降り積もる夜に

日々人

降り積もる夜に

寒空を見上げると雪雲の合間から、半分欠けた月がのぞいていた。


薄く雪の積もった、真っ白な地面が月夜に照らされている。


懐中電灯の明かりを消してみても、薄っすらと足元が見える。


田んぼと畑しかないこの集落には、古びたアスファルトの道が一本あるだけだ。


その道を外れ、あぜ道に入り、先程まで降っていた、細かな雪の粒を手ですくう。


久しぶりに雪を触った。


思いのほか冷たかった。


辺りには何もなく、振り返っても、わたしの足跡が当たり前のようにあるだけだ。





 ー ー ー ー 




田舎を出てから、どれくらい年月が過ぎただろうか。


都会で暮らす生活の方が、いつの間にか長くなっていた。


こういったことが起きない限りは、こちらに戻ってくる理由もない。



母が亡くなった。


昨日の夜に知らせを聞いて、今日の早朝に家を出た。


車に乗らない私にとっては交通の便が悪く、電車とバスを乗り継いで、ようやくこの田舎に着いたのは夕刻だった。


すでに葬儀の手配がされており、次男坊のわたしがすることは探してもみつからないほどに、姉や親戚、村の人の助けで、葬儀の準備は進められていた。 


明日には葬儀が開かれ、その日の内に母は焼かれるそうだ。 





 ー ー ー ー 




わたしが5歳の頃にみた夢が、未だに忘れられない。

母が遠くへ行くことになり、二度とわたしの元へは帰ってこれない、という夢をみた。

夢から覚めたわたしは泣きこそしなかったが、そういう「悲しみ」がこの先の未来で起こり得ると知ると、急に今、この瞬間が怖くなり、布団から出られなくなってしまった。


すると、起きてこないわたしを心配した母が様子を見に来た。


母がいなくなる夢をみたのだと伝えると、隣に座った母はこう言った。


「ぼくちゃん、それはまだまだずっと先の話だから。


 心配はしなくていいの。


 だから安心なさい」





母の口癖は、いつも「心配いらない、安心なさい、大丈夫だから」といった言葉だった。


わたしは昔から臆病者だった。


不安な時、傍でそう言われると心が安らいだ。





  - - - -



そんな、小さな頃からずっと恐れていたことが、今、身に降りかかっている。


ふと我に返ると、母との思い出の場所を、転々と探し歩いていたことに気付く。


そりで滑って遊んだ、傾斜のある丘。


一緒に農作業した畑、ボール遊びをしてもらったお宮さんの広間。


水遊びした小川、その手前にあった駄菓子屋。


母の面影を捜し、雪の中を私の足跡がさ迷う。


あの時の、時が止まったような思い出の地を探し求める。


…けれども、全てが変わってしまっていた。


林のようになってしまった農作地、崩れ落ちている橋、民家、居なくなってしまった多くの人たち。


とても寒い。


なんで、わたしは雪国をこんな薄い上着だけ身に着けて歩いているんだろう。


吐く息が白い。本当に真っ白だ。


月明かりが弱まると、また雪が降り出した。





そろそろ蝋燭と線香の番を代わらないと。


足跡をたどり、来た道を戻る。


途中で、誰かの揺らす灯りが見えた。


母に似た、その影は姉だった。


「あなたの足跡をたどって。捜したわよ」


姉は覚えているだろうか。


暗くなっても遊びから帰ってこない、子どもだった頃の自分たちを。


いつもそれを迎えに来てくれていた、母の姿を。


少し離れた所から、夕飯が出来たと知らせる母は、よくこんなことを言っていた。


「あなた達がどこに行っても、すぐにわかる。見つけられるのよ。


 だから、観念して帰りなさい。また明日ね」








歳を重ねれば、自ずと、いずれやってくる「悲しみ」を意識し始める。


けれども日々の中で、その覚悟を常に抱いて生きているわけではない。


これまでの日常。繰り返されるような、忙しい日々のくくりの中に押し込めて。


でも、少し視線を逸らした隙に、急に、「悲しみ」が目の前に現れる。


…何かを失うということは、何かを得ることだと誰かが言っていた。


だったら。


失ってしまうのならば、何もいらないから、どうか奪わないでほしかった。


 




「大丈夫よ、心配ないから。安心なさい」


母の口癖を姉が口にした。


声も、そういえばよく似ている。


「…大丈夫だ。ありがとう、心配いらないから」


鼻をすすりながら、そう言葉を返す。


家に、母と暮らしたあの家に戻ろう。


けれども、その不思議な光景に思わず、動きを止める。


目の前にある足跡が、なぜだろう。


三人分あるように見えたのだった。











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