また一緒に

時は流れ。

ふたりが結ばれたあの時より、四半世紀の時が過ぎた頃のお話です。


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「今年は冬が例年いつもより早く終わったな」

 庭先で、彼は空を見上げ呟いた。

 老いた夫は、できることなら、妻を外に連れ出したかった。




 待ちわびたうららな春の訪れが、人々の目に映る頃。ユウナギはもう力なく、床から起き上がることもなくなっていた。近くに住む子どもたちが、代わる代わる彼女の様子を見に来ている。


 彼女の隣にいつもいるのは、相も変わらず、夫のナツヒであった。彼も隠居していておかしくない歳なのだが、いまだ身体は存分に動き、農作業も朝から晩までこなせる。しかしこの頃は、ユウナギの隣で縄を作ったり籠を編んだりして過ごしていた。


 ユウナギはこの日々、多くの時を眠っていた。そして水も飲めなくなって2日が過ぎ。本人もただ“待っている”のだろうし、ナツヒも若い頃の思い出ばかりが浮かんでは消えていく。そんな瞬間の連続だった。



 その昼間、ユウナギがふと目を開けた。


 それに気づいたナツヒは身を乗り出した。ユウナギが薄目で何かを訴えている。彼には分かる。

 彼女は、私を抱き上げて、と言っているのだと。


 ナツヒは彼女が辛くないように、ゆっくり、少しずつ起こし、自分の腕に抱いた。


 すっぽり彼に包まれるように抱きかかえられたユウナギは、顔が近くて、少女のように照れた。次に、何かを伝えようとして、口を小さく動かす。


「ん?」

 彼はその声を少しも聞き洩らさないように、ごく近くに耳を寄せ、全神経を集中させて一瞬一瞬を待った。すると彼女は限りなく小さな声で、きっと彼女の全霊を掛けて、こう言葉を紡ぐのだった。


「つ……ぎ……の……よ…………も……」


 その先は声にならず、口だけは、のっそりでも懸命に動かしている。


 彼女は間違いなく、必死に伝えようとしている。だから彼には確かに聞こえたのだ。



“次の世も、また一緒に暮らしましょう”



 彼の目から大粒の涙がこぼれた。


「ああ……。ああ」

 ナツヒは大きく頷いて、とめどなく涙を流した。何度も何度も頷きながら、その頬に頬ずりした。


 彼女は疲れてまた眠ってしまったので、頬が彼の涙でどれほど濡れても気にはしない。


 ずいぶん幸せそうな寝顔だった。その翌朝、ユウナギは夫と子ども、孫たちに囲まれ、眠ったまま旅立っていったのだった。




 ユウナギの葬儀が終わってからも、ナツヒは変わらず農作業に精を出す日々だ。

 娘たちは心配していた。妻を亡くした夫というものは、あっけなく後を追って逝ってしまうものだから。

 ちょくちょく父の様子を見ていた。それでも彼は意外なほど変わらず、食事も孫の面倒も楽しんでいた。

 ただたまに、祖父は遠くを見ている、そんなふうに小さな孫たちのには映っていたよう。


 そういう時のナツヒは実際、ユウナギの最後の言葉を思い出して、ほんのり幸せに浸っていたりする。


 ユウナギは昔、あの丘で、来世の約束はできないと申し訳なさそうに言ったし、自分はそれでもいいと言った。


「……本当にそれでもよかったんだ」


 しかし彼女は言ってくれた。その最後の言葉は確かに、ずっと共に生きてきた彼女の、なにも繕うことのない本心だったと分かるから。


 寂しくても、早く会いたくても、まだ。できるだけこの生を生きていたい。一時でも長くこの世に留まり、彼女と生きた思い出を、ひとかけらもこぼさず抱きしめていたいから。


 そうしてナツヒはそれから3年の時を生きた。



 彼は床に就くでもなく、家族でいつものように農作業をしていた時のこと。息子が呼んでも返事が返ってこないことで、しばらく姿を見ていないことにみなが気付いた。

 何せ高齢なので心配で探しまわったら、彼は大木の下で眠りこけていて、それ以降、目を覚まさなかったようだ。




 葬儀の締めに、日の落ちる頃、7人の子どもたちで彼の亡骸を埋葬することになった。


 実は母の埋葬時もこの子どもたちだけでやった。あのとき父には、家でゆっくりしているよう言った。それはやはり、その際には彼が憔悴していたから、もあるが。

 彼らには、父に言えない計画があった。


 母の埋葬には、ずいぶん大型の甕棺を用意した。そう、それは大人がふたり眠れるほどの大きさのものであったのだ。


 彼らはまず、その母の甕棺を掘り出した。それを息子たちがせぇので開ける。

「もうお骨になってる?」

 長女が後ろから乗り出した。

「ああ、もう3年半たったもんな」

 長男は甕の中の土を掴んで答えた。


「母上、掘り起こしたりしてごめんなさい。でも、寝床に父上を入れてあげて」

 娘たちは甕の中の土を掬い、取り除き始める。7人で協力し甕の中が大まかに空いた頃、父の亡骸を母の骨の隣に寝かせた。そして、たくさんの花を敷き詰め。


「さようなら、父上。あの世でもお幸せに」

「父上、50年間お疲れさまでした。母上によろしくね」

 思い思いの別れの言葉を手向けたら、あとは3人の息子の仕事だ。元の土の中へと棺を戻す。


 ここでも娘たちは息子たちよりよほど饒舌で、感情も表に出やすかった。

「きっと母上が迎えに来てるよね。その辺にいるのかな」

「迎えに来てる母上はやっぱり、元気に動き回ってた、若い頃の姿なのかな」

「うん、そりゃ父上もいちばん力があり余ってた頃の父上になって、ふたりで走って行くんだよ」

 上の3人の娘は時に涙をこぼしながらも思い出話に花を咲かすが、末娘は歯を食いしばっていて、口を開けそうにない。


「父上も逝っちゃって私たちは寂しいけど、やっぱり父上は母上の隣がいいんだと思う」

「よくも飽きずにべったりだったもんね。小さい頃、夜寝るとき毎晩母上争奪戦になってさ、結局父上がみんな蹴散らして母上取っちゃって」

「まだそれ恨んでるの? 父上に我が子から母奪う手癖なかったら、二人目以下の私たちは生まれてこなかったかもしれないから」

 次女の不平に長女が笑った。


「ただでさえ母親なんてきょうだいで取り合うものなのに、いちばんの強敵は父親だったのよ」

 息子たちも覚えがあり苦笑いしている。


「さぁ、墓石も戻した。そろそろ帰ろう」

 長男が立ち上がった。それぞれ最後に手を合わせ、道具を運び出す。そして、ひとりが焚火を消そうとした時だった。


「あぁ、それそのままで」

「ミィ、どうしたの?」

 帰りかけた姉に聞かれ、彼女はこう答えた。


「俺、ここで少し舞ってから帰る」

 姉は、彼女がいつの間にか覚えた舞いを手向けたいと、そういう思いは分かったが少々心配になる。


「ひとりで帰るの? 夜道は危ないよ。昼間に来て、やれば?」

「今、舞いたい。松明用意してあるし、ここの道は慣れてるから平気だ」

 兄は自分が待っていようかと提案したが、彼女はひとりがいいと言った。

「じゃあすぐ帰ってくるんだぞ」

「ああ」


 末妹ミライは持ってきた羽衣をまとい、墓石の前で舞い始めた。


 彼女はまだ齢12、両親が恋しくて、甘えたくて仕方ない。兄や姉のように割り切った会話ができず、ずっと涙を堪えていた。しかし舞い始めると、きょうだいへのちょっとした優越感で、己の不遇も納得いくような気がした。


 その時、ふと舞い止めた。そしてすぐそこの空を見つめる。


「父上、母上。いるんだろそこに。俺、なんとなく分かるんだ。ほんとにもう一緒にいるんだな」


 ミライの目には、若く元気なふたりが幸せそうに笑っている。だからか、涙がわっと溢れだした。


「これは寂しいからじゃないよ。嬉しいから泣けてくるんだ」


 親を亡くして嬉しいと言うのもおかしな話だが、どういう言葉で言い表せばいいのか分からなかった。


「たとえふたりともいなくなっても、でも、いるから」

 彼女は空に向かって届くように、笑顔で言葉を投げかける。


「父上と母上の命を繋ぐ、自分が嬉しいんだ。俺自身が同じ命だから、寂しくないよ」


 本当はやっぱり寂しいけれど――――。


 彼女が強くあろうと奮い立つ心で見ているためか、父と母の顔は安心した様子だ。彼らは一度見合って、ふたりで高い夜空へと駆けていった。


 ふたりとも楽しそうで嬉しそうで、何よりも自由で、そんな魂が永遠にそらを漂い続けるのだと、ミライはそのはなむけに心地よく舞った。



 そして彼女にはまた明日がやってくる。明後日も明々後日も、日々の暮らしを繰り返し、命を未来へと繋げていくのだった。







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これで本当に完結です。最後までお読みいただき多大に感謝申し上げます。


ここに出てきた「長男」(名前出てきていませんがスバルと言います!)は13章ラストで出てきた「トバリ似の青年」です。トバリ(伯父ちゃん)というかホタル(お祖父ちゃん)似です。隔世遺伝したのかー。

これで大体のネタは回収したと思います!(作者の自己満足。苦笑)

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神の声は聴こえない! ポンコツ巫女の私がこの手でひらく未来は 松ノ木るな🌺おひとりさま~ピッコマ連載中 @runatic

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