最終話 兄と妹の行き着く処
就職してOLという言葉が板に付いた雅美ちゃんと、雅美ちゃんの職場の近くで彌慧は、美味しいイタリアンレストランで舌鼓を打っている。
「彌慧ちゃん綺麗になったね」
雅美は、しみじみと見つめて言う。
「それに明るくなったよね……」
「えっ?そうかなぁ?だけどちょっと太ったんだ」
「太ったぁ?どこが?……って言うより、彌慧ちゃんは、もう少し太った方がいいの。そんなに細かったら、赤ちゃん産めないよ……あっ……」
失言をしてしまったという感じの雅美に、彌慧は神妙な表情を向ける。
「私は子供は産めないもん……」
「………そうだね?確率的にも子供は……それに結婚は認められないし……」
「ううん。たぶん、できないんだと思うんだ」
「…………」
「産めない、身体だと思う……」
「えっ?それって?」
「病気じゃないよ。こうなる為の代償………たぶんね………」
彌慧は、物凄く可憐に笑って
「それでも幸せだよ」
と言った。
「それでね、来週旅行に行って来るね」
「旅行?何処に?」
「う〜ん?アジアの何とかという国の、小さな島だって……お土産買って来るからね」
彌慧はとても幸せそうな、それは綺麗な笑顔を作った。
雅美が彌慧を思う時、必ず思い出す幸福感いっぱいの笑顔………。
それが雅美が彌慧に会った、最後となった……。
彌慧は兄の繚彌と旅行に行って、そのまま帰国する事がなかったからだ。
兄妹二人を心配した、叔母と名乗る仁科ナツさんが、雅美の所に連絡して来たのは、彌慧と最後に食事をしてから一ヶ月が経っていた。
過保護な叔母は、 彌慧の交友関係は把握していて、雅美の処に連絡して来たのだった。
職場の近くの喫茶店で、雅美は憔悴仕切った様子のナツと対面した。
「旅行に行って、二人共帰っていないんですか?」
「ええ……旅行に行くというのも、彌慧から聞いていたので、詳しくは分からなくて……ただ一週間くらいだって言ったし、お土産を買って来るから、そしたら繚彌と届けに来るって……それは楽しそうに言っていたから、私も大して気にしなかったのよ」
「私にもそう言ってました」
「ああ……やっぱり?彌慧はそういうつもりだったのね……」
ナツは神妙に俯くと、大きくため息を吐いた。
「彌慧はお友達が少ないから……どこまであなたに話していたのか……」
ナツは、言い難い様子で俯いている。
「あの……事件の事やお兄さんの事は……その……聞いてます」
するとナツは、顔を上げて雅美を見つめた。
「あの子でも、そんな話しを聞いてもらえる友達がいたのね……。旅行に行ったと思っていたある日、繚彌から手紙が届いて……彌慧との事を知らされたの。電話だと反対されたり、説得されたりするから、一方的に知らせる為に手紙にしたんだと思うわ。とにかく兄妹で、誰も自分達を知らない所で生きて行くつもりだから、探さないでくれって……マンションとかは、私達が好きに処分していいって………はぁ……まさか繚彌がそんな気持ちで、私達と離れて暮らしてたなんて………」
「それじゃ二人は……?」
ナツは、大きく首を振った。
「………そうですか……あの……道徳的にも倫理的にも、二人は間違ってると思うんですけど………わ、私はそんな風には思っていなくて……その……彌慧ちゃんが凄く綺麗になって、少し太って幸せそうで……本当に幸せそうで……なので………あの………」
雅美は、自分の気持ちを判然と言えない。言えないけど……だけど………
「そう?彌慧、幸せそうだったかしら?あの子の方は、いろいろあって、その……ただ一人の兄とは、上手くいっていないと言うか……そう見せてたというか……とにかく彌慧は寂しそうだったから………」
「食事して、お兄さんと旅行するって言ってた彌慧ちゃん、凄く!凄く幸せそうだった……です……」
「そう?………私も二人が幸せなら……そうしたいんなら、仕方ないと思ってるわ……一方的にこんな感じに寄越すんだから、何も言えないじゃない……ね?」
ナツは力なく笑って、少し涙ぐんで見せた。
主人が居なくなったマンションに、夫の仁科とナツは連れ立ってドアを開けて中に入った。
………もしかしたら、帰って来るかもしれない……と、マンションはそのまま直ぐに使える様になっているし、時たまこうしてやって来て、換気をしたり掃除をして待っている。
大して、訪れる事はなかったマンション。
まだまだ若い繚彌が手に入れたマンションは、若い繚彌が手に入れるなどあり得ない程の代物だった。そんな都会のマンションを、繚彌は実の妹と暮らさぬ為に手に入れた。
独りでずっと、苦しんでいたのだろう……。
そんな甥の気持ちを、知ろうともしなかったナツは心が痛い。
「私ね、彌慧の気持ちは知ってたのよ……」
「えっ?」
結婚した時から優しい夫は、吃驚した様に言った。
「兄を慕う妹……なんてよくある事でしょ?第一繚彌は、カッコ良かったから……彌慧が理想としても、可笑しくないと思ってた。それに繚彌が相手にしなければ、それで終わる事だと簡単に考えてたのよ………だから繚彌には摩耶さんがいたから、安易に彌慧を繚彌に預けてしまって………失敗したわ……彌慧をここに寄越すんじゃなかった………」
ナツはリビングのソファーに、腰掛ける夫を見つめて言った。
「姉はね……魔性のある
「だから文句一つ言わずに、各地をついて来てくれたのか?」
「それもあるし……姉を見てると、独りにするのも心配だったのよ」
ナツは、はにかむ様に笑った。
「だから彌慧は、かなり厳しく育てたわ。あの子は、姉のいい処ばかりを受け継いでいたから……きっと男を惑わすって……大人しい性格をいい事に、内向的な子に育てた……彌慧は繚彌が好きだったから、繚彌の素っ気なさがあの子を臆病にして、それを私はそのままにしてた。そしてどうしても繚彌の所に行くと言い出した時、繚彌への思いを断ち切らすつもりで、わざとここに預けた。思っていた通り、摩耶さんがいい人で、繚彌は大事にしていたし……彌慧も卒業したら、ウチに戻って来ようかと思うって言い出してて……あのままの彌慧のまま、いい男性と結婚させようって………大失敗だったわ………彌慧はとっくに繚彌を虜にしてた……姉の魔性の血だわ……」
「魔性だなんて……君のお姉さんは、社交的で明るくて綺麗だったからね、誰だって好意を抱く。わたしは大人しい女性が好きだったんだ。だからお義姉さんは苦手だったけどね。彌慧ちゃんは、内向的で大人しくて芯が強い。それはお義兄さん似で、繚彌君はお義姉さん似なんだろう?だから女性関係が華やかだった……ただそれだけだ。お義兄はそんなお義姉さんを愛していて、お義姉さんもお義兄を愛していた。確かに男が惹かれる女性だが、お義姉さんには、そんな男を相手にする処は無かったよ。……男のわたしが言うんだから、絶対無理心中なんてするはずはない。アレは本当に悲しい事故だ。突然のゲリラ豪雨で、運転を誤ってしまった………たとえ実の兄妹だとしても、繚彌君と彌慧ちゃんが思い合ったのは、誰の所爲でもない。仕方のない事だ………好き合う事が、いけない事なんて言うなら、わたし達だって結婚してない……」
「ちょっと違うわ……」
「そうかな……違わないと思うけど?」
ナツは優しい夫の言葉に、諦めの様な感情を抱く。
「そうね?仕方がない事ね………でもこうして落ち着いて、あなたと語れるのも、繚彌が私達から遠去かったからだわね」
「君は二人を、別れさせようとしたろうね?」
「それは当然だわ……実の兄弟で一緒になるなんて……」
ナツは、言いかけて言葉を切った。
「親を捨て、全ての物を捨てなければ得られない物を、どうしてあの子達は選んだのかしら……?」
「………もしかしたら、お義兄さんやお義姉さんが亡くなっていたから、思い切れた事かもしれないね……」
「フフ……親代わりは、ただの親代わりなのね………」
ナツはポロポロと、涙を流して言った。
雅美が結婚して子供を産んでも、彌慧は帰って来る事はなかった。
あのマンションは、どうしただろう……
そう思った処で、どうなる事でもない……
何年も彌慧は、連絡を寄越さない。
姿を消して直ぐだったか……携帯番号は使われていない物になっていた。
もはや再び会う事は、叶わないのだと思った。
だけど、それでいいと思った。
彼女達は全てを棄てて、二人だけで生きる事を選んだのだろう。
子供は女の子が二人……
彌慧達の様な、苦しく愛し合う事は無いとホッとする。
古から片親が違うきょうだいは、結婚して子をなした歴史はあるが、両親共同じきょうだいは、近親婚があり得た時代から許されない。
それは自然の掟だそうだが、ならばどうして、そんな感情を人間に神は与えたのだろう。
考えた処で詮無い事だし、どうにかなる事でもない……
「東南アジアの小さな村にさ、日本人が営むお店があるんだって……」
優しく子煩悩な夫が、雑誌を見ながら言った。
「へぇ……何処?」
「何て言ったかな……海外好きの職場の後輩が行って来たんだ……観光地化されてない様な所が好きでさ、現地でも穴場的な海が綺麗な所………そこで偶然見つけて入ったら、スゲェイケメンの旦那がピアノ弾いてくれて、日本人は懐かしいって言って、いろいろ親切にしてくれたらしいんだけど、帰る頃に見かけた奥さんが、見惚れるくらい美人だったって……」
「……へぇ……そんなに美人だったんだ?」
「美男美女の夫婦の店って、村でも評判らしい……それは俺が勝手にくっ付けた……」
愛嬌のある夫は、へへへ……と笑って遊びをせがむ子供の所に行った。
「ねぇ……そのご夫婦って、幸せそうだったのかな?日本を離れてそんな村で……?」
「ああなんか、スゲェいい感じだったらしくて?結婚したくなったって言ってたわ……今度絶対恋人連れて行く!って言ってたから、子供が大きくなったら、行ってみるか?」
「うん。ウチとどっちが幸せか、見に行きたい」
「はっ?何言ってんの?」
夫は子供を抱き抱えながら、少し照れる様に言った。
美男美女と聞くと、何時も彌慧と繚彌を思い出す。
その夫婦の様に、あの二人が幸せならばいいなと、ただ雅美は思う。
……………追文……………
また葉書が届いた……。
医師の高務は、透き通る海面に朝陽が、顔を出した絵葉書を見て、側に居たやはり医師の妻に見せた。
「今も同じ所に居るの?」
「………村の人達が好い人達だから、居着く事にしたらしいよ」
妻は葉書を一瞥して
「………何にしたって、狂気の沙汰だわ………」
と言って、リビングの先にあるキッチンへと行ってしまった。
高務祥弼が国城繚彌と出会ったのは、希望とする私立の受験を失敗し、それでも県立の上位の高校に入学したからだ。
医師の父を持つ高務は、父の築いた病院の跡を継ぐ様にと、それは母親に期待されて育った為、希望する高校受験の失敗は、かなり高務を自暴自棄とさせていたから、同級生とは上手く付き合う気持ちを、持ち合わせてはいなかった為、独り浮いた存在となっていた。其処に、かなり見映えが良くて、女子達から注目されるが、何処となく高務の様に、自棄としている国城がいた。言い寄る女子とは、見境なく付き合う国城は、男子からは良くは思われておらず、自然と高務同様にクラスに馴染めぬ存在と化していた。
そんな二人が、どうした経緯で懇意になったのか、今では思い出す事もないが、高校生活に不満を抱く者同士、連む様になり仲も良くなった。
存外国城は出来が良く、医師に成る可くがむしゃらに勉強する高務とは、話しも合ったのだろう。
国城は何時も何かに怒っている様で、叔母の所に帰りたくない様だった。親しくなった高務が呆れる程に、重なる事も厭わずに付き合う女子の所に泊まり、そうでなければ高務の所に泊まりに来た。
存外賢い国城に、高務の母は好意的で、両親が他界し憂いを帯びた少年に、一抹の憐憫を抱いていたのかもしれない。
そんな国城とは、東京の大学に行ってからも付き合いは続いた。
高務は見事念願の医大に入学し、国城はやはり名の知れた大学に入学した。そして友達と、ほんの遊びで作った曲をインターネットに上げて、それが驚く程の反響を得て、高務が想像も付かない世界にのめり込んで行った。そんなある日、国城のマンションで飲んでいると、国城がそれは辛そうに妹の事を吐露し始めた。自分の業の深さに恐れ、関係を絶っていた妹が、東京の大学に入学する為に、兄を頼って来るのだという。
そう話す国城の、なんとも言えない苦しげで辛そうで、それでいてどうしようもない程に、愛おしさを浮かべる表情………。高務は直ぐに友人の業の深さを悟った。
それから高務は、この世の中で唯一国城の真実を知る人間となった。
国城の唯一の弱みを知る人間………
そんな国城が、唯一無二の存在の妹が自殺を図り、自分を頼って妹を連れてやって来た。複数の男達に監禁され暴行を受け、それが理由で自殺を図った………それを隠したいが為に………。
国城は未だ同僚でしかなかった妻に、国城の妹を診させた。そして不運とは続くもので、国城の妹は見も知らぬ男達の、誰とは判らぬ子供を身籠り、それは宿るべき所ではなかった為に、手術をしなければならなかった。当然ながら母体となる国城の妹の、命に関わる事態となり得たからだ。
だが国城はその時、それは恐ろし事を高務に頼んだ。
国城は、高務だから頼むのだ………と言った。
国城の、ほんとうを知っている高務だから………
……女性が子を育てる臓器を、この機に取り除いて欲しい……
医師の国城は耳を疑った。そんな所業は、医師である者にはできるはずはない。
「なぜそんな事を、承諾できると思う?」
「医者だから……」
「はっ?医者だったらしてはならない事だろう?」
「俺と彌慧が生きて行く為だ……って言ったら、お前してくれる?」
「何を言ってる?」
「………禁忌を犯すなら、代償を払わなくちゃならない。そう神に言われてる様に思えてならない………そうすれば、俺達はこの地上で結ばれてもいいって………」
「それを、妹だけに払わせるのか?そして自分の思いを通すつもりか?」
「俺は全てを棄てる……彌慧しか要らない……彌慧同様に、してくれても構わない……」
「………そんな事、俺にさせんなよ」
高務は、泣いて繚彌を見つめた。
「高務……俺達の行き着く先は、もはや無いんだ……彌慧が他人の物になるなら、俺は無理心中でもやりかねない……だが彌慧の気持ちも俺と同じだ……だったら伴に死を選ぶ」
「………脅すなよ」
「脅すんじゃない……いずれ行き着く先を、お前だけには知っててもらいたい……俺達には未来はないだろう?」
懇願する様に必死で縋る国城を、高務は、蒼白となって見つめた。
とても独りで抱え込めずに、彌慧を託した医師に相談した。それが現在の妻だ。全てを話すと、男より女の方が肝が座っているというか、彼女が座り過ぎているのか………彌慧にそれとなくいろいろ聞いて、その気持ちを図った様だ………と言うか、彌慧は兄の繚彌より素直で解り易かった。否、女性の彼女には、解り過ぎる程に、純粋無垢に思いを抱く彌慧の恋心は見え見えだったのだ。
そして単刀直入に、彌慧に確認を取った。その大胆でかつそつのない周到ぶりに、高務は脱帽してしまった。つまり惚れ込んでしまったわけだ。それゆえに、高務の今の幸福があると言ってもいいのだが………。
「代償は多ければ多い程、許されますか?」
彌慧は悪びれずに、彼女に言ったと言う。
「私の、抱いてはいけなかった思いの代償………先生は許してくれますか?」
その顔が美しくて可憐で、彼女は思わず彌慧を抱きしめたそうだ。
「……私達の為に、禁忌を犯してくれますか?」
「二人が死ぬなんて、絶対考えないと約束してくれたらね……」
「先生達にこんな事をお願いして、死ねるはずありません………どんな思いをする事になっても、二人で生きて行きます………」
不思議なものだ………
自然に反さず禁忌も犯さず、ごく普通に人間として愛し合い結婚して、こんなに幸せなのに子宝だけは恵まれない。
それが彼等と関わり、医師として禁忌を犯した代償だろうか?
高務は、テーブルの上に置かれた絵葉書を見て思った。
「ねぇ……あなた……」
妻は、キッチンにある冷蔵庫を覗いて言った。
「その絵葉書を見たら、レモンジュースが飲みたくなったわ」
「レモンジュース?」
「悪いんだけど、レモン買って来てちょうだい。絞って飲みたいの」
「あ……レモンジュースを、買って来た方が早くないか?」
どうせ、絞らされるのは自分だ。面倒だからそう言う。
「ダメ。絞ったレモンが飲みたいの!早くして!」
妻はちょっとキレ気味に言うから、頭の上がらない高務は、慌ててマンションを飛び出した。
「あいつ……柑橘系苦手な筈なのに………」
高務は渋々マンションを出て、車に乗ってエンジンをかけた。
「俺らまで、代償を払ってやったんだ…………幸せなら、まっ、いいか………」
高務はちょっと口元を緩めて、ハンドルを切った。
……………狂愛乱舞………終…………
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