新婚初夜②
――――い゛たい゛い゛たい゛い゛たあ゛あ゛ぃ!!!
いまだかつて経験したことのない種類の痛みが襲いかかる。しかし片隅の理性で声を抑えた。理由は分からないが、声を上げてはだめだと感じた。
根拠と言えばここに来てからというもの、いやそれ以前も、唇を重ねてからか、彼は一言も言葉を発していない。ここは言葉を交わせる空間ではない。彼女は先ほどからそう感じていたのだった。
激痛から逃げたい、怖い。そこは自分の下半身なのに、ものすごく遠い。そこで何が起こっているのか分からない。
痛みを感じる時はその部位に手を当てるのが常なのに、今、自分の身体はきっと自分だけのものでなく、まったく自由にならない。
痛くて苦しくて、身体から一気に血の気が引いていく。手も足も冷たくなり、熱を求めて彼の身体にしがみついた。すると彼は更に痛みを与えてくる。
もはやどうにも仕方なく、固く目を閉じ歯を食いしばり耐えていたら。
「??」
彼の動作はなぜか止まり、いっそう強く抱きしめられた。それからひと時身体が離れ、
「……??」
激痛もいったんは止み、残った痛苦しい感覚も少しずつ遠のいていった。
ユウナギの心も身体も、もうくたくただ。それでも彼が隣に倒れてきたので、やっと言葉が交わせる……と、ほんのり期待した。なのにまた口を塞がれる。それ自体は嫌でなく、むしろ嬉しいことなのだが、この瞬間、いつものように名を呼んで欲しかった。
――――でも、名前呼んでなんて言えない。
今はやはり、口にするのが恥ずかしい。甘えるのは恥ずかしい。今、彼が何を思っているのか知りたいけれど、自分から聞けるわけない。それなら今はこのまま寝てしまえばいいのか、それはそれで幸せな夢がみられるような気がする――。
なんて思っていても、もちろん寝させてもらえるわけはなく、この一連をまた繰り返した。
鳥のさえずりが遠くで聞こえる。朝、先に目覚めたのはユウナギだった。
目が覚めた直後、すぐ隣に彼がいるのはもちろん初めてだ。いつも同じところで寝ていたはずだが、切羽詰まっている時でもないなら、ふたりの間には何らかの物が転がっていた。きっと彼が意図的に何かを置いていたのだと、今なら分かる。
まだ身体が重くて、まったく動ける気がしない。二度寝をしてもいいけれど、こちらを向いて寝ている彼の寝顔を、ただ見ていたかった。
そんな寝顔なんて見慣れ過ぎたものだ。なのに今は、信じられないほど愛おしく瞳に映る。
本当にナツヒが私の夫なのだろうか、そういうことを考えていると、再び鼓動が速くなる。身体はこんなにも疲れているのに、胸の中はどうしても、激しく動いてしまうものらしい。
彼に聞きたい。どうして私を妻にと思ってくれたのか。
どうして? いつから? どのように? どのくらい? どのくらい私を想ってくれているの。と、そんなこと、恥ずかしくて聞けない。「はぁ?」なんて言われたらどこかの穴に入りたい。
でもそれを聞き返されたら、私は何て答えるの……と、自分だって言い表せることでないと思い至る。きっと、そんな同じ思いを抱いているのだろうから。
愛しくてたまらない。じっと彼の顔を見つめていたら、その唇に触れたくなってきた。そこで昨晩のことを反復し、結局あの、舌を入れてきたのはなんなのだろうと考える。口づけとは、文字どおり口と口を付けるものだと思っていたのに、それをしたのは数える程度で、ほとんどは舌が口の中に入ってきて、そのついでに口と口がくっついているだけだった。
それは“口づけ”ではなく“舌絡ませ”だ。それももちろん、言いようもなくよかったけれど、普通に口づけがしたいな、と思い立った。妻の方からしてもいいのだろうかと、いったん迷ったが。
――――妻なんだから、いいよね。寝てるうちにこっそり、してもいいよね。
ユウナギは文字どおり、口を彼の口に付けてみた。
もう嬉しくてたまらない。そのたった一瞬がくすぐったくて、胸がふわふわして飛んでいってしまいそうだ。
こうしてこの気持ちよさを噛みしめだしたのだが、その一瞬で彼は気付いたか、目をぱちっと開けた。そして目が合った瞬間。
「……!?」
起き抜けいちばんに彼は、噛みつくような“舌絡ませ”をしてくる。かつ、また言葉なく掛け物を剥いで、起き上がり。
「あっ、だめっ……明るいから……!」
やっとユウナギは言葉を発したというのに、当然ながら、少しも聞き入れられることはなかった。
ふたりはこの日、集落に移り住むことにした。その前に川で水浴びを、ということで、太陽が真南に昇った時分、かくも明るい洞穴の外に出たのだが。
ユウナギはあからさまにモジモジしていたので、ナツヒも、あまり言葉を掛けられなかった。
川岸でも。
「私はあっちの方で身体洗うから、ナツヒはそっちね。こっち向かないでね!」
ユウナギが怖い顔して牽制する。
「あ、ああ……」
彼女がばしゃばしゃと、下流に小走りで行くのをぼんやり見つめて、ナツヒはやっと、昨夜からのことを怒っているのか、と自省し始めることができた。さきほど気付いたら、ユウナギの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていたのだ。
確かに無体をした自覚はある。しかしどうやっても止められなかった自信もある。もう少し待ってみて彼女の機嫌が直らなかったら、平謝りしようと思った。
一方のユウナギは少し冷たい川の水で身体を擦りながら、これからの日々に思いを馳せていた。
その時ふと、自分の肌を見つめて思い起こした。今の私は昨日とは違う私で、今の私のこの身体は、彼に愛された身体なのだ、と。更に云えば、この身も心ももう彼のもので、となると、急激に恥ずかしくなり、どこかに走っていきたくなった。
その頃のナツヒは、ユウナギに「こっち見るな」と言われたことがじわりじわりと効いてきて、晴れて夫婦となったのに……と落ち込んでいた。
しかしよく考えてもみたら、やはり夫婦がこんなに離れて行水しなくてもいいのでは、と、堂々と振り向くことにした。
文句を言われても譲る気はない、そう奮ってユウナギを見たら、
「はぁ!?」
ナツヒは大慌てで駆け寄り、彼女を引き上げる。
彼は、「もしかして彼女は昨晩と今朝に受けた暴挙に悲観し、入水を図ったのでは」と本気で心配した。彼も現在、冷静に物事を考えられなくなっている。
驚いたような表情で振り向いたユウナギは。
「ぷはっ……」
荒く呼吸を繰り返す。やはり土左衛門になりかけていたのだろうか。
「あっ、あれ??」
全裸のナツヒがすぐそこにいるにもかかわらず、彼女はまだぼおっとして微動だにできずにいる。
「わ、悪かった!」
ユウナギは胸の高鳴りに耐えられなくて半分昇天していただけなのに、彼はここまでの営みを苦にしたと思い込んでしまったらしい。
「昨夜も、朝も……その、思い余って……。今夜は、できるだけ、気を付けるから……」
そう言って彼女を優しく抱き寄せた。
ユウナギは我に返り、その優しさに触れ、また顔がにんまりとしてしまうのだが。
「…………今夜?」
真顔で固まった。
それからふたりは少しの荷物をまとめ、洞穴を後にした。森を数刻歩いて抜けたところの、集落の民となる。
森に入ってユウナギは、隣に並んで歩くナツヒの手をそっと握った。今までずっと隣どうしで歩いていたし、手を繋ぐことも、いくらでもあったが。このように、手を繋いでゆっくり歩いていく、ということはなかった。
するとナツヒは、そんな彼女の指の間に自分の指を絡ませて、ぎゅっと握り返した。それがふたりだけの秘密のような心地がして、ユウナギはまたときめいてしまうのだ。まだ恥ずかしくて、何も言葉にできないけれど。
木漏れ日の中、新たな暮らしに向かって歩いていくふたりの踏む草の根は、爽やかな音を立てていた。
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