第3話 10/20 12:00

 ビークルは低い音を立てて川沿いを進んでいた。

 アダムはタブレットの内容を思い返す。任務それ自体はただのである。会議で言われた通り、見たものを逐一報告するだけだ。能力者であるから身分は偽るが、それでも一度居住区に入ってしまえば幾分楽になるはずだ。企業によって能力者が多数殺害されているため現地の支援はあまり期待できないが、「瓶屋」のメンバーと基地が残っていることを確認している。

 それよりも、問題は出入り口の関所だった。事前の報告はかなり頼りなかったが、ただ名前を偽っておけば良いというレベルではなく、企業のデータベースを借りて整合性が取れているかチェックするという話らしい。そこで、この数週間の期間はこの個人情報の準備に充てられた。


 アダムはもう一度、左手のデバイスを確認する。急ピッチで整備されたものゆえ、何かしらのエラーが出ていないかという不安が拭えなかった。

 このデバイスは「ハンドウォッチ」という商品であり、L-15以外でも様々な居住区で個人認識に使われている。当初、新品のデバイスを入手して解析し、虚偽の個人情報を書き込む作戦だった。デバイスは「瓶屋」には無用の長物だが、商品として普及自体はしているので機材自体は金を出せば手に入った。だが、先の関所にデータベースが使われている旨の情報が入り、その改竄の難しさから新品は使わないことになった。

 代わって用いられた作戦が、個人情報が残っており、死亡報告が無く、かつ利用者のいないハンドウォッチを回収する案だった。アダムは詳細が知れなかったが、どうやら今持っているものはある能力者と争って得られたものらしい。一度手に入ってしまえば、データをもとに経歴や振る舞いを調べて模倣するだけと思われた。

 だが、解析を続ける中でそれが手の甲から血を抜いて生体情報の検証をしていると判ってからが大変だった。データベースがこういった情報を共有しているとなれば、単に装着するだけでは不十分である。何とかして元の持ち主、すなわちマグ・オブシディアンという人物の生体情報を何とかしてデバイスに認識させる必要があった。試行錯誤の末、エンジニアチームは何とかデバイスを改造し、あらかじめ登録した生体情報のみを送信させることに成功した。このとき既に出発の2日前、あとは関所を無事に通過できることを祈るしかなかった。


 気がつけば、正午を過ぎていた。運転席を見れば、男がハンドル片手に何やら四角い固形物を齧っているのが見えた。アダムも持参した糧食を取り出す。藍色の紙で包まれた円柱形の物体で、上に白文字で小さく印刷がされている。

  P.M. DEPARTMENT OF FOOD. For: Adam Tesseract, 10/20. Litterable.

 包みを破ると、カーキ色の樹脂製のケースが姿を現す。上蓋に収納されているストローとスプーンを取り出し、蓋を外す。上面にはストロー穴があり、シチューだかお粥だかよくわからないご飯が入っていた。まず穴にストローを刺して飲み物を少し吸ってみる。柑橘系の風味で僅かに甘い。そのままスプーンに持ち替えてご飯を掬ってみる。柔らかそうな見た目に反してやや固めだった。口に入れると、唾液と反応して直ぐにほぐれ、温かくなった。味はシチューのようだった。

 スプーンが小さく、食べるのに時間がかかってしまった。飲み物を飲みきり、ケースと包み紙をもろともビークルから投げ捨てる。箱が地面に当たって硬い音が聞こえると、運転席から野次が飛んでくる。

 「行儀が悪いぞ」

 「これはポイ捨て可Litterableのやつだ。明後日にもなればゴミは分解される」

 「そりゃ便利だな」

 「行儀なんて今更誰も言わんだろう」

 「ああ、勿論冗談だ」

 そう言うと運転手は手に残っていた固形物を放り投げた。

 「何を食べてたんだ?」

 「ビークルの運転手に支給される糧食だ。尤もこれを食い物と言えるかというとギリギリだが」

 「待て、糧食が支給されるのか?」

 「人が多かった時代のシステムがまだ生きているだけの話だ」

 企業の人間で、それも一般人に食べ物が配られるなんて珍しい。仕事に就いていてさえ食費の工面に苦労しなければならない中で、配給の類は大きな助けになっている筈だ。そのまま勢いで休暇中は何をしているんだ、給料はどのぐらいなんだ――と聞こうとしたが、自分が身分を伏せている立場であり、自分も同じように質問攻めにはあいたくないと思い、ここで止めてしまった。


 食べるものも無くなり、再び長い待ち時間になった。外を眺めても、何もない平野が延々と続いている。余りに暇になり、辺りに目につくものは無いかと見回すと、さっき足で踏み潰した通信機のパーツの残骸が残っていた。割れた金属のチューブから内側の構造が剥き出しになり、鈍く光る黄色い粉がそこに溜まっている。アダムは割れたチューブを拾い上げた。

 こういった器具は幾度となく使ってきたが、それがどのような仕組みで動いているのかは全く知らなかった。アダムが知っていたのは表面的な知識のみで、このチューブが一般的な電子機器の電源を担っていることと、その内容物は流通していないから、チューブを破壊すればすぐには機器が使えなくなることぐらいしかわからなかった。人差し指ほどの大きさのチューブの中に黒いパネルとケーブル、そして何かを支えるホルダーのようなものが入っている。付着した粉を指で摘み、擦って見ると、僅かに明るくなったように見えた。

 結局、この粉の正体はアダムには検討がつかず、チューブもろともビークルの外に投げ捨ててしまった。ふと、ある科学者とエンジニアのチームが話をしていたのを思い出す。彼らはこういった得体のしれない物体を机に並べて、どういう活用ができるのか話し合っていた。ある休暇中のことである。確か、彼らは「魔法技術」という名前でそれらを呼んでいて、黄色い石や綺麗な白い石を貴重そうに装置に運んでは、それに光を当ててみたり高速で回転させてみたりしていたのを見た覚えがある。科学技術に精通した彼らにも「魔法」というのは得体のしれない概念らしかった。


 奥の方に建造物が小さく見えた。運転手が話しかける。

 「もう見えたぞ。――L-15は何の花か知ってるか?」

 「紋章のことか?」

 「そうだ」

 「知らないが」

 「リシアンサスLisianthusという花だ」

 「どんな花なんだ」

 「もうすぐ見えるんじゃないか」

 もうすぐ見えるとはどういうことか、そう思いながら前を見ると、さっきの小さな建造物が灰色に鈍く光る高い壁に化け、自分たちの方に迫って来ていた。入口と思われる正面の裂けたような切り込みの右に、七角形の額縁に入ったリシアンサスの紋章が、水色の剥げた塗装で大きく示されていた。

 「あれがリシアンサスだ」

 「薔薇みたいだな」

 ビークルがスピードを下げる。壁が倒れてきそうな感覚もさることながら、紋章の花の絵は掠れて一部が見えなくなっているせいで構図が崩れており、見ていると何とも言えない不安が込み上げて来るのだった。

 「あれが入り口だ。ビークルの駅は手前だから歩かないといけないな」

 「お前はこの後どうするんだ?」

 「この近くにビークルの整備局と家がある」

 「そうか、頑張れよ」

 駅は壁の大きさに反して質素で、人がひとり立っている以外は誰もいなかった。小さな屋根のあるところに停まり、アダムは降りた。

 「じゃあ、お元気でな」

 そう言って運転手が手を振り、もう一度ハンドルに手をかけようとしたその時、女の声が聞こえた。

 「止まれ」

 さっき見えた人影だった。アダムは言うとおり運転手の方を向いたまま止まる。運転手の方はそのままビークルをもう一度発進させようとしたが、すぐさま彼女がビークルの運転席に発砲し、ハンドルが弾け飛んだ。

 「止まれと言っているんだ」

 強い口調で、しかも耳許だったため目眩がしそうだった。アダムは硬直したまま大穴の空いた運転席を見つめていると、右肩が叩かれる。

 「お前じゃない。もう行っていいぞ」

 彼女の方を見る。至って普通の格好をしていたが、ちらちらと見える歯の中に、何やら水色の物体が挟み込まれているのがわかった。恐らく歯が警備員をサインなのだろうと考えた。

 警備員はそう言った後、再び運転手の方に銃を向けていた。運転手は全く怯まず脚を組んで銃を見つめ、警備員に言い返した。

 「俺が何をやったんだ?」

 「距離制限違反」

 「一般人じゃそれだけで銃を向けられることは無いだろう」

 警備員はそれを聞いて僅かに口元を緩めた。

 「一般人はな」

 声が笑っている。

 「一般人はルール違反しないし能力も持ってないぞ」

 運転手の顔が強張り、ビークルを降りて警備員に近づこうとする。彼が拳を固く握ると、身体から白い火花が散り、両方の手首にリングが現れる。空気が低く唸るような音を立てる。彼は能力を使おうとしている――。

 「お前、能力者が一体お前に何をしたって言うんだ、いい加減そうやって俺を

 運転手の腹に風穴が空いた。

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