宇宙人のこと
重永東維
宇宙人のこと
塩見がある発言をしたのは、春休みに入る少し前のこと──。
唐突に「宇宙人」であることを打ち明けたのだ。しかし、相手が悪かった。彼女は、クラスでも軽口で有名な「宮沢さん」だったのだ。
噂は瞬く間に広がり、それ以来、塩見は教室で孤立している。
また、いじめとは違う微妙な距離の置かれ方……。そして、騒動の当事者でもある「宮沢さん」といえば、今日も部活に精を出していることだろう。
「よお、宇宙人」
「やあ、乱暴者の多田くんじゃないか」
……と、塩見と多田は互いの顔を合わせニヤリと歯に噛む。
クラスは違えど妙に馬の合う二人は学校の帰り道にこうして会っていた。何かと気が合うのだ。古く寂れた高台の公園。そのベンチからは、武蔵野に広がる大地が一望でき、二人のお気に入りのスポットでもあった。
「それで、話ってなんだい?」
「……実はな」と、多田は畏まって頭を下げる。「春から都内の中学に転校する運びになった。まあ、察しの通りだ。家庭の事情も色々と複雑でよ」
ああ、と塩見は合点がいったように手を叩く。「やっぱり、多田って親父さんの子供じゃなかったんだ? 全然似てなかったもんね」
「馬鹿言うなって。親父は親父だよ。ただ、遺伝的に半分違ってただけだ……」
と、多田は少々恥ずかしそうに視線を外す。その途端、塩見は吹き出すようにクスクスと笑い出すのだった。
「おい、笑い事ではないぞっ!」
「ごめん、ごめん。でも、一体なんでこうなったのさ?」
「ほら、ウチはできちゃった婚だろ? 母ちゃんも若気の至りってやつでさ。結婚前は二人同時に付き合っていたらしいのよ」
へえ……と、塩見は顎に手を充て興味深そうな顔をする。「それで、親父さんの反応はどうなのよ?」
「それが、とっくに勘付いていたらしくて、些細な問題だと割り切っててさ。妹もいることだし、血よりも家族の絆が大事だろうって」
「……でもさ、親父さん立派じゃないか」
「俺も妙に感動しちゃってさ。返す言葉もねえよ」
多田は、眼下に見える景色を眺めながら塩見の横に座り、予め持ってきておいた緑色のペットボトルを投げて渡す。塩見はそれを当然のように受け取り、おもむろに蓋を開けた。
だが、美味そうに飲む塩見の横顔に、多田は若干引いている。
なぜなら、誰が飲むだと疑うようなひどい味だからだ……。一応、ジョーク・グッズの類でもある。どうも、塩見はこれが好きらしく、そんなところも宇宙人ぽかった。
軽くゲップをながら、塩見は多田を横目で伺う。「でもさ、それなら一件落着なんじゃないの?」
「ところがよ、母ちゃんの方が効いちゃっててさ。それで、俺の顔見るたびに落ち込むのよ。俺が日に日に、そいつの顔に似てくるらしくて……」
すると、塩見は咄嗟に多田から顔を背けて小さく震えている。
きっと、笑いを堪えているのだろう──。
笑うところではないはずだが、これが塩見という人間でもある。彼に言わせれば、どんな問題が起こったとしても、死ぬこと以外はかすり傷なのだそうだ。
「す、すまない。笑いのツボに入ちゃって……」
「別に構わねえよ。それが直接の原因ってわけでもねえからなあ」
少し真顔になった塩見が渋々と聞き返す。「じゃあ、アレが原因なの?」
「……まあ、そういうこった。俺が『ヘビ沼』を〝ぶん殴っちまった〟せいだけどさ。自業自得ってやつだ。参った、参った」
そう言うと、多田はなんとも複雑そうな顔する。「まあ、納得いかないよね……」と、塩見は沈む夕日に目をに向けた。
──『ヘビ沼』とは、多田と同じクラスの悪童でもあった。
塩見ですら一目置くほどだと言えばわかりやすいだろう。
表向きは優等生を装い、裏で悪事を働く典型的な小悪党でもある。いじめを扇動し、無関係な人間を巻き込んでは、加害者に仕立て上げたりと、他人を傷つけることに愉悦を覚えているタイプでもあった。
元を正せば、塩見の懐柔に失敗したのが原因だったのかもしれない。
以来、親友である多田がありとあらゆる嫌がらせを受けているという単純な相関図だった。そして、ある事件を発端にして多田が殴ってしまったという訳だ。
だが、理由がなんであれ先に手を出した方の負けなのだ。
世の中では、そう言う形にしないと収拾がつかないからでもある。案の定、喧嘩両成敗とはいかず、多田だけが罰せらる形になってしまったのだった。
……とは言え、状況が状況でもある。
ヘビ沼の犯した罪は言語道断、腹わたが煮え繰り返る思いだ。
仮に、同じ現場に居合わせていたら、果たしてどうだったろうか。幾度なく自問自答を繰り返し、検証する塩見でもあった。
「多田の気持ちはわかるよ。野良猫を虐待してたなんて
「日頃の行いかね。結局、それも俺のせいにされちまったけどなあ……」
ベンチの背にもたれかかり、多田は頭を掻きながら天を仰ぐ。不条理なもので、正義が必ず勝つなどと言うのは、漫画や
しかし、これも含めてヘビ沼の仕組んだ策略だったのかもしれない。「宇宙人」の件に関しても、裏で誰が糸を引いているかも
「……ときに、塩見くんよ。『宇宙人』って話はマジなの?」
「は、はい?」
あの重苦しい空気は何処へ行ったのやら、多田は目を爛々に輝かせ塩見の反応を心待ちにしている。それは決して
「な、何言ってんだよっ。宇宙人だなんて冗談に決まってるでしょ」
「ありゃっ! 嘘だったてか!? 俺はその話を聴いて『やはり、そうだったのか!』って、半ば確信してたんだけどよお」
……多田は変わっている。良い意味でも悪い意味でも純粋無垢だ。
例え、他人に傷つけられたとしても、直ぐ切り替えられるだけの地頭の良さがある。だからこそ、他人を妬んだり、恨んだりもしない。ヘビ沼のような捻くれ者にとっては、さぞかし不気味に映った事だろう。
「なんだよお、また笑ってるのか?」
「いやいや、感心しているんだ。呆れるほどにね。ただ、仮に宇宙人っていう体裁でなら話をしてあげられる」
「……まあ、事情ってもんがあるもんな。いいぜ、その
待ってました、と言わんばかりに多田は持参した缶コーヒーのプルタブを開ける。多分、来た当初から宇宙人の話がしたかったのだろう。彼にとって真実なんてものは、大した問題ではないのだ。きっと、自分が何者であろうと、多田ならすんなりと受け入れてくれる気がする。
「まず、宮沢さんなんだけど、重い病気にかかってたのは知ってた?」
「ああ、悪い。それは全く知らんかったわ……」
「だから、治してやったんだ。そしたら、宮沢さん飛んで喜んじゃって。つい、周りに喋っちゃったのだろうね」
「ほうほう。……んで、宮沢さんのことは好きなんか?」
「はあっ!? た、ただの友達に決まってるでしょっ!」
唐突に、何を言い出すのか塩見の頬が真っ赤に染まる。ただ、少し魔が差しただけだと思っていただけに、多田の指摘には動揺を隠せなかった。確かに、言われてみれば、どこかで彼女を意識していたのかも知れない……。
多田は缶コーヒーを口に咥えて馴々しく塩見の肩を叩く。「青春だな。いいってことよっ!」
「……確かに、僕も
いやらしそうに口元が緩んでいるところが若干気に食わないが、人の本質を見抜く多田の目には驚かされるされるばかり。この調子でヘビ沼の本性を見透かしていたのであれば、脅威でしかなかったに違いない。そういう側面で見れば、ヘビ沼も優秀なのだろう。
「でも、なんだな。宇宙人でも恋はするんだな……」
「多分、元を辿れば一緒の種族なんだよ。僕らは大昔の親類を頼って、地球に来たようなもんさ」
そう言うと、塩見はペットボトルを一気に飲み干す。夜空には沢山の星々。だが、その目は少し儚い色を含んでいた。
「故郷の星では、くだらんことで毎日言い争っていた。問題が深刻になればなるほど、馬鹿みたいな展開になる。ほんと、笑っちゃうよね」
「そこは、地球とあまり変わらねえってか?」
「……だからかな。たまに思うんだよ。もし、多田みたいな良い奴ばかりだったら、僕らの星は滅びなかったかもしれないって」
「えっ?」
すると、意味深にゆっくり立ち上がり塩見は多田に笑顔を向ける。「あくまで喩え話だよ。嘘にしては上出来だったろ?」
「なっ、なんだよ。急に驚かすなよ」
「とりあえず、僕なら心配いらない。多田は東京での新しい生活が待ってることだし、一緒に暮らす金髪の父親だって悪い人じゃない」
「あっちゃ〜。そこまで噂が広まってたのかよっ」
しかし、多田は途端に首を傾げる。
確か、引っ越し先の話は内密だったはず……。
なぜ、それを塩見が知ってるのか。実の父親についてだってそうだ。いずれ話すつもりではあったが、まだ一言も触れてはいない。まるで、今さっき見てきたような言い草。宇宙人の謎は益々深まるばかりだった。
腑に落ちない点は多々あるが、今に始まった話でもない。
塩見は、いつもこんな調子だ。多田はそんな不思議な好奇心に惹かれていたのもある。一見、事なかれ主義に思われつつも、最後には必ず帳尻を合わせてくる粋な奴だった。
不意に、何気ない会話が多田の心に沁みる。
少し寂しいが、離れ離れになったとしてもこの関係は永遠に続くことだろう。やがて、山の稜線が赤い夕日でくっきりと浮かび上がる。黄金色に輝く
あれは、一体なんだろうか──。
「……ちなみに、兄さんや姉さんも良い人そうだったよ?」
「ううんっ!? なんの話だ!?」
「ついでに、ヘビ沼のことなら任してくれ。あいつには厳しい『制裁』が必要だ。まったく、宇宙人を舐めやがってよ」
──そう断言すると、塩見の目が怪しげに光るのだった。
宇宙人のこと 重永東維 @vexled
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