第2話 9/15 13:30

 この任務の始点は数週間前に遡る。

 先の任務を終えたアダム・テッセラクトは「瓶屋」の管理下にある居住区に帰還し、暫しの休暇を楽しんだ後、次の任務に向けたミーティングを待っていた。その当日、彼はいつものように赤黒いロングジャケットを着て、集合時間より幾分早く会議室に入り、椅子に座って考え事をしていた。

 彼の手には小柄な赤いカセットプレイヤーが握られている。塗装が剥げ、細かい傷が無数についたそれは時間能力者The Time-skilledアダム・テッセラクトの核とも言える存在であり、彼の人生を救い、また狂わせてきた代物である。天辺にイヤホンと一般的な操作スイッチが集約されている他、「Current editing time現在編集中の時刻」と書かれた小さなモニターがついている。彼の能力はイヤホンを耳に着け、スイッチを押すことで時間をテープのように巻き戻すことができるというものだった。

 だが、アダムは自分の能力を長年使用していない。自分と同じような能力者は世界に数多といる上、その始まりは数百年前に遡る。能力を自分のために使う人も居れば、それを活用して弱者を救う人も少なからず居た。だが、それ以上にテロ行為や社会混乱を狙った事件が目立つようになると、支配層である企業は能力者を等しく弾圧した。企業のサービスから疎外され、スケープゴートとして利用されるのに従って、能力の無い一般の人々もそれに迎合するように能力者を目の敵にするようになった。能力者はいつの間にか能力を封印せざるを得なくなり、名の知れた者は自分を偽って生活をしなければならなくなったのである。

 企業はこの世界の絶対的支配者。東西南北4つある企業連合が政府となり、社会の金融・雇用・物流を司っている。企業はかつて資本主義のシステムに則って競争の中で生きていた。いつしか市場の独占が制御できなくなり、超巨大企業がそれぞれの分野で生き残ると、彼らは不当な価格設定で人々の生活を蝕むようになった。科学技術が十分に進歩し、発展の必要が無くなった昨今では、仕事に就けるチャンスも滅多になく、貯金を作ることすらままならない。企業の独占を許した地点で旧政府は既に敗北していたと言えたが、企業はその地位に飽き足らず、金と資源と権力によって人々を縛るまでに増長した。

 「瓶屋Phial Merchant」は、当初は能力者の自助組織として生まれたという。科学技術が十分に発達していなかった頃、彼らは情報を紙やメモリに書き込み、封をした瓶に入れて仲間に渡していたらしい。その名残で、組織は今も瓶の形をした特殊な記憶媒体を使っている。社会に反抗する組織としては、「瓶屋」は幸福、あるいは幸運にも社会の激動を生き残り、能力者の復権と企業からの開放を目指す大規模な諜報組織へと成長していた。


 暫くして、アドレイド・ブロッサムが会議室に入ってくる。自身は諜報員、彼女はオペレーターという関係で、もう長い付き合いである。会議までにはまだ時間があった。先に挨拶したのは彼女だった。いつも通り、百合の意匠をあしらった白いローブを着ていた。

 「こんにちは」

 持っている書類の量からして、彼女が任務を説明するようだ。カンペと思われる紙を見返した後、部屋に飾ってあった何かが目に入ったようで、暫し観察して口を開いた。

 「ここは元々居住区だったようね」

 「組織が作った場所じゃないのか」

 「ほら、そこに紋章が飾ってある」

 伝統的に、一般の居住区には英語のアルファベット一文字と数字を併せた名前が割り振られており、そのアルファベットを頭文字にもつ花が紋章として与えられている。今やそういった記号は企業の統轄業務にしか使われておらず、「瓶屋」は独自に作った施設に名前を付ける習慣を持っていなかったので、紋章の存在は「瓶屋」が居住区を再利用したことを意味していた。

 八角形の金属板に彼岸花Cluster Amaryllisが大きく彫られており、その下に「C-6」という文字があった。確かに、ここは以前居住区C-6だったようだ。

 「C-6。何か知ってるか?」

 「さあね。恐らく放棄されたのをうちが回収したんでしょう」

 「そうか」

 組織が使われなくなったものを回収して利用するのは別に珍しくない話であり、寧ろ自分たちのような組織はゴミとして捨てられた数世代前の技術に頼りきりであった。 当たり障りの無い会話はそれ以上発展せず、アドレイドは再び書類に目を向けた。


 気がつけば、予定されていた集合時間を少し過ぎており、部屋には多くのメンバーがやってきて、いくつかのグループに分かれて話していた。

 アドレイドが合図すると、皆は話すのをやめて適当な席に座った。円形のテーブルを囲む全員の顔が見えた。よく知った顔もあれば、全くの初対面ではないかという人もいた。落ち着きが無く、この人は新人だろうかという人も一人いた。部屋が静まり返り、やがて視線が彼女に集められる。

 「それじゃ、会議を始めましょう」

 「よろしくお願いします」

 「今回の任務は、支配状況が大きく変化した居住区L-15の実情を掴むこと。あそこには交通機関を管理する強力な会社があって、居住区の管理もそこがやってる。昔うちの組織が調停に行って一般人とか能力者の居場所を作ったのだけど、近頃になっていきなり統制が厳しくなったという話を聞いた。今回は諜報員に出向いてもらって、現地の状況を伝えてもらう――」

 共通の情報を伝え終わるや否や雰囲気がいくらか緩まり、何人かは席をすぐに立ってコーヒーのお代わりを取りに行く。卵のようなものを取り出して手のひらで転がしている人もいた。要は自分に関係のあるところ以外は暇でしょうがないのである。

 部屋は会議が始まる前よりも混沌とした様相になった。会議の挨拶は「いただきます」や「ごちそうさま」という言葉に近く、いくらか会議中に歩き回る人でも挨拶のときだけは神妙な顔をして席に戻った。

 アダムもまた、たまたまポケットに入っていた竹か何かの切れ端を手の上で転がしていた。時々、これで諜報員に連絡は回るのかとか、エンジニアチームは3ヶ月徹夜しろと言うのかとか、そういう声が聞こえてくる。アドレイドの方を見ると、いろいろなチームの代表が入れ代わり立ち代わりに相談に行っていて、どうも調整に難儀しているようだった。声が掛かったのは、会議が始まって3時間経った後だった。

 「あなたは諜報員として実際にL-15に行って報告してもらう役ね」

 「いつもどおりだな。サポートは君か?」

 「ええ」

 「それで、同行者とはもう話をしたのか?」

 「それが、言いにくいんだけど――」

 一人なのか。能力者への風当たりが強くなったと聞いたところに能力者を単身で行かせるのか。そう言おうとしたがもう声が出なかった。

 「――それで、具体的には何をみてくればいいんだ?」

 「個人情報とか個人用デバイスの活用具合、企業の管理する店と一般人の出している露店、政府の役人とか広報の様子、ぐらいかしら。もしあれば暴動事件も。滞在期間は長くて一週間ぐらい」

 つまり、自分がいかに突っ込んだところまで観察してくるかに懸かっていた。任務の本質として、リスクを犯して情報収集をするほど組織の利益になる。だが、そうするのなら少なくとも一人で潜入させるのではなく支援役が同行したほうがまだましになる。これは無理な計画だ。

 「おかしくないか」つい声が出てしまう。

 「私だって文句言える立場じゃないの」

 そう言ってアドレイドは要項の入ったタブレットを渡した。「瓶屋」はこの部屋で完結しているわけではない、そう思うともう何も文句は言えなくなってしまう。

 「さっきのエンジニアみたいに文句を言ってもなんにもならないからね、特にあなたは。頑張って」

 そう言うと彼女はもとのテーブルの前に戻り、立っている人に目配せをした。すると部屋にいる全員が最初の場所に戻り、席に座る。静かになった部屋で、会議が終わる。

 「それでは、会議を終了します」

 「ありがとうございました」

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