居住区L-15と能力者の矜恃

敦賀うたかた

第一幕

第1話 10/20 5:20

 アダム・テッセラクトはある辺境の駅でビークル個人輸送車を待っていた。左手の甲に装置が装着されている事を確かめた後、それを起動して、内蔵されている個人情報を一つづつ検める。


  氏名:マグ・オブシディアン、番号:L-15-20009213、職業:なし――。


 長いリストを下までスクロールし終えると、今度はズボンの右ポケットから小さなカードを取り出して、それを端末にかざした。すると端末はすぐに画面を切り替えて所持金を表示する。彼は「2000Ab」という数値をみて一瞬眉をひそめたあと、端末の電源を切ってしまった。


 暫くして、ビークルが見えた。青白い光点が向こうからやって来る。アダムは手に持っていたカードを仕舞ったあと、別のポケットからコインを取り出して、それを握りしめてビークルが来るのを待っていた。ビークルは機械が運転する。いつものように端末にコインを入れて行き先を入力するだけだが、その端末の形が毎回違っていてややこしい。今度はどこにコインの投入口があるのだろうか――そんなことを考えていた矢先、到着したビークルを見て彼は驚いた。珍しく、人間が運転していたのだ。

 煤けたような色をした、棺桶のようなカートに小さな運転席がついたものが浮かんでいて、そこにやや年老いた男がハンドルを握っていた。少し寒い季節だというのに、彼は薄手のシャツを着ていて、さらに腕まくりまでしていた。運転手は鋭い目つきでアダムの方を見る。

 「オブシディアン様、でよろしいですかな?」

 「そうだ」

 「へぇ、写真から大分人相がお変わりになられたようで」

 まずい。顔には出さなかったが、アダムは焦った。低価格なビークルを予約して人が運転して来るのだけでも予想外なのである。身分を隠さなくてはいけないのにこんなところでバレては任務が始まる前に終わってしまう。機械のときは顔なんて確認しないのに――待てよ。

 「予約のときに顔なんか提出していない筈だが」

 やや怒気のこもった声色でそう言うとその男は笑った。

 「冗談だ。気づいただけお前はまだ賢いな」

 「毎回こんな引っ掛けをやってるのか?」

 「やってるが、そもそも客がほとんどいない。ビークルの運転手なんて機械がやるもんだからな。お前も人が来るなんて思わなかっただろ」

 「ああそうだ。だが、一般人も乗ることだってあるだろう」

 一般人と言ってしまえば自分に裏があることが勘付かれる。墓穴を掘る発言だったが、会話からして自分が任務を抱えているのが勘付かれているのは明らかだった。

 「いいや、甘いな。今どき遠方に出かける余裕のある人なんかいないし、そもそもこんなビークルに出すコインを買う金すらない人が大半だ」

 もっともな意見だった。そもそも居住区の間に距離を開けて、高額な移動費をつけることで労働者の流出を抑えるという偉い人企業連合の策略だ。実際、多くの人の移動を制限することに成功している。ビークルに渡すコインは駅で買えたが、そもそもこのコインの値段がありえないほど高かった。

 運転手は話を戻した。「というか、行き先はどうする?機械じゃ直接行けないところも考えていいぞ」

 嬉しい提案だった。本来、機械制御のビークルに入力できる目的地は「60km圏内かつ登録された駅のみ」という制限がついていて、一回乗ったぐらいではほとんど隣り合った居住区しか行けなかった。

 「居住区L-15だ、ここから100km程度」

 「機械ならおおよそコイン2枚ってとこか」

 「そうだ、本来なら1回乗り継ぎしないといけない」

 「本来なら、ねぇ」

 お前が自分で値切りだしたんだろ――とは言える立場ではない。沈黙。

 「わかった。コイン1枚で行ってやる。こっちの事情でな、距離はわりかしどうとでもなる癖に1回の乗車でコインを2枚以上一気に貰うのは都合が悪いんだ」

 「ありがとう」

 飾り文字や複雑に光る石など、豪奢な装飾がされたコインが手渡される。運転手はそれを慣れた手つきでスキャナに通すと、その横についた箱に入れた。

 「それじゃあ、乗ってくれ」


 ビークルは低い音を立てて発車した。本来なら地面に引かれたラインに沿って動くところを、元の駅が見えなくなったぐらいで早速外れた。ようやく昇ってきた朝日が顔の右側を照らし、地面に長い影を浮かばせる。ビークルは出力に制限がありお世辞にも速いとは言えず、到着予定は大体昼前かという感じだったが、歩くよりは断然よく、これより速い移動手段は高価すぎて金が出せなかった。

 充分に明るくなったところで、アダムは通信機セットを取り出した。画面とキーパッドのついた本体を足に挟み、プラグの付いた金属のチューブを持つ。チューブの側面には細長い隙間があり、中で何かが光っているのがわかる。チューブを通信機のソケットに入れると、一瞬画面がちらついて電源が入る。事前のブリーフィングで貰った通信アドレス、個人番号、認証コードとやたら長い暗号群を手打ちで入力し、イヤホンを左耳に差し込むと、しばらくして良く知った声が聴こえてくる。

 〈こちら「瓶屋」東部通信局、アドレイド・ブロッサムAdelaide Blossome

 「アダム・テッセラクトAdam Tesseractだ」

 〈第一次状況報告ね〉

 「そうだ」

 〈周りに人はいる?〉

 「ああ」

 〈じゃあ、マニュアル通りに一問一答で行うから、「はい」か「いいえ」で答えてね〉

 「わかった」

 〈今あなたはビークルに乗っているってことでいいわね。〉

 「はい」

 〈設備のトラブルか武力衝突があったか、今後起こる可能性はある?〉

 「いいえ」

 〈到着時刻は午後2時から一時間以内?〉

 少し考えて返事をした。「いいえ」

 〈遅れる?〉

 「いいえ」

 少し間が空いて、的確な質問が来た。〈ビークルの運転手が人間だったのね〉

 「はい、その通りだ」

 今でこそビークルはほとんどが機械制御だが、人間から機械への移行が始まったのは50年も前であり、その前身となる交通網も大部分を人間が運用していた。レアなケースではあるが、想像が困難な状況というわけでは無かった。とは言うものの、盗み聞きを防ぐためのこの質問形式では詳しい状況や今後の展開の説明も困難であった。

 〈まあいいわ。少なくとも居住区L-15までは無事に着くでしょう。現地についたらまず「瓶屋」のメンバーを探して、現地の状況を伝えてもらって。それから第二次状況報告ね〉

 「了解。」

 そう言うとすぐに通信が切れた。アダムは通信機から鈍い光の漏れるチューブを取り外すと、それを床に投げつけて叩き割り、靴で踏み潰した。中身が潰れ、火の粉のようなものが飛び散り、風に乗って後ろの方に取り残されていく。

 通信が終わるのを待っていたのか、すぐに運転手が話しかけてきた。

 「L-15に行って何をするんだ?」

 「観光だ」

 「そうか」

 「聞いただけか?」

 「いや、実は俺はL-15の出身でな、十年ぐらい前まであそこの交通関係の会社の下っ端をやっていたんだ」

 「辞めさせられたのか?」

 「そうだ。昔はあそこには割と寛容な雰囲気があってな、俺みたいなでも差別されなかった。だがある日いきなり俺は会社を解雇され、いつも通ってる店にも入れず、住居も変えさせられた」

 「どうやって運転手の仕事に就いたんだ?」

 「愚直に事業所に行ってテストを受けた。その会社でやってた業務がこういうビークルの管理でな、その知識が活きた。だがあのテストは明らかに難しかった。ちょっと業界で働いたことがあるとかそんなレベルの人じゃ合格できんだろう」

 アダムは運転手の話を聞いていた。彼はまさしく今回の任務の恩恵を受ける人々の一人だと思われた。彼は恐らく、自身と同じような特殊能力者The Skilledなのだ。身分を偽り、能力を封印する生活を送る中でつい忘れそうになる事実であるが、一般人や企業社会の間では、どういうわけか能力者は不可触民のような扱いを受けていた。今まで見てきただけでも、物質を操るもの、精神を操るもの、自分と同じような時間を操るものなど色々いたし、企業や一般人に味方する者も当然いたはずだが、人々はそれを等しく卑下し、彼らの社会から追放してしまった。我々「瓶屋」はそのような能力者によって作られた組織なのである。

 

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