第22話 前夜
夜の雪の中でひとりで凍えていた。声は誰にも届かないので泣く意味もなかった。けれど誰の為でもなく溢れた涙は落ちるそばから凍てついた。あと一分でも体温が低ければそれは頬を逆さに伝って目を焼いたかもしれない。だからこれは奇跡でもあった。ひとりではあったが生きていた。朝が来るまで随分と遠かった。夜はどこまでも続いていて終わりなどないように見える。その冷たい昏さの中でもはっきりと白さのわかる雪は自分が流す涙の幾重にも厚い煌めきがあった。穢れはここに居てならぬと思うのだがしきりに寄せる悲しみは歩を許さなかった。奇跡など要らぬ。一層の早さをもって朽ちてしまいたかった。
異端とされるまでの彼女は栄華の中にあった。幸福の袂に生まれつき叶わぬ願いはなかったという。ゆえに傲慢に育ってはいたものの彼女には本能として知性が備わっていた。疎まれることも織り込み済みで反発を許さない理論を並べたてそれらも服従させてきた。それは夜よりも長い永遠になるはずだった。
ある時彼女に一人の青年が申し出た。それは盤戯の誘いである。彼女はつまらなかった。同時に青年を愚かしいと思った。未来永劫この地において自らより賢しい者があるはずもないと考えていたからである。青年は彼女の尤も得意とする場で挑みを仕掛けたのである。これが暴力に任せた戦であれば寸分勝機もあったろうにまこと愚かしい者だと嘲笑した。せめてもの手向けにと民草も目の当たりに出来るよう広い闘技場を即席で誂えた。陽の照りつける空の下、決戦は開かれた。青年の望みは彼女の失脚であった。彼女には敵も少なくなかったが誰も盾突くことはなかった。なぜならその知性と謀略をもって敵たるは皆処刑してきた彼女である。多くの前例をしてその後誰も歯向かうことをしなくなった。青年は久方ぶりに現れた挑戦者だったが彼女はつまらなかった。弱さを知らぬ彼女にとって胸が打ち震えるほどの興奮は最早遠い記憶の彼方であり心とは何かすら今では理解し難いほどだった。しかし彼女は敗北した。風向きは彼女にあった。その場にいた誰もが彼女の勝利を当然のものとして、それは大層な祭のように催されていても湧き起こる歓声などなかった。だが彼女の敗北が決した瞬間、地が震えるほどの喝采が起きた。青年だけが知っていた結末だった。
彼女は国を追われ「凍土」に追いやられた。永遠の夜の中で死を待つだけの身となった。生まれて初めて悔いた。悲しんだ。知らない感情がこれでもかと押し寄せ、全てが行き渡るとやがて空っぽになった。朝を待つことも潰えた。ようやく死の迎合を受けるその瞬間がやってくる。彼女はそこである者と出会した。彼女は誰もいないはずの地でこれが死神かと考えた。死神は雪よりも白かった。手にした剣の切先を彼女の胸元に向けると徐に突き刺す。途轍もない痛みと同時に斯様なものがまだ自分に残っていたのかと驚きもあった。抉り出された心臓を目の前に目が霞む。漸く終わりが来る。不思議なことだった。生まれて初めて安堵したのだ。ところが死神は囁いた。お前は幸福か。耳を疑った。幸福、それは彼女といつも共にあった。今終わりゆく命に接して死神は幸福かと問う。彼女は奪われたはずの心臓を残ったか細い力で掴んだ。巫山戯るな。目には憎悪が宿る。死神は再び囁いた。ならば覆してみよ。雪の大地には赤いシミだけが残った。それからしばらくして戦火が登った。かつて自身が栄華を誇った国に得体の知れぬ軍勢を率いて返り咲いた彼女は武力をもってこれを掃討すると死者たちは死したそばより心をなくし彼女の軍門に降った。彼女を退け玉座に就いた時の英雄は不様に許しを乞うた。彼女は微笑んだ。血が飛沫をあげ、青年の胴は玉座から力無く転げ落ちた。その瞬間死者の軍勢は怒号をあげた。心臓皇女万歳。暴虐の誕生だった。
アリスのマジカル・バトルロイヤル 川谷パルテノン @pefnk
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