第4話 10/20 14:30

 運転手は膝から崩れ落ちた。腹にもう一発入る。細切れになった腸が腹からこぼれ落ちる。運転手は悔しそうに警備員の方を見つめ、膝立ちしたままやがて目を瞑った。

 「――」

 掠れた声で呻いている。警備員は運転手の肩に弾丸を放って腕を吹き飛ばし、近づいて顔に膝を入れる。倒れた運転手の顔へまた銃が向けられる。

 一、二、三、四、五、六、七――

 警備員は笑っていた。運転手の顔は既に跡形も無くなり、辺りには血と脳味噌が散乱していた。最後にその肉塊を右足で踏みつけそのままじりじりと擦り、一息つくと、側で見ていたアダムの方に戻ってきた。彼女の黒いブーツは綺麗なままだった。

 「行っていいって言ったじゃん」

 寒気に耐えられない。「俺は逮捕しないのか?」とつい聞いてしまう。

 「は?何で?」

 お互いに意味がわからないという顔になる。警備員は付け加えた。

 「私は企業のルールに沿ってやってる。裁くのは運転手で、客じゃない。あと、あなたは能力者でもないでしょ?」

 大外れだ。口の中が苦い感じがする。このまま話し続けてたら絶対に殺されてしまう。アダムは耐えられなくなった。

 「ああ、そうだな――それで、あの入り口に行ったらいいか?」

 「そう、あそこ。ハンドウォッチは着けてる?」

 「着けてる」

 「じゃあ大丈夫。係員にそれを見せて、問題が無かったら入れるから」

 「わかった」

 警備員は会話を終えるとポケットから小さい端末を取り出して操作を始めた。アダムは彼女とその後ろに散らばっている運転手の死体の何もかもから目を背け、入り口の方へ向かって歩き始めた。

 灰色の壁が空を覆い隠している。ふと「あなたは能力者でもないでしょ」という言葉が戻ってくる。アダムは思い出したように自分の服を探り、例のカセットプレイヤーがあることを確かめた。これさえあればアダムは時間を飛んでさっきの運転手を救うことができたし、この先任務で問題が起こっても修正が可能だった。だが、そうする気は起きなかった。仮にさっきの運転手を助けたとすれば、あの警備員を何とかして殺害しなければならない。そうすると警備員が殺されたことを聞きつけて警備体制が変わる。とにかく何が起こるかわからないのである。しかしながら、それ以上にアダムは、もはや自分の能力を使うことに得体の知れない抵抗を覚えていた。いくら修正ができたとしても、一般人に自分が能力者であることを示すことそれ自体が嫌になっていたのである。結局懐に忍ばせているカセットプレイヤーは役に立たないお守りにしかなっていなかった。



  居住区L-15と能力者の矜持



 入り口が近づくにつれて、関所の様子が徐々に見えてくる。ゲートのような大掛かりな装置はなく、係員のような人が2人いるのみ。片方が太いペンのような道具を握っており、その側には背の丈ほどのコンピュータがケースに入れられて墓標のように置かれていた。他に人がおらず、彼らは暇そうに器具をいじったりコンピュータの点検をしたりしていた。

 アダムは左手のハンドウォッチを起動し、個人情報を見返す。鼓動が若干強くなる。この瞬間から、マグ・オブシディアンという人間にならねばならない。L-15に訪れたひとりの一般人として、彼らの考えの中で過ごさなければならない。そして観察者として、現実を記憶して持ち帰らなくてはならない。

 意を決して係員に近づく。道具を持っている方が先に前に出る。

 「左手のハンドウォッチを見せてください」

 そう言いながら、左手の袖を捲り前に出すジェスチャーをする。久しぶりに聞く丁寧口調に若干戸惑いながら、同じように左手の甲を見せる。すると、係員は持っている器具の先をハンドウォッチに軽く当てる。コンピュータが若干様子を変える。

 もう一人の係員がコンピュータの後ろに立ち、何かを確認しながら質問する。

 「オブシディアンさんですね」

 「ああ」

 「滞在期間はどのぐらいですか?」

 「5日ぐらい。長くても一週間」

 ふと、このように自分の身分を隠す必要はあるのかと疑問が湧く。こんな細工をせずにアダム・テッセラクトと自分の名前を名乗っても良かったんじゃないかと考えてしまう。個人情報を偽るのはどの任務でもやっていたし、今回は特に膨大な手間がかかっている。それを丸々吹き飛ばすのは全くの裏切りになるし、そもそも自分だけではなく組織を隠すための偽名であることは解っていた。それでも、アダムはどこか自分は自分の名前を晒しても何も問題は無いのではないかという気がするのだった。

 この考えは突如向けられた銃口によって妨げられる。長いチェックが終わったと思えば、ハンドウォッチに器具を当てていた係員が今度は銃をアダムの頭に当てている。

 「動くな」

 「まだ撃つな」

 係員の口調が厳しくなる。コンピューターを見続けている方がもう片方を牽制している。

 「撃っていいも同然の状況だ」

 「まだ判らん。もし違ったら死ぬのは俺達だ」

 手が震えているのが銃を通して伝わってくる。

 「一体どうなっているんだ」

 アダムは係員の顔をじっと見つめる。係員はこっちを向いているが、目を合わせようとしない。僅かに空いた口の間から、さっきの警備員と同じような水色の物体が見えた。

 「何故ここを通しもせず殺しもしないんだ」

 「あなたには関係の無いことだ」

 「関係はあるだろう」

 「あなたには知る由もない。一体あなたは誰なんだ」

 「マグ・オブシディアン」

 「本当にマグ・オブシディアンなのか?」

 「そのでかいコンピュータに載ってる筈だろう」

 「ああ、確かに載ってる」

 「――一体何を言ってるんだ?」

 頭に銃を当てられたまま膠着状態はさらに続く。痺れを切らして係員が引き金を引こうとすると、もう一人別の人間がやってきて、二人の係員に耳打ちした。数分の相談の後、アダムは突如として通行を許された。

 「ようこそ、L-15へ」

 「どうしたんだ、急に」

 「もう行ってくれ。これ以上聞くなら私らは自分のこめかみに銃を当てないといけなくなる」

 何もすっきりしないまま、アダムは係員の横を歩いて行く。ハンドウォッチを確認するが、さっきと何も違いがなく、何が係員を止めたのか見当もつかなかった。恐らく、係員と話をしたあの女か、彼女に指示をした存在が何かを知っている。ここで謎を解決することはできないと思ったアダムは、ひとまずL-15の内部へ入ることにした。

 外界と居住区を隔てる壁は厚く、関所から内部の入り口までさらに距離があった。壁の側面には千切れたパイプやケーブルが露出している。とても静かだった。陽は傾きつつあり、光が届くことは無く道は大きな陰を作っていた。空を見ると、大きな気球のようなものが一つ浮いている。やがて入り口が近づくと、床に先程見たリシアンサスの街の紋章が描かれているのが見えてくる。

 それを踏みしめて、小さな門を通り抜け、開けたところに出る。外側の壁の色より幾分明るい白の建物が地面から鬱蒼と伸びており、その間を住人が足早に歩いていく。ここは広場のような場所だった。だが、白いパネルの敷かれたスペースにベンチがいくつか雑に置かれているぐらいしか見当たらない。人はいるのに、活気がまるで感じられなかった。


案内板か掲示板と思われるものを見つけ、アダムはそれに向かって広場の真ん中をまっすぐ行く。それは掲示板だった。黒い画面に白文字で簡潔に情報が表示されている。


  〈治安強化週間〉ルール違反者・逸脱者の情報は積極的に拡散しましょう。ハンドウォッチの掲示板機能も積極的にご利用ください。

  〈逮捕情報〉昨日3人・一昨日5人。未逮捕の確定容疑者22人。

  〈徴税日のお知らせ〉明日は徴税日です。この居住区在住の方は、代金を準備して福利厚生センターにお越しください。


 特に目ぼしい情報は無さそうだった。看板の前に立っていると、遠くから聞こえる間隔の短い足音に加えて、得体の知れない視線を背中に受けている気がしてくる。「気をつけて」と言われながら、「殺してやる」と威嚇される、そんな感覚だった。

 なんとか居住区に到着できたが、休む時間も場所も無い。ろくな手がかりも無い中、なんとかして「瓶屋」のメンバーを探し出さなくてはならなかった。

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居住区L-15と能力者の矜恃 敦賀うたかた @Tsuruga_Utakata

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