銀の海の狂人技師
episode18『人形狂いのプロローグ』
――それは本当に何があった訳でもない、ただただ平凡な毎日の何でもない一時に、不意に訪れた転機だった。
『彼』は、比較的貧困層の家庭に生まれてきた。
あくまで比較的、というだけなので別に生活に困る程貧しいという訳ではないのだが、あまり贅沢は出来ない。
家は借家で、大家ともある程度仲良くやっている。幼稚園の頃は親が家賃を払いに行くのに付いていくと、大家の老夫婦は「あらまぁ」なんて言ってお菓子をくれた。
近所の小学校に通って、友人は多くも少なくもない。少々ハッキリとした性格だったのは自覚する所で、お前は他人との距離感が測れないな、とはよく言われていた。
別にいい。自分に正直に仲良く出来る相手が居るのなら、別に誰もと仲良くなろうなんて思わない。自分に合う相手とは友になり、合わない相手とは話さない、それで済む話。
――そんな少々ませた8歳、まだ世界の事など何も知らなかった子供。そんな彼を変革させたのは、学校前に朝ごはんを食べながら見ていた朝のニュースの特集コーナーだった。
タイトルは『紐解かれる歴史―ラバルナの遺したもの―』
そのコーナー自体は、かつてこの星の全てを支配したというラバルナ帝国の簡単な歴史と、帝国が齎した現代にも残る恩恵を簡潔に纏めただけのものだった。朝の情報番組なんかにはよくある、ありふれた特集の1つ。
けれど、その中でサラリと紹介された『それ』に、彼は目を奪われた。
『――現代でも、魔鉄人形という魔鉄鍛造による……云わばゴーレムは、時折世間でも目にすることがあるかと思われます。ですがラバルナ帝国では彼らをもはや人形の域ではなく、一人の人間として見紛う程に完成させてしまう、云わば“生き人形”を産む技術が確認されており……』
解説は、そこまでしか頭に入らなかった。
流されたのは1本の動画。古い記録装置のようだが、幸い画質は鮮明だったのでよく見える。
そこに居たのは、一人の女性だった。日本人ではないが、海外に行けばどこかには居そうな顔立ちの、パット見ただけでは特に変哲も無いように見える女性。
だが、彼女は人間ではない。いくつもの魔鉄によって組み上げられた人造生命体。理の外の生命。
何か明確な理由があったわけではない、決定的な要因もない。
強いて言うならば――
一目惚れ、だった。
――――――――――――――
あの業火の夜から既にひと月が経ち、カレンダーはつい三日前に一月から二月に切り替わった頃。生来抱えた体質なのか、或いは製鉄師となったことでシンにも与えられた魔鉄の加護の影響なのか――或いはシン自身の鉄脈術が何らかの影響を及ぼしたのかは不明だが、シンの両脚は驚異の治癒力で復活の兆候を見せている。
ヒナミの傷も数こそ多いが、どれもさほど深くはなかったためか既に完全完治済み。ほぼ全焼した教会も白崎典厩の手回しで既に魔鉄建築士たちにより再建され、
傷跡は深い、けれど確実に事態は前進しつつある。そんな頃。
「――聖憐学園、に」
「そう、君達を招待したい」
白崎典厩がそう切り出してくるのは、何も今回が初めての事ではなかった。
初めは以前の襲撃騒動の少し前、シンが未だ己の
当時はシンの抱える世界が膨れ上がり、
当時のシンを蝕んでいた世界は、妙な言い回しにはなるが、それほどに“重症”だったと言える。逢魔シンという命を挫き、最悪の場合未曽有の大災害を引き起こしかねなかったそれは今や、宮真ヒナミとの契約により未然に防がれた。
逢魔シンを蝕む世界は消え、彼は正真正銘に『人間』になったのだ。
「
「ああ、ない。そこはサトリの嬢ちゃんの診断を信じてくれて構わないよ。で、そこはそことしておじさんが君を勧誘してるのはまた別件だ」
「別件、っていうと」
「単純な話さ、純粋に“製鉄師としての逢魔シン”を、製鉄師の先達として買っている、ただそれだけの事だよ。スカウトって言い換えても構わない」
製鉄師の強さというものは千差万別だ。
そもそもの話、『たった一組で戦場を塗り替える』といった逸話で紛れがちではあるが、製鉄師という存在は戦うためだけの存在ではない。
無論製鉄師という存在は、こと闘争においてあり得ない程のアドバンテージを有するというのも事実。製鉄師には製鉄師を。これが今の時代の戦争の鉄則だ。
だが一口に製鉄師、或いは鉄脈術といっても、その効果は本当に十人十色なのだ。例えばシンのような己の鬼化や浄罪の炎を扱う鉄脈術もあれば、遠く離れた場所への瞬間移動を可能にする鉄脈術、或いは見たもの全てを記憶できるようになる鉄脈術など、戦闘に関わるものも勿論、まるで戦闘に活用できそうもない能力も存在する。
鉄脈術とは、魔女と契約を交わした製鉄師の抱える世界の映しだ。製鉄師の数だけ、その抱える世界の数だけ、鉄脈術は存在している。
だが少なくとも、逢魔シンのそれは間違いなく『闘争』に高い適性を示しているのは歴然だ。そこに対して関心を示しているという事は、つまり。
「僕らも“戦え”って、事ですか?」
「……まぁ、取り繕ってもしょうがないね。言ってしまえばそういう事だよ」
無論戦うばかりが製鉄師ではないが、国防、統治の関係上どうしても戦闘を担う製鉄師というものは必要になってくる。あの炎の魔人、スルトル・ギガンツ・ムスペルのような海外からの刺客も存在すれば、国内でも鉄脈術を用いた犯罪というものは一定数存在する。
それを鎮圧できるのも、当然
故にこそ、聖憐学園を含む、俗にいう“聖学園”……日本各地の製鉄師養成学園が存在しているのだ。
「皇国が大変なのは、分かってるつもりです。でも僕は、家族を守れればそれでいい……自分から危険なところに進んで、ヒナミを危険に晒す事はしたくない」
「……君なら、そう言うんじゃないかとはおじさんも思ってたよ。実際、以前のような一件もある――以前の暗黒時代に比べれば激減したとはいえ、殉職の報告もいくらか上がっている職業なのは事実だ」
暗黒時代……ラバルナ帝国の崩壊を発端とした世界を巻き込んだ混乱期、ブラッド・カタストロフと呼ばれるそれは、この日本皇国にも深い傷跡を残した。
新たな支配を目論む世界の刺客から日本を守るべく戦った製鉄師達、通称“
そのころに比べれば、それは勿論劇的に殉職率は下がっただろう。だが存在はする、あの日の夜に教会の警護に当たり、スルトルに消された彼らがそうだ。
国防の製鉄師になるとはつまりそういう事だ、死と隣り合わせの戦場に自ら足を踏み入れるという事。そして製鉄師である以上、そこには相方である魔女――シンの場合はヒナミも、そこに連れていくことになってしまう。
「君は、あの日あの場に居た製鉄師を覚えているかな」
「あの場に居た――スルトル……じゃなくて?」
「そう、もう一組の製鉄師があそこにはいた筈だ。君はそれどころじゃなかったかもだから、正直覚えていなくても不思議じゃないけれどね」
言われてみれば確かに、スルトルとは別に見知らぬ顔があったような覚えがある。いつの間にか姿が見えなくなっていたのですっかり忘れていたが、別の何者かがあの場に居たことは間違いない。
だが、結局スルトルを倒した後に彼らは姿を見せなかった。逃げたのだろうか。
「うん、まぁ結論を言えば逃げたそうだ。周辺一帯から忽然と気配が消えてた事から、仲間に瞬間転移関係の鉄脈術持ちが居るんじゃないかって話でね。何にせよ、君の乱入の後、早々に立ち去ったのは間違いない」
「……ええと、それが、何か問題が?」
急に話を変えてそんな事を説明し始める典厩に困惑しつつも、その意図を問う。逃げ帰ったと言うのであれば、余計な血が流れることもない。それはそれで喜ばしい事の筈だが。
「君達の事を知る者が、本拠地へと帰った。この意味が分かるかい?」
「――まさか」
「ああ。もう、ヒナミちゃんだけの事情じゃあないって事さ」
逢魔シンと、宮真ヒナミの情報が持ち帰られた。宮真ヒナミの事があちらでどれ程知られているのかは分からないが、スルトルのあの様子では、少なくとも彼を中心とした一派で独占していた可能性もあるだろう。
だがそのスルトルが敗れ、逢魔シンの事が知られた以上、あの時点で逃走していた彼らにも少なくとも伝わる事がある。
ほぼ確実に、スルトル・ギガンツ・ムスペルを撃ち破ったのは、宮真ヒナミと契約を果たした逢魔シンである、と。
無論遅れて到着した別の製鉄師がスルトルを討ったという事も考慮に入れるだろうが、事実としてスルトルを討ったのはシンだ。あそこまで執拗にヒナミを追い続けた彼らに露呈するのは時間の問題だろう。
「君達の勧誘は、おじさん達のような国防を担う製鉄師の都合だ。けれど、君達にとっても悪い話じゃあない筈だよ」
「それ、は」
「おじさんが君に提示するのは、学園の中で育まれる他の
「――。」
それは、半ば脅迫じみた話だった。
無論、彼が提示した話が事実なのであれば乗らない手はない。乗らなければそれは、シンもヒナミも、この孤児院と家族たちを巻き込む危険を常に冒しながら、抗う術も己の世界以外知らずにこの先を過ごす事となる。
だが、シンはあまりに外の世界を知らなすぎる。他でもないシスターが信を置いている以上悪人ではないのだろうが、何らかの思惑が絡んでいるのは一目瞭然だ。
彼らは、国の守護を担う戦士だ。ただ善意でこの話を持ち掛けている訳ではないというのは彼自身も認めている通り、シンとヒナミに戦力としての期待を掛けている。
彼らの要求に応える過程で、本来遭遇し得る危険以上の何かに出会う可能性も否定しきれないのだ。
――諸々の不安はある。だが、何にせよまずは。
「ヒナミと話して、決めます。彼女にも関わる事だ」
「勿論。返事は急がないよ、可能なら四月の入学に間に合えば良いけれど、遅れても編入という形でどうとでもなる。焦らずに、納得のいくまで話し合ってきてくれ」
優しい声色でそう締めくくった典厩はすっと立ち上がると、ソファの背に掛けた傷だらけのコートを羽織って部屋を出る。シン以外に誰も居なくなった部屋で、パタリとソファに横になったシンはその手を天井に翳した。
ぼろぼろの古傷や瘡蓋に包まれた、人間の手。ヒナミがこの手を、シンを、人間にしてくれた。
彼女を守りたい。家族たちを守りたい。
その為に、自分に出来ることは――。
「――。」
ヒナミには、結局切り出せないでいた。
あれほどの苦しく辛い思いを乗り越えて掴んだ平穏が、未だ脅かされる危機にあるなどとどうして言えるものか。たった二か月、ただの二か月しか経っていないのだ。典厩の危惧していた事態が杞憂だとそう言い切ってしまえるほど能天気であればまだ幸せだったのだろうが、そうも言っていられない。
日は沈んで、時は21時を回った頃。「ちょっと散歩」とだけシスター達には残して孤児院を出てきてから10分程度。
難波臨界緑地公園――数十年前に在った大規模な鉄脈術絡みの大事故によって更地になった土地だ。その際の鉄脈術の影響か、極端に土地の生命サイクルが早まっている関係で、四季が他の土地から独立しているのが特徴の緑地公園。
冬場だというのに瑞々しい緑をたっぷりと保ったここは、今は春の陽気の漂う心地いい環境だった。入るまでは必須だった厚手のコートも、ここでは必要ない。
街灯に照らされた通路をぽつぽつと歩く。適度に涼しい風が、考え事をするには丁度いい塩梅だった。
「聖憐、学園」
ここからでもその姿は見える。というか、この緑地公園は位置にして聖憐学園の裏手に広がっている場所なのだ。聞く所によれば一般開放としてはいるものの、この緑地も聖憐学園が管轄しているという話も聞く。
木々のそのまた上を見上げれば、未だ校舎中に照明の灯った聖憐の校舎が聳え立っている。全国に点々と存在する聖学園の中でもかなりの規模を誇る聖憐は、間違いなく製鉄師の養成に関しては一流だ。無論、国が直轄する聖学園である以上、生半可な教育を行うことは許されないという背景もあるのだろうが。
「――どうするのが、正解なんだろう」
これがシン一人の問題であったのなら、すぐにでも聖憐学園に入学を決めても構わなかった。だが製鉄師は二人で一人、今やシンとヒナミは、合わせて一人と言っても相違ない状況にあるのだ。
そしてもう一つ、少なからずシンが懸念を抱いている問題。
『――聖憐は基本的に、自宅からの登校も許可している……ただ、君達の場合は事情が少し変わってくる。安全対策に万全を期すため、寮に入って貰うことになってしまうのは、留意して欲しい』
子供じみた話かもしれないが、シンにとっても、そして恐らくヒナミにとっても、この問題は無視できない。
それほどにシンにとって家族たちは大切で、無くしたくない繋がりだった。一度失いかけてようやく、自分がどれほど皆の事が大好きだったのかを知った。
完全に消えてなくなる訳じゃない、失われる訳じゃない。
それでもやっぱり、怖かった。
「――っと、すいま……」
「あ”ァ?」
悩み事をしながら歩いていると、不意に肩に軽い衝撃がぶつかってきた。自分でも少々ふらふらと歩いていた自覚があったので謝ろうとすると、それより先に不機嫌そうなドスの利いた声が耳に届く。
頭頂部辺りから黒い髪が生え変わりつつある、半端な金髪が特徴的な少年だった。
背はシンと同程度、といってもシンの背丈はこの齢にしてはかなり高い170超えなので、必然的に彼も170かその辺りだろう。
薄手のシャツの下からでも分かるほどに鍛えられた肉体が目立つが、それ以上にとにかくその人相が悪い。深い焦げ茶色の瞳が金髪の下から、ギンっと擬音でも出していそうなくらいにシンを睨みつけている。
ぶつかったのがそれほど気に障ってしまったのか、と改めて謝ろうとするが、先に口を開いたのは彼の方だった。
「……お前、何モンだ」
「え。あ……いや、何者って言われても」
「お前にぶつかったぐれぇから、オレのイメージが阻害されてんだ。何しやがった」
言われて彼の姿を再び見直せば、その右手に野球ボール程度のサイズの魔鉄の塊が握られていた。それはどうにも、歪に歪んではいるがよく見れば鳥の形を象っているように見えなくもない。
彼はチッと舌打ちをすると、シンから一歩距離を取った。同時に彼の手に収まった魔鉄の形が、精巧な文鳥の姿を取る。
「……鳥?」
「今はな。オイ、あんなブラブラ歩いてたんだ、暇なんだろ。付き合え」
「へ、付き合えって……」
「ジョギングだ。ジャスト今この距離、オレと歩幅二歩分くらいの距離を維持しながら走れ。それと10秒に一回、なんだっていい。手に持てるくらいの生き物でも物体でも、何でもいいから名前を出せ」
「ま、待ってくれ。いったい何の話を」
「行くぞ」
シンの言い分などお構いなしに駆け出していく少年に困惑しながらも、ひとまず後に続く。彼の言うとおりに約歩幅二歩分の距離を開けて後に続き、そしてその隣に並んだ。
「えー……と、“携帯ゲーム”。で、僕は何をさせられてるのさ、これは」
「言ったろ、ジョギングだ。こっちに関しちゃ、見てりゃ分かる」
「見てりゃわかるって……“コマ”」
走りながらそうして話していると、規則的に腕を振っている左腕に比べて、彼の右腕だけ振りが遅いことに気付く。そういえば魔鉄製の鳥の模型を持っていたな、と思ってその手を見てみれば、随分と想像からは離れていた。
その手に握られていたのは、最近流行りの携帯ゲームだった。それがやがて形を歪めて魔鉄の塊と化し、やがて形状を整えてコマの形状を取る。
「……“スプレー缶”」
コマの形が解けて、縦に長く伸びていく。それは円柱状に姿を変えて、やがて何度か見覚えのある害虫駆除のスプレーにその姿を同期させた。
「“辞書”」
先程同様に、スプレー缶がゆっくりと辞書の姿に形を変える。その拍子に刻まれた文字も、以前似たようなものを本屋で見た覚えがあった。
まさか。
「……イメージで、魔鉄の形状変化を?走りながら?」
「見りゃ分かンだろ。そら、10秒経つ」
「あ、ああ。“万年筆”」
彼は顔色一つ変えずに、シンの指定するモノへと手に持った魔鉄の形状を変化させていく。魔鉄の形状を変えるという事だけでかなりの難易度と言われるそれを、十秒という時間制限付き、それも走りながら行うという常人離れした所業。
しかも、この再現度。抱えたイメージの細部のディティールの高さは、あまりにも精細だ。
「……君、は」
呆然と呟くシンの声を聞いてか否か、ちらりとシンへ視線を向けた彼は、一瞬思案するように瞠目すると、「まァ、関わり持ってりゃあ質は上がるか」と即決した様子で、今度はシンに視線を戻す素振りもなく、口を開いた。
「――
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