と聞く事はないと思っていた声が聞こえた。
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