いつかの女の子

井上イッキュウ

いつかの女の子 (1話完結)

 世間一般的に早いのか、それとも遅いのかは分からないが、初めて好きな女の子ができたのは、確か小学3年生の頃だった。

 同じクラスだったその女の子は、学級委員長を務めるような中心的な存在でみんなの人気者だった。誰とでも仲良くなれる親近感や、ダメなことに対してはたとえ相手が男の子であっても臆せず注意できる正義感もあった。

 そういった部分に僕はいつの間にか惹かれていたのだろう。


 また、まるでどこかの国のお嬢様のような容姿を持ち備えていたからだろうか、クラスの男の子の間のみならず、校内中で話題になるほどだった。

「あのクラスのあの女の子、ホント可愛いよな」

「将来結婚したら最高の奥さんになるだろうな」

「そういえば、隣のクラスのやつがさっきあの女の子に告白したらしいぞ」

 こんな会話があちこちで飛び交うほど、あの女の子、つまり僕の好きな女の子は誰が見ても可愛く、あるいは美しく、ひたすらモテていたのである。

 そんな女の子とはこの先もずっと同じ学校で時折言葉を交わすことはあったのだが、誰かと付き合っているだとか、何かとそんな噂が絶えなかったこともあり、僕は密かな思いを伝えそびれ続けていた。


 中学生になった頃、いよいよ付き合うだとか彼氏彼女だとかいう手のものを強く意識し始めた。しかし、あの女の子とは対称的に、僕はまったくモテなかった。

「俺さ、隣のクラスの女の子に告白されちゃったよ」

「中学生にもなると、彼女くらいできるよな」

 普段からよく一緒にいる友達は、こんな具合で順調に男の子としての階段を登っていたようだが、僕はその階段を登ることができずにいた。学校の女の子とはそれなりに親しく会話していたし、いつかそのチャンスが訪れるだろうと思っていた。


「気配りと言えば、正にお前だよな。よろしく頼むぜ、委員長さん」

「期待してるよ、我らの委員長さん」

 周囲からの強い推薦もあり、むしろ押し付け感は否めないが、何度か学級委員長を努めたことがあった。単に人よりも気配りができるというだけであり、委員長になったからモテる、告白されるという方程式が成り立つことは一度もなかった。


 そうしていつしか、周囲の友達と自分とを比べるようになっていた。

「まぁ人それぞれ、早い遅いがあるからあんまり気にするなよ?」

 友達から冗談混じりにそう言われたことがあった。確かにその通りかなと思ったし、その場では笑って誤魔化すことができた。しかし、その何気ない一言に対し、どこか不安を覚えていたのも確かだった。この頃は特に、仲間意識に敏感だったせいもあるだろうが、一人だけ置いてきぼりになることに恐怖を感じても不思議ではなかったのかもしれない。



――僕は、モテたかった。



 高校生になっても、これまでと変わらない状況が続いた。同じ高校に進学した中学校からの友達も、新しくできた友達も、やはり彼女がいた。この学校にいる男子生徒のうち、彼女がいないのはもしかして僕だけなのではないか、そんな歪んだ妄想が生まれてしまうほどにモヤモヤしていた時期もあった。コンプレックス、意味が分かるようで分からないようで、そんな絶妙なボーダーライン上の言葉を覚えたのも丁度この頃だったはずだ。


 次第に、なぜ自分には彼女ができないのか、そう考えることが多くなった。この疑問を解くことに日々挑むうちに、ある一つの結論に達した。それは、‘’かっこいい男子であるかどうか‘’ということだった。今となっては、若さ故に行き着いてしまうような浅はかな結論だったと笑い飛ばせそうなものだが、当時高校生だった僕は当然若さに満ち溢れていたのだから仕方ない。

 控えめに言うわけではなく、はっきり言って僕はかっこいい男子ではなかった。彼女がいる友達は、男子である僕が言うもの変な感覚だが、確かにかっこいい男子だった。この差は今更どうすることもできず、圧倒的な絶望感に襲われたのは言うまでもない。

 自ら導き出したこの答えを自ら否定してやろうと思い、好きという感情があまりない仲の良いクラスの女子にとりあえず告白したことがあったが、世の中そんなに甘くない。むしろ答えを揺るがぬものにする羽目になってしまった。

「どうしてだろうな、お前にもすぐ彼女できそうだけどな」

「こんなにも気配りができるのにな。俺が女子だったら絶対お前と付き合う」

 友達からはこんなことばかり言われていた。それが本心なのか、はたまた友達として気遣ってくれていたのか、あるいは見下されていたのか、こちらの答えはなかなか導き出せそうになかった。


 彼女ができないことを除けば、高校生活はそこそこ順調だった。勉強の成績は真ん中より少し上くらいだったし、所属していたバレーボール部では不動のレギュラーとして試合で活躍していた。高校三年生の時には生徒会長に選ばれ、‘’気配りの生徒会長‘’という異名が付くほどに有名にもなった。彼女ができないことを除けば、彼女がいる人たちと遜色ない生活だったのではないだろうか。



――僕は、モテなかった。



 先述の通り、平均を少し越える成績だったおかげで、危なげなく大学への進学を決めることができた。とりわけ仲の良かった友達は地元の大学へと進学したが、両親や先生から薦められ、地元から離れ遠方の大学へと進学した。

 家庭環境はもちろん良好だったし、どんな時も暖かく支えてくれる両親や祖父母と離れて暮らすのは些か寂しさを感じたが、それでも憧れの一人暮らしに心踊らずにはいられなかった。何より、この環境が変われば、かっこいい男でなくとも彼女ができるのではないか、そんな何の根拠もない期待を抱いていたのはここだけの話だ。


 大学生活は想像よりも遥かに刺激的だった。これまでの学校生活とは違い、自分で講義を選択できる点や、講義が一方的に進んでいく点など、とにかく自由度が高かった。だからと言っていきなり不真面目になることはなかったが、僕から見て周囲の態度は明らかに浮わついていた。見るからに彼氏彼女であろう男女が、講義を聞かず顔を近づけて話している光景は、入学早々にして日常茶飯事になりつつあった。しかもやはり、そこには僕が持ち合わせていないもの、かっこいい、が存在していた。

 環境を変えてまで期待した僕の願いは、どうしても無理なものなのだろうか。


 そんなある日、講義が終わった帰り際に大学で新しくできた友達に声をかけられた。

「なぁ、この後って何か予定入ってる?」

 特に予定がないことを伝えると、これまた大学生活の醍醐味であろうサークル活動の見学に無理矢理付き添わされた。聞くところによると、スポーツをしたりゲームをしたりするようなサークルらしく、入学したての僕からすればサークルとはそんなにも不明瞭なものなのかと単純に疑問を感じていた。

 世間では花見シーズン真っ盛りということもあり、その日はサークル活動の後に新入生の歓迎会として花見が開催されるとのことだった。無論、このサークルに加入するつもりはなかったため、そのことを理由に見学だけで帰ると必死に抵抗してみた。

「いいんだよ、これだけ人が集まっていたら細かいことは気にならないって」

 大雑把な答えが返ってきたが、ここまで来てしまった以上は仕方ない。友人との付き合いとして大事かもしれないと諦め、渋々歓迎会に参加することにした。


 歓迎会にはかなりの参加者がいた。全員が本当にサークルに加入する人なのかは疑わしいが、主催者側もあまり気にする様子はなかった。

 始まってしばらくは探り探りな人も多かったのだが、時間が経ちアルコールが進んでしまえば、花見とは名ばかりの宴会場にアルコールの空き缶やお菓子の袋が散乱し、あっという間にゴミだらけになってしまった。必要以上に大声を出す人、なぜかずっと笑っている人、なぜかずっと泣いている人、ゴミに埋もれつつ眠っている人など、アルコールを一滴も飲んでいない僕にとって、これほどまでに収拾がつかない状況は地獄でしかなかった。

いよいよ嫌気が刺し、お得意の気配りが働いたのか、とりあえず散乱したゴミの片付けを始めることにした。こうしているうちに解散になるだろうと踏んでいた。と、そこに、

「あれあれ、君さ、全然お酒飲んでいないんじゃないの?」

 分かりやすいほどに先輩風を吹かせた先輩らしき人が絡んできた。当然、酔っていると見て間違いない。僕は冷静に未成年であることを伝え何とか攻撃を防ごうとしたのだが、

「おいおい、そんなつまんねーこと言ってんじゃねーよ、いいから飲めって」

強引に飲酒を強要してくる先輩らしき人に困り果てていた。


「ほら、早く逃げないと。こっち」


 ふと、そんな声が聞こえたと同時に、僕の左腕は引っ張られ、反射的に立ち上がり走っていた。あまりにも突然のことだったため、初めは自分の身に何が起きたのか思考が追い付かなかったが、こちらに向かって叫んでいるさっきの先輩らしき人の声が徐々に遠くなるにつれ、次第に状況を理解できるようになっていた。こういう展開は創作の世界にしかないと思っていたため、妙な感覚だった。

 

 どこまで逃げてきたのだろうか。さっきまでいた明るい地獄から遠ざかったせいか、辺りが真っ暗闇でほとんど何も見えなかった。そのため、相手の顔は見えなかったが、先程の声を聞く限り女性だということは簡単に推測できた。

「さっきは急に腕引っ張ってごめんね。ああいうのさ、昔から許せなくてさ」

 あの危機的状況から救ってくれたにもかかわらず、むしろ謝ってきた相手に対して僕の方こそ申し訳ない気持ちだった。

 すぐに戻ってはまた巻き込まれるかもしれないからここでしばらく時間を潰そうと提案された。その意見に大いに賛成だったし、僕を救ってくれた救世主の素性を探る良い機会だと思った。

 目が暗闇に慣れてきたとはいえ、暗闇の中ではやはり相手の顔はよく見えなかった。しかし、話していて時折なぜか懐かしさを感じた。聞くところによると、僕と同じく地方から進学してきたらしく、似た境遇がそう感じさせたのかもしれない。地方とは具体的にどこなのか質問してみたのだが、濁されてその場では答えてもらえなかった。何か特別な理由があるのだろうと思い、むしろ名前くらい聞いておかなければと思った矢先、

「よし、冷えてきたし、そろそろ戻ってみようか」

と切り出されてしまった。

 今度はもちろん腕を引っ張られることなく、横に並んでゆっくりと歩く。相手がどういう心境だったのかはもちろん分からないが、少なくとも僕は、名残惜しさを感じずにはいられなかった。


 恐る恐る様子を伺うように明るい地獄に近づいてみると、先ほどと一変し、春らしく桜の舞う平和が生まれていた。天国や楽園、と言えば大袈裟かもしれないが、先程の地獄と比べ、あるいは桜の舞う幻想的な情景を踏まえれば、おおよそ見当違いではなかっただろう。

 

 すっかり安堵した僕に再び緊張を感じさせたのは、隣にいる救世主の存在だった。これだけの明るさがあれば相手の顔も充分確認できるだろう。地獄に近づく時よりもさらに恐る恐るゆっくりと視線を向けてみる。



 そこには――――



 ある人曰く、僕は小学生の頃から細かな気配りができる人だったそうだ。中学生の僕も、高校生の僕も、大学生の僕も、やはりそうだったらしい。

 その証拠に、例えばあの日だって、率先してゴミの片付けをやっていたじゃない、と。

 外見ではなく、そんな僕の内面に惹かれる女の子が、たった一人だけ、いたのだ。



 ――僕は、モテない。



 ――――僕は、モテなくていい。

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