第4話 繚彌の告白
あれから一年………
彌慧は繚彌の腕枕から、静かに身を起こして、未だ寝息を立てている繚彌を起こさない様にベットから下りた。
肩よりも長かった黒髪は、腰の辺りまで伸びているが、繚彌が厭がるので切る事ができない。それでも前髪と毛先を整えるのに、月に一度は美容院に連れて行かれる。そんな兄のお気に入りの長い髪を、後ろで一つに結わえて、彌慧は台所に立った。
過保護な叔母は、よく料理を作る手伝いをさせていたから、彌慧は一人暮らしをしても心配ない程に、料理をこなせる様になっていたし、繚彌が居着かなかったから、自分一人で生活をしていた為、掃除も洗濯も手際よくできる様になった。
兄との生活は、とても夢の様で………
実の兄妹としては、背徳心がないわけではないが、もはやそんなものすら何処かに棄ててしまったかの様に、禁断の生活に溺れている。
否、何処かにではなくて、あの日……複数の男達に、タブーとされている事を強いられてから、彌慧は倫理や道徳の全てを棄ててしまったのかもしれない……。手首を切って死のうとしたその時には、もはや全ての物を手放していた。
それでもそれら全てを、代償に払った……と思える程に、今の彌慧はとても幸せだ。見ればあの日を思い出し、あの男達を思い出して苦しむと思っていた、身体に残されたメスの痕が、今の彌慧にとっては反対に、この背徳心の呵責を和らげる役目を果たしているのは、とても皮肉な事だと思う。もはやそんな事すら考えずに、当たり前の様に毎日を過ごしている。
「今日は、打ち合わせがあるんでしょ?」
彌慧は、繚彌を覗き込んで言う。
「ああ……うん……分かってる」
繚彌は何時もの様に、それでも眠た気に身を擡げると、当たり前の様に彌慧を抱きしめて言った。
「………摩耶さんが、アメリカに行くって?」
「何で知ってんの?ああ……話題になってるのか……」
繚彌は愛しそうに、一つに結わえた髪に指を這わす。
「あっちで、実力を試して来るんだって……彼女は才能があるからね、上手くやれるんじゃないかな……」
「その為に、破局になったって?」
「………まさか。二人でちゃんと話し合って別れたよ?……じゃないと、彌慧に捨てられそうだったかね」
「また……」
彌慧は、はにかむ様に笑った。
だが別れる事を、先に口にしたのは摩耶の方だった。
彌慧に夢中になった繚彌に、愛想を尽かしたのかもしれない。
「この仕事が済んだら、海外に遊びに行こうか?」
食事の時に、繚彌は彌慧に言った。
「えっ?摩耶さんの所?」
「まさか!そんな事したら、またまた噂になる………何処か人のあんまり居ない……島みたいな所……」
「うん。行きたい」
彌慧は何時もの様に、それは可憐に笑って言った。
「そこが気に入ったら、暫く住むのもいいね」
繚彌が呟いたが、彌慧はテレビに視線を移していたから、聞いていたかどうか分からない。だがそんな事は気にもせずに、繚彌は食事を終えて出かける支度をする為に席を立った。
長身で整った顔は、何を着ても見栄えする。
それでも長年摩耶がコーディネートしてくれていたから、着飾る事に無頓着な繚彌だが、垢抜けた装いに自然と人々の注目を浴びた。
だから余計に望みもしないのに、女性達からアプローチが多くて、数限りない浮き名を流した。たぶん人気絶頂だった歌姫、摩耶が夢中になった男だから、繚彌の本質よりも価値が上がったのだろう。
繚彌の仕事をする為のマンションは、彌慧が居るマンションから電車で数駅だが、東京の駅の間隔は遠くないから、自転車で数十分という所だろう。
そのマンションで待っていると、今日の打ち合わせの相手が、少し時間に遅れてやって来た。
「時間に遅れるのは、変わらないね?」
繚彌が言うと、中に入って来た相手は、少し眉間に皺を寄せて繚彌を見た。
大きなテレビ画面に、女性が複数の男達に犯されている映像が、映し出されていたからだ。
「……なぜ繚彌さんがこの映像を?」
「俺が西嶋に指示して、撮らせておいたんだ」
すると絵摩は、大きく顔を歪めて繚彌を直視した。
「………この映像……一時期ネットに流してたのって……?」
「それも西嶋に指示して、俺がさせたんだ……かなりの評判だったらしくて、好き者達は随分と見たらしいよね?騒ぎになる前に削除させたけどね」
「どうして?愛する妹が犯されてる映像を流すなんて、繚彌さん
「この映像のお陰で、摩耶は別れ話しを、持ちかけてくれたからね……」
「えっ?」
「これを君が男達に
「その為にこれを?」
「摩耶は俺には、過ぎた女だったからね。彌慧の事もよくしてくれた。そう簡単に捨てられるわけないからね……だけど、妹の君が俺の妹にした事を伝えれば、アレは優しいから責任を感じて離れて行くだろ?とても俺達の側に居られるはずはない………君を犯罪者にしないでくれって、泣いて謝っていたよ」
「そんな……摩耶は私に確認なんてしてないわ」
「確認なんかしなくても、西嶋が告白すれば疑わんさ……西嶋は君に惚れてた。側にいる誰もが分かる程だ、摩耶も知ってた。そして西嶋なら、ゾッコン惚れてる君に言われれば、なんだってする事も理解できる……」
「でも西嶋君には頼んでない」
「そうだ。君は今まで関係した男達を使って、彌慧を犯させた。その計画を知った西嶋が、俺に告げに来たんだ。さすがに怖いってさ……一人や二人じゃないし、監禁して暫く遊ばせるなんて……」
「知ってて止めなかったのは、繚彌さんじゃない?」
「まさか薬や、あれ程激しい行為をさせられるとは、さすがに俺も想像できなかったし、西嶋の報告は少し遅れた……だが遅れたお陰で気がついたんだ。天使は手に入らないが、堕天使なら俺でも手にしてもバチは当たらないんじゃないかって………
君は思い違いをしていた様だけど、俺は
「………じゃあ、あの
「西嶋だ。君は本当に冷酷だね?さすがの西嶋も、覚めてしまってたよ。薬漬けにして、快楽を覚えさせただけじゃ気がすまなくて、彌慧を海外に売ろうとした……それをされちゃ、俺も黙ってられない」
「………薬で死んでしまえば、売る気にもならなかったわ。繚彌さん、貴方が夢中になるわけね……あの
「それは違うだろ?彌慧がいる限り、俺は絶対摩耶を裏切れない……つまり君が望む関係にはならない……」
「………そうね。貴方は姉を使って、妹と繋がっていたかった。だから私に手を出してくれない。私だって貴方と一緒になれば、義妹は大事にするのに」
「それは、俺が彌慧を愛してなければ……が前提だろ?俺の気持ちを知ってる君が、彌慧を可愛いがれるはずはない。同じ事をいずれしてたさ……」
繚彌は美しい彌慧が、痛々しくも男達に苛まれる姿を映し出す、画像をしみじみと見つめて消した。
「西嶋は海外に行かせて、自力で頑張らせるつもりだ……」
西嶋とは大学の後輩で、繚彌のアシスタント的な事をさせていた。
摩耶と同棲をしていた頃、絵摩と出逢って一目惚れして、ずっと思い続けてきたが、絵摩には見向きもされなかった。
絵摩の悪癖が、西嶋を相手としなかったのだろう。絵摩は摩耶が好意を持たない男には、全く関心を持てないからだ。
だが勤勉で努力家の西嶋には、若い感覚の才能が在る。それも繚彌とは違い、明るく楽しくさせる音楽の才能………実の妹に、邪な感情しか抱けない、歪な思いを悲しく切なく奏でる、繚彌とは真逆な感性だ。
だからいずれ西嶋は、独り立ちさせようと思っていた。
あの時……西嶋が彌慧を救い出してくれなければ、彌慧は何処かに売られて、探し出すのに大変な思いをしただろ。
だから西嶋は、摩耶の海外進出のプロジェクトに入れた。
いずれ繚彌の代わりに、曲を提供する。
西嶋は自分に見向きもしない絵摩に、とことん惚れ抜いていた。
相手にされなければ、余計に輝いて見えるものだ。
ところが絵摩の、あまりもの残虐非道な性格に恐れをなしてしまった。
神格化した女の本性を知って、目が覚めたというのが本当の処だろう。
だがそんな西嶋も、彌慧を汚した一人だ。
危機感を持って連れ出し、繚彌の指示通り、マンション迄連れ帰ってくれたものの、露わな彌慧の姿に理性を保てず、西嶋は彌慧を汚した。その衝動に恐れおののき、マンションから逃げ帰った。
その後、正気に戻った彌慧が自殺を図った事など、知るはずもなかった。
だが小心者で善良な西嶋は、隠す事ができずに繚彌に許しを乞うた。
身近な人間が、彌慧と関係を持った事は、決して繚彌が許せる事ではない、結局自分の目の届かない所に追い出した。
「君にも、何処かに行って欲しいって思ってる」
繚彌は、絵摩を正視して言う。
「さすがに、大事な摩耶の妹だからね……悪い様にはできないからさ」
その静かで無表情な眼差しに、絵摩は大きく息を呑んだ。
「それに君がこうしてくれなきゃ、彌慧は手に入らなかった……礼をしなくちゃいけないくらいだ………で?摩耶が以前から言ってたんだけど、暫く欧州でデザイナーとして、勉強したらどうかと思うんだよね?」
絵摩は摩耶の側に在って、摩耶が手掛けるアパレルブランドに携わり、どうやらファッションの方へ興味を抱いた様だ。
摩耶は絵摩に、デザインからプロデゥースまでさせている内に、本格的に勉強させたいと、繚彌に相談していた。
「えっ?」
「摩耶は、君も一緒に連れて行くって言ってたけど、君達一緒に居ない方が互いの為だろう?君も犯罪者にならなくて済む……」
繚彌は、冷い笑いを浮かべた。
「君はいずれ、同じ事を繰り返すだろう?だがその時、相手が俺の様だとは限らないからね………」
「………姉と引き裂くつもりなのね?」
「それが摩耶の為だ。君が側に居たら、彼女は幸せになれない」
「幸せになれないのは、摩耶が男の見る目がないからだわ……本当に摩耶だけを愛していたら………」
「君は今回の様に、どんな手を使っても思い通りにしようとする……本当に摩耶と君が、血を分けた姉妹だとはね……顔は似てるけど、性格は真逆だ………そうそう……君に加担した男達……一生楽しめない身体になってもらったよ……さすがの俺も、我慢がならない程、可愛い彌慧で楽しんでくれたからね……」
繚彌は、ジッと絵摩を見据えと
「どうする?一応知り合いには、話しはしてあるんだけど?」
言ったので、 言われた絵摩は、ほくそ笑んで繚彌を見つめた。
「………行かないって言ったら?私はどうなるの?」
「………直ぐに彌慧の代わりに、海外に売っちゃおうかな?」
「摩耶が心配するわ」
「君が欧州に、勉強に行った事にするさ」
「……そんな事………」
「いくらでも、摩耶を言い包める自信はあるんだ。俺達憎み合って別れるわけじゃない。あくまでもあくまでも、摩耶が身を引いた形だからさ、いい関係を築いていくつもりだよ?……もはや恋愛関係には、なり得ないけどね」
「……もともと貴方には、無かった関係でしょ?」
「絵摩。君は全てにおいて、思い違いをしてたんだけど?俺は摩耶と結婚をするつもりだった……それは本心で本当だぜ?あの叔母の家を出た時から、俺は彌慧を諦めてた。だから傍を離れ、関係を絶ったんだ。いずれ訪れる、彌慧を、拐う男を見たくなかったからさ……目の前で拐らわれる喪失感を、味わいたくなかったからさ……そんな俺に、チャンスを与えたのは君だから……彌慧を傍に置くチャンス。それを逃すはずがないだろ?今迄の分も、仲良く暮らすつもりだよ」
「兄妹で?……なんて穢らわしい……神に対する冒涜だわ」
「その冒涜って、何に対する冒涜?天?何の?その血が濃くなっていく事?だったらその代償はキチンと払うさ。彌慧は複数の男達に何回も犯され、するべき処ではない処で妊娠して手術を受けた。そんな危険が起こる
「繚彌さん……あなたまさか……妹に相談もなくそんな事……どうかしてるわ!第一そんな………」
「………俺をこうしたのは誰でもない。絵摩!君だから………」
それから暫くして、絵摩は欧州に向かう飛行機に搭乗した。
そして一月も経たない内に、摩耶もアメリカに向かって旅立った。半年から一年帰国する事は無いと、ワイドショーでは騒がれた。
だがそれ以上の期間の計画で、摩耶はアメリカに向かった。
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