episode19『強く在れ』
製鉄師、魔女、そういった新たなる存在と共に、魔鉄文明の到来に際して現れた第三の存在。超常の力を振るう製鉄師と、その力の源となる魔女とは完全に独立した、ある意味では唯一独力で魔鉄の力に干渉できる存在と言えるかもしれない。
その名の通り、魔鉄を加工する事を専門とするOI能力者。己の中のオーバード・イメージを製鉄師のように超常の力とするのではなく、魔鉄に付与することでその在り方を再定義する、ある意味では“鍛冶師”とも言える存在。
実物を見るのはこれが初めてだが、勝手ながら気難しい壮年の人物のイメージがあった関係で少々意外だった、という感想を抱いた。
気難しい、というのは間違いなさそうではあるが。
「――はッ、案外持つじゃねぇか、はッ、はッ、丁度いい」
「……ッ、はぁッ、待、一体、いつまで走って……っ、“けん玉”!」
逢魔シンは、その身に長く抱えていたオーバード・イメージによって肉体の制御が正常に働いていなかった。
本来、人間の肉体に備わる力は常時のそれの比較にならない。過去には災害や事件に巻き込まれた人物が、人間離れした怪力を発揮したという実例が何度も確認されている。いわゆる、火事場の馬鹿力。
ただこの力も無償とはいかない。発揮し続ければ肉体を容易に壊し得る、いわば体への負担を度外視した『もしもの時のための力』なのだ。人間の脳というのは良く出来ているもので、常に発揮し続けていると己の肉体を壊すそれを常時は発揮できぬよう、リミッターを掛けている。
逢魔シンのオーバーワールドによる欠陥は、そこにも影響を及ぼしていた。
彼の脳が観測する世界は、彼にとって常に地獄――ある意味、火事場に身を置かされ続けているともいえる。彼の体は、つまりはそのリミッターが壊されてしまっている状態だったのだ。
おかげで逢魔シンの肉体は、既にOWによる外傷とは別に内面でもズタズタになっていた。ただ、それと同時に逢魔シンの肉体もまたその身を襲う残酷に抗っていた。
いわゆる超回復。酷使され、傷ついた体が癒えると同時に、その身を守るために筋肉の総量を増やしていたのだ。シンの肉体は常時、過酷なトレーニングを続けていたような状態に仕上がっている――筈なのだが。
「どういう、スタミナを、――はッ、ぁ」
「はッ、はッ、んだァ?流石にそろそろ限界か?」
息を切らして肩で呼吸をするシンに対して、その
流石にここまで付き合わされていれば、シンを巻き込んだ意図も察せられる。要するに、シンの制御しきれぬオーバード・イメージによる魔鉄への影響を負荷とする事で、効率的なイメージ能力のトレーニングを行おう――だとか、そういったものだろう。
シンの限界を察してか、アレンはすこしずつ速度を落としていく。大きく息を吐いてその場で立ち止まろうとすれば、「急に立ち止まろうとすんじゃねぇ、心臓に負担掛かんぞ」と無理やり背を押しつつ咎められた。
時間にして一、二分程度ゆっくりと足を動かして、呼吸が落ち着いてきたタイミングを見て足を止める。道の脇に備えられたベンチにたまらず腰を下ろせば、隣からコトン、という音がした。
「お疲れ様です。こちら、どうぞ」
「……?え、っと、どちら様、ですか?」
「ん、おう。来てたかイチ、手間ァ掛けたな」
「そう思うのであれば、水筒ぐらい持参してください。ご用意していたでしょう」
「あァ?そうだったかァ?」
いつの間にか、シンの座るベンチの背後に、給仕服を身に纏った美しい身なりの少女が立っていたのだ。その手にはなんてことはない、自販機で売っているようなスポーツドリンクが収まっている。
先程の音を辿れば、シンの手元にももう一本同じものが用意されていた。どうやらアレンの身内のようだが、シンにまで気を利かせてくれたらしい。
「あ、ありがとうございます。わざわざ」
「お気になさらないでください。大方、主人が無理に巻き込んでしまったのでしょうから」
薄く微笑んで、イチと呼ばれた少女は軽く頭を下げる。その間に近くまで歩み寄ってきていたアレンにふと視線を向けると、その手のスポーツドリンクを彼に渡したと思えば、流れるようにそのエプロンの大ポケットからタオルを取り出して彼の顔を覆った。
「あッイチてめ、いらねェよ汗ぐれェ自分で処理すらァ!」
「動かないでください、どうせ適当で済ませるでしょう。風邪を引いたらどうするんですか。それに貴方もです。ここは温暖ですから良いかもしれませんが、外に出れば外気温は2℃だそうです。体を濡らしていれば体調を崩しますよ、タオルはお持ちですか?」
「へ?え、いや、今は持ってない、です」
「まあ急に巻き込まれたのであれば無理もありません。さ、お体を拭きますから。上着を脱いでください」
「え、い、いやいやいや……!それぐらいこっちでやっておくから……」
「タオルもないのにどうするおつもりですか。ご安心ください、主人のタオルを使い回すつもりはございませんから」
「いやそういう事じゃなくて……!むぐっ」
シンが慌てて立ち上がろうとするが、その前に肩を掴まれて再びベンチへと着席を強制される。すぐにふかふかの感触が顔を覆って、すぅっと心地よい柔軟剤の香りが鼻を通った。
「……これでよし、です。さ、水分補給もお忘れなく」
「あ、はい」
流されるがまま世話をされてしまって、そんな気の入っていない返事しか出てこなかった。基本的に世話をする側だったシンにとって、自分よりも年幼く見える子に世話をされるというのは少々衝撃が大きかった、というのもあるが。
「……あァ、そういやまだ紹介しちゃいねェな。イチだ、オレの――まァ、アレだ。家で雇ってる手伝いだ」
「はい、金糸雀家にて家事ヘルプとして雇われております。イチ、と申します」
「え、でも、見た感じ年は僕より……ああ、いや、そっか」
「はい。お察しの通り魔女体質でして。まあ見ての通り、さほど適性はございませんでしたが」
彼女は自らの長い黒髪にさらりと触れて、困ったように笑う。
身近の魔女体質であるところのヒナミが同年代、つまりは実年齢通りの見た目であるから忘れがちになってしまうが、魔女は肉体の成長が少女期の時点で停止する。
当然、魔女だからと言って製鉄師とペアを組まねばならないなんて決まりはない。それは当然、一般職に就いて生計を立てる魔女も存在するだろう。
「……ところで、まだお名前を伺っておりませんでした。アレン様、ご紹介して頂いても?」
「あァ?あーー……そういや、お前誰だっけか?」
「ご存じなかったのですか……」
真顔で首を傾げるアレンに、イチは呆れたように眉間を抑えてため息を吐く。そんなやりとりを受けてようやく自分がまだ名乗りすらしていなかったことを思い出した。ここまで怒涛の流れに巻き込まれて自己紹介などしている暇もなかったのだから、ある意味当然と言えば当然ではあるのだが。
「あ、ええと、逢魔シンといいます。一応、製鉄師……の区分に、なるのかな」
「だろうな。見たとこ年は
「今年で13、に、なると思う」
「思う?えらく曖昧じゃねェか」
少々曖昧な答え方をすれば、アレンは怪訝そうに眉を顰める。とはいわれたものの、正確な誕生日などシン自身知りはしない。何せそれを知るのは今は亡き――いや、彼らもシンの誕生日などとっくの昔に忘れていそうなモノだったが。
兎も角、小学校過程は済んだ以上はシンの年齢は推定12、或いは13歳としか答えようがない。
「まァいい。で、聖憐にはいつ入る気だ?そのレベルのモンがあンなら、早期カリキュラムも余裕だろ」
「そ、早期カリキュラム?いやその、別に聖憐に入るとは……」
「あァ?」
慌てて否定しようとしたシンを、再びその不機嫌そうに細められた眼光が射貫く。およそ同年代とは思えない迫力に一瞬声を詰まらせるが、構わずアレンはイチの差し出したタブレットを受け取って、相変わらずのしかめっ面で何やら頭の痛くなりそうな書類をスクロールし始めた。
「んじゃァ何処だ。聖玉か?聖境か?いや、聖観ってコトもあるか?何処の入学だ、最悪こっちが調整すらァ」
「いや、だから、別に聖学園に入学するって決めてる訳じゃないんだって……!」
「……はァ?」
心底困惑したように、彼は素っ頓狂な声を上げた。
「いや、いやいやいや、それはねェ!ねェだろ!あり得ねェ!お前、お前そんな
「あ、いやもう契約自体は出来てるんだ、だから
「そういう話をしてんじゃァねェ、お前自身意識してなかろうが無意識に辺りの魔鉄を歪めちまうレベルのオーバード・イメージだ。一般生活なんぞ支障が出るなんてモンじゃねェだろ。お前自身の話じゃねェ、お前の周囲の話だ」
まくしたてるように言葉を突き付けるアレンの勢いで、ぐっと返答に詰まる。
正直な話、彼の言う事はあまりにも正論だ。契約により改善されたのはシンを苦しめる
シンのオーバード・イメージは、シン自身制御が出来ぬほどに強大だった。故にこそあの炎の日の夜にもあったような、魔鉄を直接鎧のように身に纏うといった芸当が可能になったわけだが、それもあくまでシン自身が意識して行ったことではない。
それはつまり、シン自身にこのオーバード・イメージを抑制する術がない事を――周辺の魔鉄技術を用いた数多のモノへと、無視出来ない影響を無意識化で与えてしまう危険性を有している事を、証明しているのだ。
「……自覚があンなら、まだマシか。お前の域にまで行ったヤツを放置するとも思えねェ、白崎のオッサンからも声は掛かってンだろ?」
「……うん。聖憐学園への招待も、受けた」
「なら何を躊躇ってる。特殊な事情でも――いンや、あったとして、会ったばっかの他人に話すことでもねェか、忘れろ」
「い、いや、そんなややこしい話でもないんだ。ただ、少し――」
孤児院の外の世界、自身の選択に責任を必要とする世界。
この世に生きる大人たちは当然に生きる世界であるが、シンはまだ未来を簡単に選択できるほど大人ではない。ましてシンが背負うのは自分の未来だけでなく、シンと共に在るヒナミの未来も含まれているのだ。選択は慎重にならざるを――
――いや。
簡単な話だ。建前を並べたって意味などない。結局のところ、変化を拒んでいるだけなのだ。
逢魔シンを……逢魔シンの罪を赦してくれた
ヒナミがようやく手に入れた平穏を、シンがようやく手に入れた希望を。
自らの選択で壊してしまうのが、ただ、何よりも恐ろしいのだ。
「――何にせよ、だ。大きな力には責任が伴う、なァなァで済ませていい話じゃねェ。望んで得た力だろうが、そうじゃなかろうが、その力を持つお前にはその力を正しく扱う責任がある」
「正しく扱う責任、って……」
「早とちりすンじゃねぇぞ、何も製鉄師だから戦えなんて馬鹿みてぇな理論唱えてるわけじゃねェ。お前のその力で不幸になるヤツがでねェように、お前がその力を知る必要がある。ただそれだけの話だ」
押し黙る。徹頭徹尾の正論の暴力で、ぐちゃぐちゃにこんがらがっていた頭の中をガツンと殴られた気分だった。
なにも返す言葉がなくなって俯くシンを見かねたのか、様子を眺めていたイチが横からアレンに小さく何事かを囁くと彼は一気にバツの悪そうな表情に様変わりして、ひとつ呻きながら乱雑に頭を掻いた。
「……悪かったな。ごちゃごちゃと言ったが、結局はお前が決めることだ。俺が口出しして良いことでもねェ」
「……いや、君の言った事は正しいと思う。少し考えてみるよ」
「……そうかよ」
苦々しい顔で返したアレンはイチの手に抱えられていた厚手のコートを半ば奪い取るように羽織ると、一気に飲み切って空になったペットボトルを道脇のゴミ箱に押し込んで、くるりと踵を返す。
妙に生真面目なのかペットボトルのラベルまでしっかり分別して捨てていたのを見て、彼自身の見た目や口調とのギャップもあり、思わず少し吹き出してしまった。
「意外だね、そういうのきっちりするタイプなんだ」
「あァ?当たり前だろ、普段から丁寧にしとかなきゃ習慣付かねェだろうが」
「アレン様は変なところで完璧主義者な所がありますので。この意識をもっと自分の健康方面にも回して頂けると、こちらとしては大変気が楽になるんですが」
「うるせェぞ、余計な事を言わなくていいンだよ」
ひそっと囁いてくるイチをじろっと睨んだアレンはポケットからスマートフォンを取り出すと「げ」と顔を引きつらせる。その様子で少し嫌な予感がしてシンも自身の時計を確認すれば、既に時計は23時に短針を合わせようとしているところだった。
「まっず……」
あまり遅くなってはシスターたちに心配を掛けてしまうというのに、すっかり時間のことが頭から抜けていた。よく見ればここに来たときはちらほらと見られた人影も、今やこの場の三人を除いてどこにも見られない。
慌ててシンも自身のコートを羽織りなおしてその場を後にしようとしたところで、不意に後ろから「オイ!」と声が掛かった。
「――逢魔っつったな。お前がどういう理由で躊躇ってンのかは知らねェがな、それがてめェの大事なモンに関わるンなら、まずは手札を増やすことを考えろ」
「……?手札?」
「なンでもいい。勉強して教養を身につけるでも、体を鍛えて力を身につけるでもいい、出来ることを増やせ、自信をつけろ。それが最終的にお前も、お前の大事なモンも守ってくれる。これだけは、頭に入れとけ」
“それだけだ”と言い残したアレンは再び踵を返して、シンとは真逆の方向へと帰っていく。その後に続くようにイチもシンへ深々と頭を下げてから、夜の緑地の暗闇へと姿を消していった。
ぽかんとしながらその様子を見送って、街頭の光の中に立ち尽くす。彼の残した言葉が妙に
頭に残って、しかし同時に変な納得があった。
「……簡単に言ってくれるなぁ」
今のシンに照らし合わせるのならば、『未来に困難が待ち受けていたとしても、その困難を平気で跳ね除けられるようになれ』とでも置き換えれば良いだろうか。これはシンだけの問題ではなく、ヒナミの事情だって要点の一つだというのに――
「――そこも、含めて。って、事なのか?」
シンの恐れも、ヒナミの平穏を脅かす不安も。
全てまとめて“大丈夫だ”と言い切ってしまえるくらいに、強く在れ――と?
「シン」
「うわっ!?」
不意に背後から名前を呼ばれて、思わず飛び上がる。慌てて背後を振り返ればそこにいたのは、例の事件以降傷が落ち着くまでは車椅子での生活を強いられているシスター――
……ただ、その形相はいつもの朗らかなものではなく、かつて見たことのないほどに険しい般若の如き貌ではあったが。
「し、シスター!?いつからそこに……」
「いつからそこに、じゃない。今が何時だと思ってる!?心配しただろう!」
「ごめ、ごめん!違うんだ、僕もこんなに時間が経ってるとは思っていなくって……」
滅多にシンが矛先になることのなかった、シスターの鬼の如き剣幕に完全に気圧されてしまう。彼女に叱られるなんて年単位で無かったもので、咄嗟に言い訳の羅列を零してしまう。同時にギロッと鋭い眼光がシンを射抜いて、喉の奥で「ひゅっ」と変な息が漏れた。
「子供たちも『シン兄が全然戻ってこない!』と慌てていたんだ、あの気丈なヒナミが泣きそうになっていたぐらいだぞ!遅くなるのならせめて連絡を入れろ!こんな事今まで無かっただろうに、どうして急にこんなことを……!」
「せ、説明する!説明するから!皆にもちゃんと謝るから!」
――結局、シスターからのお説教で帰るのがまた遅れ、孤児院に戻った時には、ヒナミとマナからはちゃめちゃに怒られてしまった。
金糸雀アレンを、ちょっと恨んだ。
ユア・ブラッド・マイン―鬼と煉獄のカタストロフ― ぜっつん @bowto_withstand
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