第7話 2025年10月

 10月1日

 朝霧はマレーシアにやって来た。

 マレー半島南部(国土の4割)とボルネオ島北部(同6割)を領土とする。マレー半島でタイと、ボルネオ島でインドネシア、ブルネイと接する。領海はシンガポール、フィリピン、ベトナムと接する。

 一般的にはマレー半島の部分が「半島マレーシア地区」、ボルネオ島の部分は「東マレーシア地区」と呼ばれる。東マレーシアのサバ州および、サラワク州は独立性が高く、ほかの州(サバ州、サラワク州との相互往来を含む)との往来はマレーシア国民であってもパスポートを必要とする。マレー半島部分は南北740キロ、東西320キロで、ティティワンサ山脈が走る。ボルネオ島のキナバル国立公園にはUNESCO世界遺産に登録され、マレーシア最高峰のキナバル山(標高4,095メートル)がそびえる。熱帯気候だが海に囲まれるため気温はあまり高くなく、湿度は1年を通じて高い。4月から10月の南西モンスーンと11月から3月の北東モンスーンの影響で年間降水量は2,500ミリに達する。マレー半島をカバーする山地はテナッセリム丘陵と呼ばれ、北はタイまで延びる。半島には南北に伸びる東西2列の山地があり、東側はビンタ山脈、西側はティティワンサ山脈と呼ばれる。最高峰は東側のタハン山(標高2,187メートル)と西側のコルブ山(標高2,183メートル)である。

 食文化については、イスラム国家ではあるが、多民族であることから非ムスリムの華人や外国人は飲酒も可能であり、豚肉も食べたりと非常に食の自由度が高い。特に中華系移民の間から発祥したマレーシアでしか味わえない食べ物もある。中でも肉骨茶(バクテー)は人気が高い。南国なので果物は非常に多彩であり、特にドリアンはもっともポピュラーな果物のひとつであり、屋台などでも容易に購入できる。ただし、マレーシアの食料自給率は高いとはいえず、果物の多くも国外からの輸入である。


 マレー料理の代表として、ココナッツミルクで炊いたご飯に油で揚げたにぼし・ピーナッツ、ゆで玉子・きゅうりを乗せ辛いソースを添えたナシレマッがあげられる。


 マレーシア人は良く魚を食べており、魚介類消費量は1人当たり年56.5キロと日本より多い。一方で、マレーシアの漁獲高は年を追うごとに減り続けており、世界自然保護基金はこのままだとマレーシアの水産資源は2048年に枯渇するとしている。


 午前11時頃、クアラルンプールに到着した。

 クアラルンプールはマレーシア語で「泥が合流する場所」という意味があり、市中心部にある代表的なモスク「ジャメ・モスク」の付近で、ゴンバック川とクラン川が合流していることが基になっている。正式には連邦領クアラルンプールと称し、北京語読みは「ジーロンポー」、広東語読みは「ガッロンポ」と記される。


 多民族が平和的に共存するマレーシアの首都らしく、多彩な文化が混ざり合ったことがかもし出す賑やかな雰囲気が特徴である。近年は高速道路や市内鉄道、モノレールなどのインフラ開発が進み、豊かな緑の中に高層ビルが立ち並ぶ東南アジア有数の近代都市となった。また、東南アジアの大都市には珍しく、市街地が清潔で治安がいいことも特徴である。


 マハティール・ビン・モハマド前首相の指導の下でクアラルンプール南部周辺に建設された、最新のITインフラが整備された総合開発地域が、「マルチメディア・スーパーコリドー」である。その中核となるのは、「サイバージャヤ」と呼ばれるハイテク工業団地と、新行政都市「プトラジャヤ」、クアラルンプール国際空港等で、F1・マレーシアGPが行われるセパンサーキットもこの地域内にある。


 ビジネスホテルのロビーで鬼頭と合流した。

「久しぶりですね?」

「うん。日本の様子はどうだ?」

「茨城と栃木が戦争をはじめました。ニュース見てないんですか?」

「忙しくてな」

「茨城県民が日光東照宮で手榴弾を爆発させたのが発端ですよ。今のところ茨城が優勢です」

「物騒な世の中になったもんだな」

「しかし、マレーシアって暑いですね?」

「1年中、夏みたいな気温らしいよ」

 

 部屋に荷物を置いて、朝霧と鬼頭は昼飯を食べに街に出た。ブキッビンタンって繁華街にやって来た。若者で賑わうクアラルンプール随一の繁華街であり、ホテル、巨大ショッピングセンター、レストランなどが集中している。

 目抜き通りであるブキッ・ビンタン通りには、Starhill Gallery、Fahrenheit、BB Plaza、Lot 10、Sungei Wang Plaza、Pavilionなどの巨大ショッピングセンターが立ち並んでいる。インビ駅の近くには、クアラルンプールの秋葉原と呼ばれるPlaza Low Yatやテーマパーク、ホテル、ショッピングセンターを兼ね備えたベルジャヤ・タイムズ・スクエアもある。都会的な雰囲気のブキッ・ビンタン通りの北西側には、50軒以上の中華屋台が立ち並ぶアロー通りがあり、通り1本隔てるだけで雰囲気が大きく異なる。

 また、片言の日本語で客引きをするマッサージ店も多数あり、足裏、全身、オイルの他、最近はドクターフィッシュを導入している店が多い。料金は1時間1500円程度。

 中華屋台でナシレマッを食べてるときだった、黒いソフトに黒いジャケット、黒いジーンズというダークな出で立ちの男が背後から現れた。

「長宗我部!」

 朝霧は叫んだ。

 長宗我部鶴彦はジャケットの下から大型の自動拳銃を抜いて、トリガーを絞った。

 鶴彦の弾丸は徹甲弾だった。徹甲弾は、装甲に穴をあけるために設計された砲弾である。艦砲・戦車砲・航空機関砲等で用いられる。弾体の硬度と質量を大きくして装甲を貫くタイプと、逆に弾体を軽くして速度を高めて運動エネルギーで貫くタイプが存在する。

 朝霧は全く痛みを感じなかった。

 鬼頭は金縛りにあったみたいに全く動かなかった。

 朝霧はホルスターからハードボーラーを抜いて、鶴彦目がけて撃ったがバンッ!と閃光が弾けただけで、鶴彦には当たらず路肩に停まっていたオートバイに跨るとそそくさと逃げ出した。


 朝霧は鬼頭を引き連れてベルジャヤ・タイムズ・スクウェアにやって来た。クアラルンプール内にあるツインタワーの複合施設である。ショッピングセンターや2つの5つ星ホテルが入居している。      2003年10月に当時の首相であったマハティールによって開設された。両タワーはともに高さ203m、48階建てである。

 ショッピングセンターやホテルを探したが空振りに終わった。


 翌日の昼前、朝霧と鬼頭はマレーシア内にあるボルネオってエリアにやって来た。世界遺産であるグヌン・ムル国立公園は、東京23区の面積に匹敵する広大な熱帯雨林だ。地球最大級の洞窟がいくつもある。クリアウォーター洞窟には澄んだ水が流れている。階段が底へ、底へと続いている。獣の匂いがするこの洞窟はコウモリの塒だ。🦇

「トヨールという小人の悪魔がマレーシアには棲んでるらしいですよ」  

 鬼頭が唐突に話し始めた。

 鬼頭の説明では金を盗んだり、血を吸ったりし、体長15センチで目が赤く、肌は黒く、鋭い牙を持つそうだ。またトヨールは呪術師が呼び出した胎児の霊で、呪術師に操られ盗難や殺人を行うらしい。

 朝霧はホルスターからハードボーラーが消えていることに気づいた。 

「トヨールの仕業に違いない」 

 鬼頭がダガーナイフを差し出した。

「いいのか?だが、これがないと君が困るんじゃないのか?」

「俺にはこれがありますから」

 鬼頭はSIG SAUER P226を携帯していた。

 ザウエル&ゾーン社がP220の後継として開発した自動拳銃。P220との違いは見た目ではわかりにくいが、ダブルカラムマガジン化が最大の改良点である。このため、装弾数が9x19 mmパラベラム弾仕様で、9発から15発に増えている。.40S&W弾モデルと.357SIG弾モデルの場合は12発になっている。


 P220と同様にマニュアルセーフティーを持たない代わりに、起こされたハンマーを安全にハーフコック位置まで落とすためのデコッキングレバーを有する。


 長時間水や泥の中に浸けた後でも確実に作動するほど耐久性は高く、アメリカのガンショップではP220より高価である。軍のトライアルでは価格の高さやマニュアルセーフティーを備えないことなどからベレッタ92に負け、採用されなかった。


 海上自衛隊「特別警備隊」がP226Rを2007年6月28日の公開訓練で使用するなど、各国の軍隊(イギリス陸軍、SAS、アメリカ海軍SEALsなど)・警察(ニューヨーク市警察、日本警察の特殊急襲部隊など)など、予算的に余裕のある特殊部隊・機関では多く採用されている。


 津田沼男は、朝霧と鬼頭がボルネオ島にいることを突き止めた。

 ボルネオ島は、東南アジアの島。南シナ海(西と北西)、スールー海(北東)、セレベス海とマカッサル海峡(東)、ジャワ海とカリマタ海峡(南)に囲まれている。インドネシア・マレーシア・ブルネイ、この3か国の領土であり、世界で最も多くの国の領地がある島となっている。

 オランダ語と英語ではボルネオ 、インドネシア語ではカリマンタンの呼称を使うのが一般的。また、「ボルネオ」の語源は、かつて島の北半分を占めていた「ブルネイ」が訛ったものといわれている。

 マハカム川沿い(現代の東カリマンタン州)にあったクタイ王国の遺跡(ムアラカマン遺跡)で、グランタ文字の彫られた4世紀後半の日付が記された石柱が見つかっている。これは東南アジア地区におけるヒンドゥー教の最も初期の痕跡である。

古代の中国、インド、ジャワの書簡によると、西暦1000年位まで、ボルネオ西海岸の街は、貿易ルートの一部である貿易港であった。インド人は、スマトラ島と間のボルネオ西部の島を含めて、ボルネオを「金の土地」及び「樟脳の島」と名づけた。ジャワ人はボルネオをあるいは「ダイアモンド島」と名づけた。

 サラワクの川のデルタ地帯における考古学的な発見物により、この土地が6世紀から西暦約1300年までの間、インドと中国の貿易の中心地として栄えていたことを示している。

 植民地時代にオランダ領となっていた地域がインドネシア共和国として独立、イギリス領となっていた地域はマレー半島のマラヤ連邦と統合してマレーシアを結成するが、スールー王国の勢力圏だったことがある北部のサバ州に対して、フィリピンが歴史上自国のものであるとして領有権を主張、一時紛争に至る。


 津田はサバ州の宮殿にいた。サバ州ではキナバル山の影響で年の前半はあまり雨が降らない。熱帯雨林が発達しており、北部にはスマトラサイ、ボルネオゾウが生息し、その他、オランウータン、テナガザルなどの中大型哺乳類や、ワニ、ニシキヘビなどの爬虫類が生息している。また、ウツボカズラの種類が多く、特にキナバル山には特産種が多く知られる。

「オギャアオギャア」

 赤ん坊の鳴き声がしたので、津田はドアを開けた。

 体の黒い赤ん坊がハイハイしている。口には拳銃を咥えている。

「トヨール、よくやってくれたな」

「オギャアオギャア」

「飴玉は持ってこなかったのか?」

「オギャア!オギャア!オギャア!」

 トヨールは激しく泣き出した。津田は以前、言うことを聞かないトヨールの尻を叩いたことがあった。それ以来、トヨールは津田を恐れている。

「泣かなくてもいい」

 津田は、朝霧が知能指数が上がる不思議な飴玉を入手したのを知っていた。透視能力が使えるので必要ないのでは?と、思われるかも知れないが透視を使い過ぎると早死すると言われている。

 津田は出来るだけ長生きしたかった。

 もしかしたら、朝霧はもう飴を全部食べてしまったのか?と、津田は不安になった。

 

 10月4日

 朝霧に頼まれて鬼頭はタイの首都、バンコクにやって来た。

 沙織が言っていたらしいが、鶴彦は中国、台湾、マレーシア、ブータン、タイなどを訪れていたそうだ。

 バンコクは熱帯に位置し、年間を通じて最高気温は33℃前後、最低気温は20度から25度を保つ。バンコクの季節は三つに分かれる。一つ目が、6月から10月にかけて蒸し暑く雨の降る雨季である。1日に何度もスコールがある。二つ目は、11月から2月のやや涼しく過ごしやすい乾季である。とりわけ12月から2月は雨がほぼ降らず、気候も安定している。三つ目は、3月から5月にかけての雨が少なく非常に高温となる暑季である。朝から気温が上昇し、夜間も気温が下がらない。

 日本だったらこの時期なら少しずつ涼しくなる頃だが、蒸し暑い。ポロシャツで着たことを後悔した。


 カオサンロードをとぼとぼ歩いた。

 外国人バックパッカーの溜まり場として知られる。「カオサン」とはタイ語で「白米」の意味だが、元々はこの周辺に米問屋が多かったことに由来する。300メートルほどの通りにはバックパッカー向けのホテルやゲストハウスが軒を連ね、レストラン、インターネットカフェ、旅行代理店、古本屋、ランドリー、衣料品店、土産物店等、旅行者に必要な店がずらりと並ぶ。


 生絞りのオレンジやタイ風ミルクティーなどの飲料や果物、パッタイ、ガイヤーン、ロティ、ケバブ、食用の虫などを売る屋台が多い。中には海賊版のCDやDVDを売る店や国際運転免許証や国際学生証など身分証明書の偽造を引き受ける怪しげな店やタトゥーやパーマ、タイマッサージをする店なども存在し、混沌とした情景を醸し出している。セブンイレブンやファミリーマートなどのコンビニやマクドナルドやバーガーキング、サブウェイなどのファーストフード店、スターバックスなどの喫茶店なども、通り沿いやその周辺に存在する。またこのようなバックパッカー向けの施設が多い地区は、並走するラムブトリ通り、T字路を形成するチャクラポーン通りなどへ拡大傾向にある。


 タイ国内を旅行する者のみならず、ミャンマーやカンボジア、あるいはインド、ネパールなどを旅行するバックパッカーもまずカオサンロードに拠点を置き、情報収集や航空券の購入をする事が多い。タイはこれらの国々よりも政情が安定しており、また航空券の手配やインターネット接続が容易なためである。このため世界中のバックパッカーがここに集まり、旅行者の中にはカオサンをバックパッカーの聖地と呼ぶ者も多い。

 

 老若男女に鶴彦の写真を見せて聞き回ったが、収穫はなかった。雨がポツポツ降ってきたので、マクドナルドに入って雨宿りすることにした。

 腹も減っていたので昼飯を摂ることにした。

 店内は日本と全く同じだった。

 ビッグマック美味そうだな。

 フライドポテトもあり、タイでは、トマトソース、アメリカンケチャップ、チリソースの3種類がある。鬼頭はチリソースを選んだ。

 さらにフライドチキンもある。

 結局、フライドチキンとポテトを頼んだ。 

 

 同じ頃、朝霧は台湾にいた。朝霧はレベルが上がり、透明モードになることが出来るようになった。

 台湾は入国後1週間隔離期間があるが、朝霧にはそんなものいらなかった。

 台湾には姐姐じぇじぇって怪異がある。じぇじぇじぇって、連続テレビ小説『あまちゃん』で有名なフレーズあったよな?

 台湾には昼寝の習慣がある。女子学生が昼寝の最中に悪夢を見た。マンションのバスルームの鏡の中から、赤いワンピースを着た女性がこちらをじっと見ている。彼女の友人はバスルームの中でワンピースの女のバラバラ死体の夢を見たらしい。


 台北市は急速な人口増加のため、台北盆地の山際にまで都市化が進展している。北部は夜市で有名な士林、山の手高級住宅地の天母、温泉で有名な北投から、地域内には台北最古の寺・関渡宮が立地している関渡にいたる。中心部は古くから栄えた地域であり、日本時代の建築や清時代の遺構が多い。総統府、台北最古の寺の一つの龍山寺、古くからの繁華街・西門町もここにある。南部には茶の産地である木柵を擁する。

 10月の台湾は最高気温が36℃、最低気温が10℃と夏と冬が共存する。今日は17℃、過ごしやすかった。

 

 朝霧は西門町せいもんちょうってところにやって来た。「台北の原宿」あるいは「台湾の渋谷」などと呼ばれ、若者の情報発信基地となっている。台湾のファッション・サブカルチャー・オタク文化の発信源ともなっている。日本統治時代から映画の街として知られ、たくさんの映画館が立ち並んでいる。

 街を歩いていると蜂の羽音が聞こえてきた。

 そいつは雑居ビルの屋上から飛んできた。黒いボディのドローンだ。

 ドローンには超小型の銃が仕込まれていた。

 パパパパパッ!と銃声が響き渡った。

 朝霧の周囲にいた通行人が蜂の巣になった。

 が、朝霧は撃たれながらも走ってスターバックスコーヒーに逃げ込んだ。

 鶴彦の仕業だろうか?

 窓の外にはたくさんの死体が転がっている。朝霧は胸くそ悪かった。

「俺のせいで……」

 犠牲者の中には幼い男の子もいた。

 朝霧は強い怒りに駆られた。

 何としても鶴彦を仕留めなければ!


 10分くらいして外に出てきた。ドローンは攻撃してこなかった。朝霧は台北市内にある北投ほくとう温泉にやって来た。

 北投温泉は、明治16年(1894年)にドイツ人硫黄商人オウリーが発見したといわれている。1896年、大阪商人平田源吾が北投で最初の温泉旅館「天狗庵」を開業した。 その後、日露戦争の際に日本軍傷病兵の療養所が作られ、それ以降、台湾有数の湯治場として知られるようになった。


 1905年、日本人学者岡本要八郎によって北投石が発見される。北投石は、微量のラジウムを含んだ湯の花が、何千年もの歳月をかけて石灰化したもので、世界ではここと秋田県の玉川温泉でしか産出されない。当地にある共同浴場瀧乃湯の前で発見された。


 また同年、「湯守観音」を祀る「鉄真院」(現普済寺)が創建される。

 1913年、北投温泉公共浴場(現北投温泉博物館)が落成し、北投公園も完成する。


 戦前は、モダンな建物が立ち並ぶハイカラな温泉街として知られ、1923年には昭和天皇(当時は皇太子)も訪問した。


 戦後、台湾が中華民国に帰属した後、中華民国政府は北投温泉を歓楽街として位置づけ、置屋の営業を認めた。この為、国の内外から売春目的で北投温泉を訪れる観光客が集まった。


 温泉街を聞き込んだが、鶴彦を目撃した者は誰もいなかった。明日は有給を取った沙織と台北市内で合流する。

 新北投駅前から地熱谷にかけて、日本統治の面影が残る古い風情の温泉街が広がる。旅館やホテルなどが数多く存在する。

 朝霧は瀧乃湯たきのゆってところにやって来た。

 瀧乃湯は台湾台北市北投区光明路244にある銭湯(公衆浴場)。台湾に現存する浴場の中では最古の部類にあたる。 台湾では多くの公衆浴場において水着の着用が義務づけられていたが、ここでは全裸で入浴する。

 建屋は番台・男湯・女湯・家族風呂で構成され、それぞれ浴槽と洗い場、脱衣場から構成されている。湯船は台北近郊の唭哩岸より切り出された石材が用いられており、男湯の一部には北投石も使われているようである。泉質は強酸性で硫黄に若干のラドンが混ざっている。なお、浴槽内の湯温は高く、44度前後である。

 朝霧は温泉に浸かりゆっくりした。

 疲れていては戦えない。

 湯から上がり、休憩室のソファに座り、リュックの背中の裏側にあるシークレットポケットのジッパーを開けた。ナイフとイクサ、飴玉が入っている。

 寒霞渓で手に入れた、金色に輝く不思議な飴。残り6個だ。朝霧は包を剥がし、飴玉を頬張った。スーッと頭が冴えてくる。

 ドローンで朝霧を襲ったのは鶴彦で間違いなかった。鶴彦は澎湖諸島ほうこしょとうへ向かっている。台湾島の西方約50kmに位置する台湾海峡上の島嶼群。澎湖列島、澎湖群島とも呼ばれる。島々の海岸線は複雑で、その総延長は約300kmを誇っている。大小併せて90の島々から成るが、人が住んでいる島はそのうちの19島である。また、かつて「澎湖」の名を冠した日本海軍の艦艇があった。

 主要産業は観光業と漁業のみである。そのため、2000年代以前は多くの若年労働者は職を求めて諸島を離れていっていたが、2016年には澎湖を訪れる観光客が年間100万人を越え、急速に観光業が発展していることから、少しずつ若者のU・Iターン移住が増えてきている。なお、2019年の観光客は年間130万人を越えた。観光業だけでなく、自然と調和した暮らしを求めて澎湖で暮らすことを決める者も多く、環境に配慮したライフスタイルを送る者も少なくない。


 北回帰線付近に位置するため、一年を通じて温暖な気候であり、年間の平均気温は23℃となっている。しかし島内に山地が形成されていないことから降水量は少なく、年間降水量は1,000mm程度となっている。諸島は玄武岩から成り、また周囲をサンゴ礁に取り囲まれているので、土壌は痩せている。その為、植物が育ち難く、植生が豊かな台湾島とは景観が異なる。

 鶴彦は軍部に知人がいるようで、潜水艦を用いて中国に向かおうとしている。

 

 鬼頭は深夜の街を彷徨っていた。バンコク中心部のルンピニー公園に近い交差点で足を止めた。ジャスミンの花輪を売ろうとする声が響く。実はジャスミンを売ってるのはピー(タイ語で亡霊)で、花輪を買った鬼頭は呪われて熱病に魘された。

 

 タイには様々な都市伝説が眠ってる。ピー・ラン・グルオンという、タイの南部で伝えられていた妖怪がいる。人間の姿だが背中がスケルトンで内蔵が見え体内には虫が這っている。人に危害を加えないので殺すと呪われる。

 また、バンコクの旧市街にはワチラ病院ってのがある。ボタンを押してもないのに5階でエレベーターが止まるという噂がある。開いたドアの向こうには暗闇が広がっているらしい。

 

 10月6日

 昨日の朝、朝霧と沙織は台北市のスターバックスコーヒーで合流し、飛行機で中国にやって来た。朝霧は透明モードになれるから、世界的な危険人物であってもヘッチャラだ。

 河北省にやって来た。朝焼けが美しい。黄河の北に位置し、渤海に面する。西側には太行山脈、北には燕山山脈がそびえ、華北平原が広がる。黄河以外の主要な河川には、海河や灤河などがある。

 北京市・天津市を取り囲むように位置し、北部は遼寧省・内モンゴル自治区と接し、西部は山西省、南部は山東省・河南省と接している。

 

 朝霧と沙織は息を切らして河北省滄州市にやって来た。 

 楼閣には狐仙こせんという妖怪がいるって噂だ。顔は狐でその他は人間のそいつは神通力を持ち、酒を飲んで暴れまわったり、女をからかったり、良薬を与えたり盲目の人を治したりする。  

 山門のところで狐仙に遭遇した。

「綺麗な女連れてるじゃん?そいつ抱かせてくれたらいい薬をやるよ、ヒヒッ」

 タイで熱病で苦しんでる鬼頭を助けるためだ。

「別に俺は構わないけど……」

「カズったら最低、カズじゃなくてカスだね?」

 沙織は狐仙に連れられて楼閣の中に入っていった。「あ〜これで、サオリンとの仲も終わりかな」

 朝霧は溜息を吐いた。もし、あの狐と沙織の間にガキが出来たら、どんなのが産まれるんだろうな?

 しばらくすると、2人が戻って来た。

「約束だ」

 狐仙から錠剤が詰まった瓶を渡された。

 沙織は顔を赤らめている。

「なぁ、俺とあの狐、どっちの方がうまい?」

「そんなこと聞くな!」

 往復ビンタを食らわされた。


 数時間後、2人は太行山脈の麓にいた。麓から山を見上げた。雲がかかっている。山脈の北端は北京へ流れる拒馬河によって北京市北部を取り囲む軍都山(軍都山脈はさらに東の遼西へ伸びる燕山山脈の一部をなす)と隔てられ、一方南端は河南省の沁河平原で終わっている。山脈の東側は華北平野からそそり立ち落差が激しく、段差1,000m以上の断崖を形成しているところもある。山脈の西側は、山西省の高原地帯へゆるやかにつながっている。山脈から多くの川が発し、西の黄河や東の海河に合流する。

「本当に長宗我部はこの山にいるの?」と、沙織。

「飴玉を舐めて推理したから間違いない」

 メチャクチャきつい坂道だった。山頂に登ると雲がなくなっていたからびっくりした。

 洞窟の前に鶴彦は立っていた。奴は拳銃を抜いた。スライドを引き初弾を装填すると、銃口を朝霧と沙織の方に向けた。

 朝霧は西門町でのドローン攻撃で犠牲になった少年を思い出し、怒りが込み上げるのを覚えた。

「何人犠牲にする気だ!?」

 朝霧は懐に隠し持っていたダガーナイフの得を握り締めた。

 鶴彦は無言で銃を撃ってきた。朝霧は腹を撃たれたが無傷だった。だが、倒れて苦しんでる演技をした。トドメを刺すべく鶴彦がにじり寄る。

 朝霧は飛び起き、ダガーで鶴彦の喉笛を掻き切った。夥しい血を迸らせ鶴彦はくたばった。


 洞窟の入り口には、2匹の竜が球と戯れている姿を象った彫刻がある。穴の周壁には小さな穴がたくさん開いていて、嫌な風が吹き出してくる。

2人は奥へと進んだ。

 深さは約3メートルくらいある。

 黒い体をした赤ん坊が立ちはだかった。

 怪物は呪術を使い、朝霧のリュックに入ってる知恵薬を己の手の中に移動させた。

 さらに怪物は朝霧の背中に飛び乗り、首筋に噛みつくと血を吸った。朝霧は貧血を起こし倒れてしまった。その間に怪物は奥へと逃げていく。

 怪物は燭台の前に立つ、津田に知恵薬を渡した。

 津田は瀕死の朝霧ににじり寄った。

「久しぶりだな?死に損ない」  

 津田は銃を抜いて、朝霧の頭に突きつけた。

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ヘィトレッド🗡デイズ 鷹山トシキ @1982

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