第29話 un nouveau départ


「あんた、これからどうすんの」


 レティシアは、あの日突然同じ、酒場のスツール

に腰掛け、酒を飲みながらレジーにたずねた。


 あの国にとっては大きな損失をした事件の加害者でもあり、被害者でもあった。どちらにもいられない、レティシアからみれば哀れな人間だ。どちらかにいれば少しは心が楽だった筈だ。


「どうもしないよ。君に言われた通り、彼らの骨を持ちながらただ死ねるまでふらふらと彷徨う。国を出ても良いさ。でもね、会社も畳んだし、家族なんてとっくの昔に死んだ。居場所なんてないに等しい」


 レジーの言葉からは悲壮感すら漂わなかった。当たり前に受け止めていた。逆にレティシアが心を痛めてしまうほどに。


 しかし、レティシアにはあてがあったのだ。彼の居場所となる場所の。だから、死なれては困る。彼らの分まで生きろと言わない。


 しかし、この男の為に命まで張った者達の命を粗末にはしてほしくない。レティシアが言えることではないけれど。だから、レティシアは厳しく、強く言い放った。


「なら、私たちが忘れた頃に死になさい。それまであんたは生きろ。死んだら許さない」


 言い終わると、もう話すことはないというように

レティシアはカウンターに勘定を置き、店を出た。レジーも特に何も言うことはなかったので追いかけはしなかった。


 ふと、カウンターに白いメモが置いてあると気付いた。レティシアが置いていったのだろうか。メモを開き、読んだレジーは苦笑した。


「ほんと、なんで好きにさせてくれないのか。…素直じゃないな、君も」


 遠回しなのだ、伝え方が。全く、本当に変な女だ。彼女も、彼女の仲間も。殺す筈だった自分に情をかけるなど。


 居場所が無くなったのに、再び居場所を与えるなど。レジーは泣きたくなった。誰も慰めることはしなかった。


 レジーにはそれがありがたかった。慰められたら声を出して泣いてしまうかもしれないから。透明な雫が落ち、カクテルの中で波紋がたった。










「レティシア」


「リオネル、もう退院できるほど回復したのね」


 病院の屋上へ来たリオネルは先にいたレティシア

へ声をかけた。


 イギリス旅行は一日を残して終わりとなってしまう。それまでを入院して過ごすことになるとは、エメにどう話せば良いだろう。呆れられたりする気がする。


 レティシアは、髪を下ろしたまま、手すりに寄りかかっていた。その眼差しは遠くを見つめており、何を考えているのか瞳にも浮かばない。


 結局彼女は一度も己のことを話さなかった。けれど、それで良いと思う。他人が深く追及するものではない。彼女自身が話したいと思った時に話せば良い。それまで待っているだけだ。


「レティシア、俺はレジーさんと出会って同じような人間に出会った。少し嬉しかったのかもしれない。多分浮かれてた。だが、今回の件で復讐を果たすには多くの人間が犠牲になるというのも知った」


「知って、どうするの」


「それでも俺は復讐をやめない。これが俺の生きがいだから。今更やめられないんだ」


 もう誰にも止められない。自分にだって止められないかもしれない。引き金は戻せない。


「そう、なら私は見守るだけよ。復讐を止めるのなんて簡単。だけどね、その権利は当事者以外の私達にはないの。他人である私達が止めてどうなる? その人間の経験、思いすら知りもしないのに? 正義を、法律という盾を持って哀れな人々を踏み潰すだけかもね。私はね、そんな正義を振り翳して散々な目にあった人間を、やっと立ち上がった人間を

止めるくらいなら悪に味方するわ。だってもう悪に染まっちゃった、反逆者だしね」


 にこりとレティシアは笑った。悪だと、犯罪者だと言え。どうだって良い。そっちに正義があるんだったらこちらにもある。誰もが光を受けた人間ばかりじゃない。


 闇に生きる人間だって、人間らしく必死にもがいて生きている。それを悪だと、犯罪者と一つに括り付けることは、自分以外何も見えてない人間の証だ。


 すると、音を立てずに静かに、リオネルの瞳から

涙がこぼれた。とめどなく流れるものだから乱暴に手の甲で涙を拭った。


「すまない、なんでもないんだ」


 勝手に口から出た。これ以上涙を流してしまえば、止まらなくなるから、抑え込んだ。涙なら後で幾らでも流せば良いから。


 レティシアは何も言わなかった。もう彼の過去を

聞いている。だから、追及はしない。大切な友の悲しみを抉るような真似、したくはない。


 肯定されて嬉し涙を流しているリオネルを尻目にレティシアはゆっくりと上がってくる朝日を眺め見ていた。





 さて、そんなこんなで旅行は最悪なような、楽しかったような、様々な思い出で塗られていくのだが、リオネルはただいま自室でぐったりしていた。


 所謂旅疲れというものである。帰ってきたリオネルを既に退院していたエメは笑う。


「一度も旅行になんて行ってこなかったから気が張ったのね。お疲れ様、どうだった?」


「なんかもう、凄かったですけど、疲れました」


 また苦笑い。


「そっか。でも、楽しかったのね。今日はもう休みなさい」


「あの、その前に言っといてくれます? エイダンさん達に煩いと」


「…言っとくわ、あの馬鹿に」


 エメは額に手をやった。一階のバーではエイダン含めた一課の一部の人間達が騒いでいる。これではリオネルも満足して眠れやしない。


「ちゃんと眠るのよ。おやすみ、リオネル」


「おやすみなさい、エメさん」


 リオネルは目を閉じた。そこからは夢の世界だ。







 夢を見た。自分が幾度となく殺される夢。ループの度、死にゆく仲間の死。以前までは受け入れられていた。


 しかし、今は吐き気も催す。許容できない。だが、忘れることもできない。リオネルにとって地獄のようだった。だが、突如、暗闇の中に一筋の光がさした。


 脆いけれど必ず希望となるその光に。いつの間にか、リオネルは救われていたのである。








「なーに、また思い出してるわけ?」


 エメは呆れた顔を作り、悲しみを通り越して無表情で頬杖をついていた。


「…ああ」


「だったら、思い出さなければ良いのに」


「思い出したくなくても、勝手に脳裏に浮かんでくるんだ。どうにも出来ない」


「そう。過去の記憶はどうやったって消えないものね」


 誰にでも消えない記憶はごまんとある。エメだって、エイダンだってそうだ。胸にたんまりと抱えているのだ。


「で、どんな記憶なのよ」


 エメはエイダンが嫌な記憶を抱えていることは知っているが、詳細は知らなかったのだ。みんな、誰かの秘密を知りたい衝動に駆られる。


「…なに、大したことじゃない」


「あら、あんたが大したことじゃないっていえばいうほど、大したことになるのよ」


「それもそうだな」


 エイダンは笑い、息も吐かず、酒を飲んだ。ここからは大人の時間だ。











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