第30話 C'est un gros problème pour quelqu'un

 親を殺した。それはエイダンの原初の罪だった。




 エイダンはペイ•ド•ラ•ロワールに誕生した。エイダンが生まれてまもなく、母親は父親の暴力に負け、死んだ。エイダンは父親に育てられることとなった。


 しかし、上手くいかない子育てにストレスを溜めた父親は次第に酒に溺れ、エイダンを虐待するようになっていった。


 毎日殴り、暴言を浴びせ、時には腕や背中に煙草の吸い殻を押し付け、挙句の果てに今でも後遺症と

して火傷痕は残っているし、多少、打撲痕は残っていた。


 感情を抑えていたが、我慢の限界を迎えたエイダンは、殴られている最中、隠し持っていたナイフで父親の腹を刺した。それも何度も、何度も。


 死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、

死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、

死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、

死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、

死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね

死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、

死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、

死ね、死ね、死ね。


 今までの恨みを込めるように。両手が血で赤く染まるまで。


 気が付いた時には、父親の腹は抉れ、見るにも

絶えないほど、惨い残骸だった。その後、通報され、連行されていったエイダンは虐待を受けていたと警察に見せ、正当防衛として執行猶予がつき、後に施設へと引き取られた。


 しかし、引き取られた後もエイダンは孤独だった。親殺しの名はエイダンに憑いて離れない。


 施設の中では孤独だった。父親の暴行よりは軽いがいじめを受けた。それでも良い。自分が幸せなら。


 だって、人は自分の幸せしか願ってない。誰かを助けたい者、愛を与えたい者。みんな、愛して欲しいし、人を助けることで自己満足、優越感に満たされる。そういう生き物だ。


 エイダンは知っている。かつて愛し合った男女の末路がどうなったのかも。愛の形が消失したり、歪むことも。


 だから、エイダンは誰にも愛を捧げない。愛を捧げたらおそらく、あの父親と同じようになってしまうと確信しているから。








 思考の闇に沈んでいた時、バンっと机を思い切り叩く音がして、意識を現実へ戻した。エメが沈んだ意識を戻してくれた。


「ジンアンドビターズじゃないのか」


「あんたはもう十分飲んでるでしょ。それよりも、これ飲んで今の幸せを甘受しなさい」


 エメはそういってゴールデンキャメロックをエイダンの前に置いた。甘口だが、ほんの僅かな酔い覚ましには必要だろう。


 エメの優しさ。こうやって彼女に甘えている自分は幸せなのだろう。できるなら砂糖より甘く、も な、彼女の優しさに溺れていたい。


 そんな馬鹿で、叶わぬ望みを持った自分に嘲笑しながらエイダンはゴールデンキャメロックを見つめた。


「この上ない幸福、か。なら、お前の酒を飲めている俺は幸福に包まれているんだろうな」











「なんなのよ、あの笑みは! 絶対確信犯よ!」


 思い出すだけで顔を赤く染め上げたエメの話をリオネルは苦笑いして聞いていた。


 いつもは大人なエメだが、エイダンが関わると乙女な反応をする。それが少し面白くてリオネルはエメはこのまま片想いのままでも良いかなと考えたりもしていた。


「恋する乙女は強いといいますけど、エメさんもそうなんですか?」


 リオネルの疑問に顔を赤くしていたエメは熱から冷めたように平然と答えた。


「あら、恋していても、恋していなくても女は強いわよ。男が思っているよりもずっとね。誰も彼もヒロインみたいに守られたくはないのよ。けど、男も弱いわ。女より待遇が良くないでしょ。労働もそう。…戦場で戦って女や子供よりも深く傷付いているのに見なかったふりをされる。その生は平等にあるべきよ。私はそう思うわ。だって、全然この世界は平等じゃないんだもの」


「…平等、」


 平等、か。男一人殺されても騒がないのがこの世界の常識となりつつある。男の命は軽いと見られている。フィクションのように嘆き悲しまれない。自分達だって同じだ。歴史に名を残すほど偉業を成し遂げていない自分達はいつか歴史の闇に葬られる。

ただの数字として残るだけだ。


「エメさん、俺、ループしてきて、初めて聞きました。平等を望んでいる人。ねぇ、エメさん。俺さ、何回目のループかはもう忘れてしまったけど、数回さ、いわゆるメイル・レイプされたんだ」


 俺は皆さんが死んだ後、放浪して、図体の大きい男達に囲まれて、逃げ場はなくて、逃げる気も殊更なくて、死にたくて。その場は誰かを支配したい者の楽園で、支配された者にとっては墓場だった。

実際、俺は何度も何度も欲を吐かれ、腹上死した。


 …ループの中で一番最悪な死に様だった。一番、記憶の底でずっと居座っている。リオネルは何の表情も出さずに淡々といった。まるで、初めて会った時と同じよう。


 しかし、エメには分かった。ただ、悲しみを抑えているだけだと。


 メイル・レイプなんてこの世界には既にありふれてしまった。けれど、女のように名乗り上げられないのだ。だから、今もこうして苦しんでいる人間は多くいる。女もそうだけど男だって被害者になるのだ。


 エメはリオネルの頭を抱いた。汚れてしまった何かから守るように。リオネルにはそれがなによりも嬉しくて、寄り添ってくれる者の優しさだと知っていたから甘受した。






「けど、よくもまああの坊ちゃんのキスは受け入れられたわね」


エメは、思い出すかのように言う。その顔は苦いものを食べた時と同じだった。


「ああ、帰宅した後普通に吐けました。あれ、ファーストキスでしたし。無理すぎてトイレの中が吐瀉物の臭いで充満してました」


「そこは言わんでいい」


「あ、はい」


「…だからあんなに鼻がもげるほど臭かったのね。ていうか、今、ファーストキスって言わなかった?」


 エメは耳を疑った。


「言いました」


「…あのガキ、殺すわ」


 今にも殺しに行きそうなリオネルはエメを必死に止めた。






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ラ•モール•エ•アンジュ 雛倉弥生 @Yuzuha331

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