マーダー 3

 まず全身から汗が噴き出た。次いで涙が溢れた。そして内臓を炙られたかのような熱を感じた。頭が追い付いたのは最後のことで、その頃には道也は絶叫しながら床を転げまわっていた。


「ほんの少しだけ時間を進めてやった。お前が罪を自覚できるまで」



 あれだけ重く響いていた男の声も今は遠い。


 耐え難い痛みだった。かつて猛スピードで漕いでいた自転車から投げ出されたことも、体育の時に不注意で骨を折ったことも、沸騰した水を被ったことも、この心の痛みに比べれば、痛みと呼ぶのもおこがましい。



「中々だな。好いていた人間が死ぬ程度でこうまで発狂できる者も稀だ。さっき普通といったことは取り消そう。お前のは異常に数えていい」


 彼女にもう二度と会えないことも、その絶望をもたらしたのが自分自身だという事実も痛かった。

 彼女の肉を引き裂いたこの手も、馬乗りになったこの足も、こんなに愛した彼女に殺意を覚えたこの心も、この世のどんな物よりおぞましい。


 ああ、死ねばいいのに。死ねばいいのに。死ねばいいのに。


 自分の声が頭に響く。



「さて、程々にしておけ。もう十分だろう」



 床に縋りつき、泣き叫びながら頭をかきむしる道也に、男は徐に手を伸ばした。果たしてそれはもう一度時を進めるためか巻き戻すためか、どちらにせよ彼にとっては救いだっただろう。

 しかし道也はその手を強く打ち付け、激しく拒絶した。



「触るなっ!」



 獣のごとく吠えるしか出来なかった道也は、人間として、己よりも遥かに強大な相手にそれをした。

 未だに汗も涙も震えも痛みも止まる気配は微塵もなく、激しい哀しみに折れた脚は地に立つことを許さないが、目だけは爛々と輝き、余計なことをしようとした男を睨みつけている。


「俺を助けないでくれ……っ」


 この痛みが罰だというのなら、道也はそれを甘んじて受けたかった。その感傷も自分本位なものだと理解しながら。



「分かってる、分かってるんだ。どれだけ俺が苦しもうが旭は帰ってこない。こんなもの俺が俺を許したいだけの無意味なものだっていうのは……それでも、苦しませてくれ……!」



 ああ、死んでしまいたい。死んでしまいたい。死んでしまいたい。


 自分の声が頭に響く。


 こんなに苦しいなら死んだ方がマシだと、甘えたことを宣う自意識にまた傷付きながら、道也はいつ終わるとも知れない、ともすれば生涯抱えることになるかもしれない痛みをじっと味わった。


「お前がそうしたいのなら、そうすればいい」


 男は道也の身勝手を嘲ることはなかった。ただ変わらず冷淡な声と表情で以て彼のことを見つめるだけだ。

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