第8話 気高く謙虚で聡明な、貴族による宣誓劇 ★



 瞼を上げれば、そこにはもう思慮深さを宿した伯爵令嬢としての武装が完全に出来ていた。

 微笑を称え、指先まですべてに『貴族』を行き渡らせた彼女は今、醸し出す雰囲気や浮かべた表情からは想像できないくらいの鋭さを、ペリドットの瞳の奥に忍ばせている。 


「私たちは上級貴族ですから、例え暴力行為に及んだとしても、下級貴族や平民を少し転ばせるくらいの事であれば確かに大した問題にはならないでしょう」

「そうよ! それよりもこの子や他の人間達がコレと同じ失敗をして私たち高貴な者の手を煩わせないようにする為に、ちゃんと『躾』が必よ――」

「しかしだからこそ、私たちの誇りとモラルが問われるのです」


 アンジェリーの声の途中で、セシリアは上からそう言葉を被せた。



 それは静かな声だった。

 しかしそれでいて相手を黙らせるには十分な圧力を孕んでもいる、なんとも不思議な説得力を持ってもいる。


「確かに誰かが良くない事をした場合、誰かが諫めねばなりません。そしてそれは、私たち権力持ちが負う義務の内の一つでもあります」


 私たちは、上に立つものとして秩序を守らねばならない。

 もし今尻もちをついているこの少女が本当によくない事をしたのなら、アンジェリーがそれを窘めるのは正当だ。


 しかし。

 

「それでもそれは、『気に入らない相手は虐げ貶めて力でねじ伏せればいい』という事と同義にはなりません」


 ぶれない心と声で彼女はそう告げた。




 これらの言葉は、彼女に向けているようでその実周りへの演説だった。

 だから心に沁み込ませるように、ゆっくりと言葉を置いていく。


「私たち貴族は、確かに誰かの上に立てる権力を持っています。しかしそれは生まれながらに持つものです。私たちはそれを得るために資質を測られる事は無い。だからこそ、それにふさわしい振る舞いを学ばねばならなりません」


 アンジェリーをその両目に移しながらも背中で、周りに語り掛けていく。


「我々貴族が持つ特権は、領地や国を、そこに住む人々の暮らしをより良くする為に振るわれるべきものです」


 権力に見合う精神を持つ事は、ある種の理想だと思う。

 しかしそれでも、その理想を追い「斯くあるべき」と手を伸ばす事こそが『貴族の義務』なのだから。


「決して私欲の為に振るわれるべきものではありません」


 だからセシリアは今ここで、敢えてその理想を公言する。

 しょっぱなから壊れかけた貴族の欣嗣を補強して、この場に居る多くの平民と、一部の下級貴族と、ほんの少しだけ混じる上級貴族(同胞)に対して提示する。


「勿論私も、現時点では完璧とは言えないでしょう。しかし、だからこそこの学校をこの国の祖は作りました」


 まだ不完全で、だからこそ間違う事だってある。

 しかしそれに甘んじてはいけない。

 こればっかりは、貴族が「仕方がない」と思う事は許されない。


「これからここで自らに課せられた義務と与えられた自由について、私たちはこれからこの場で学ばなければなりません」


 今回の『貴族の言動』は、どうあっても消せはしない。

 だからしっかり「過ちだ」と口にして、その上で力不足をこれからの学びによって得るのだという決意を告げる。


「私たちは、そうして自領の領民に恥じない貴族になります。それがいずれ、国をより良い方向へと動かすでしょう」


 だからそれまで見守ってほしい。

 セシリアは、そう周りに呼び掛けた。




 貴族の在り方を語ったこの演説は、その場の人々すべての心を動かした。


 羨望や希望などの良い感情も、妬ましさや煩わしさなどの負の感情も同様に引き出し、良くも悪くも一人一人に何かしらを考えさせる、そんな効力を持っていた。

 そして、敵対者であるアンジェリーの言葉をも失わせた。


 もしかしたら「何を言っても取り戻せない」と諦めたのかもしれないし、言い返す言葉が思いつかなかっただけかもしれない。

 しかし「これ以上彼女が反論しなかった」という事実が変わらぬ以上、どちらであっても同じだった。




 この騒動は、後に『気高く謙虚で聡明な貴族による宣誓劇』と呼ばれる事となる。

 そして後には王都中に、そしてそこから各領地にまで知れ渡る事になる。


 しかしその前哨戦たる学内への噂の急速な伝染をセシリアが自覚するのは、翌日の放課後になってからの事である。

 それまでの主従間の会話はというと。


「ねぇゼルゼン。何だか私、とってもみんなに注目されている気がするのだけれど」

「セシリア様が貴族である上にその容姿だからではないですか? 何と言ってもセシリア様のお美しさは、伯爵家の使用人のお墨付きですし」


「ねぇメリア。やっぱりみんな、私の事を見ているわよね……?」

「そうなのですか? ここには平民も沢山居ますから、貴族が珍しいのかもしれませんね」


「ねぇユン。何故か周りが私に注目して――」

「まぁちょっとは敵意も混じってるけど、害意は無さそうだから大丈夫だろ」


 という具合だった。

 だからこそ、放課後に偶然校内で会ったセシリアの姉・マリーシアからその噂の存在を聞かされた時、セシリアはガックリと肩を落とす。


「えぇー……何なのですか、その噂は」


 まさかそんなにも事が大げさに、しかも広く早く伝わっているなんて。

 そんな感想を抱きつつ、セシリアは後に来るだろう『面倒事』を想像してため息を吐く。


 と、そんな妹にマリーシアはクスクスと笑ってこう言った。


「まぁ私はそんな美談などではなく、ただの『フライングやらかし』だと思っているけれど」

「それはそれで嬉しくありません、マリーお姉様……」

「あら良いじゃない、それでこそ我がオルトガン伯爵家の末妹よ」


 重ねられたその賛美は、間違いなく面白がっている。


 もしかしたら領地に居る兄からも、近々今回の事に関して手紙が届くかもしれない。

 心の中で「弄られる覚悟をしておかなければ」と、セシリアは密かにため息を吐いたのだった。


 



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 当該話数の裏話を更新しました。

 https://kakuyomu.jp/works/16816700428159297487/episodes/16816700428204656763


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