第2話 失われた日常

 遅刻した五奇いつきは放課後、担任に呼び出され事情をかれたが、黒武こくぶあつを思い出し、適当にはぐらかした。そのため、帰宅できたのは夕方だった。

 なんの部活にも入っていない五奇いつきにとって、こんなに遅くまで学校にいたのは珍しい。


(今日は変わった日だなぁ)


 という感情以外思い浮かばなかった。ため息をきながら、玄関の扉を開け、中に入る。


「ただいまー父さん。……父さん?」


 ──何かがおかしい。

 五奇いつきが異変に気付いたのは、リビングに着いてからだった。

 

(……静かすぎないか? 父さん、家にいるときはテレビつけっぱなしなのに)


「とう……さん? どこに、いるんだ、よぉ~?」


 弱々しい声で父を呼びながら、隣の仏間ぶつままで向かうと、中からブツブツと父の声が聞こえてきた。ホッとした五奇いつきはふすまを勢いよく開けた。


「父さん! いるならいるって言ってくれ……よ? えっ?」


 しかし、そこにいたのはいつもの優しく頼れる父の姿ではなく。

 虚ろな目、正座をしながらも宙をさまよう両手、そして……。


三月みつき……三月みつきぃぃ。あ、あ、あ、三月みつきぃぃぃぃ……」


 ただただ亡き母の名前を呼ぶその声に、五奇いつきは言葉を失った。思考が全く追いつかない。


(はっ? え、何が起こっているんだ?)


 声を出すまでに数分かかった。五奇いつきは力を込めながら、父に呼びかけた。


「父さん! しっかりしてよ、父さん!」


 だが、反応は全く返ってこない。


「な、なんだよ! なんだよこれ!?」


 五奇いつきの動揺がピークに達した時だった。先程まで誰もいなかったはずのリビングから、聞きなれない声が響く。


「おっかえり~♪待ってたよぉ~♪もぅ! あまりにも遅すぎたから、♪」


 慌てて父から視線を外し、リビングの方へと向き直ると、そこには長い金髪を三つ編みにし、ピンクのロリータドレスを着た若い女がいた。


「あ、ボク可愛いでしょ? でもね~男なんだよね♪お・と・こ♪」


 現実離れしたこの状況の中で、彼は不気味なほど陽気かつフレンドリーに、五奇いつきに向かって声をかけた。


(怖い……なんだよ、コイツ……)


 いまだ母の名を呼ぶ父をかばいながら、五奇いつきは勇気を振り絞って男に向かって声を張り上げた。


「なんなんだよ! お前が父さんをこんな風にしたのか!?」


「うん、そうだよ? どう? イイ感じでしょ?」


「なっ!?」


 悪びれるどころか笑顔で答えた男は、あっという間に五奇いつきの近くまでやってきて、心の底から嬉しそうにとんでもない言葉を発した。


「うん、その顔もいいな~♪ その赤みがかった茶髪といい……左目の泣きぼくろといい……。キミ可愛いね? ?」


 五奇いつきが言葉の意味を理解するのに、数分かかった。


「はっ?」


(殺す? 殺される? 俺が?)


 思わず相手の目を見れば、悪意しか感じない笑顔が返って来た。


「ん~? なあに?」


(本気だ……本気で、殺す、気だ)


 脳が理解した途端、身体からだが恐怖で震えてきたのがわかった。


(どうしよう? どうしたらいい?)


 パニックになっている間にも、男はとてつもなく愉快ゆかいそうな笑みを浮かべる。


「じゃあまずは、その心から殺してあげようかな~♪」


 あっさり告げると、胸元から振り子を取り出し、五奇いつきの目の前で揺らしだした。それを見た途端、猛烈もうれつ五奇いつきの頭が痛み出した。


「う、うぅ……うわぁああああ!?」


 あまりの痛さに、思わず両手で頭を押さえれば、男は不思議そうに首をかしげる。


「ありゃりゃ? もしかしてキミ、? へぇ……」


 男の目に鋭い光が宿る。だが、五奇いつきは気づく余裕がなく苦しむしかない。いよいよ痛みの限界が来た時だった。突然、仏間ぶつまの窓が割れたと同時に頭の痛みもなくなった。


「はぁ……はぁ……一体なにが?」


 目に涙を浮かべながら五奇いつきが顔を上げれば、白い布が守るようになびき、長い茶髪に右目に眼帯を付けた、黒いライダースーツの男の姿が見えた。


「大丈夫かい? 少年」


 優しく声をかけられたが、なにが起こったのか理解できず、五奇いつきはただただうなずくことしかできなかった。白い布もとい、白いマントの男は五奇いつきに向かって優しく微笑みながら、ロリータドレスの男の前に立ちはだかった。


「さて、どうしようか?」


 先程まで余裕ぶっていた男は表情を変えて、たいそうつまらなそうな顔をする。


「あ~あ~。トクタイかぁ……。お兄さんは好みじゃないし、撤退するかなぁ~。じゃあね~♪」


 それだけ言い残すと、黒い影に包まれてロリータドレスの男は姿を消した。


「えっ!?」


 驚く五奇いつきに対し、白いマントの男は言う。


「空間転移持ちだったか。逃げられたね、どうするかなぁ。……君も、そちらの男性も無事じゃなさそうだね?」


 立て続けに色々起こったため、返事ができない五奇いつきと、どう見ても異常な状態である父の姿を見て男は優しく声をかける。


「立てるかい?」


 その途端、五奇いつきは全身から力が抜け、意識を失った。

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