第6話 2025年9月
9月3日
夢の中でボスを殺す夢を朝霧は見た。
八つ裂きにして殺すという残忍な夢だ。
目を覚ますと隣には沙織が寝ている。
復讐したいのは山々だが、沙織や弟を失いたくなかった。
残暑が厳しい。寝汗でべとべとしていた。
シャワーを浴びた。窓から朝日が差し込む。どこから紛れたのか蜘蛛が壁にしがみついている。シャワーのお湯を浴びせ、排水口に流した。朝蜘蛛を殺すのは縁起が悪いというが……。
オフィスに着くなり、ボスが「朝霧、インドネシアに向かってもらえないか?」と言った。彼女は枯れてしまった青い朝顔を見て悲しげだった。
インドネシアは何千もの火山島からなる東南アジアの国で、異なる言語を話す数百もの民族から構成されている。ビーチや火山に加え、コモドオオトカゲ、ゾウ、オランウータン、トラが生息するジャングルでも知られている。
インドネシアは5,110kmと東西に非常に長く連なる、世界最多の島嶼を抱える島国である。同国は赤道にまたがる1万3,466もの大小の島により構成されている。国の公用語はインドネシア語である。人口は2億6,400万人を超える世界第4位の規模であり、また世界最大のムスリム人口を有する国家としても知られている。
島嶼国家であるため、その広大な領域に対して陸上の国境線で面しているのは、ティモール島における東ティモール、カリマンタン島(ボルネオ島)におけるマレーシア、ニューギニア島におけるパプアニューギニアの3国だけである。
海を隔てて近接している国家は、パラオ、インド(アンダマン・ニコバル諸島)、フィリピン、シンガポール、オーストラリアなど。南シナ海南部にあるインドネシア領ナトゥナ諸島はインドシナ半島や領有権主張が競合するスプラトリー諸島と向かい合う。
東南アジア諸国連合(ASEAN)の盟主とされ、ASEAN本部が首都ジャカルタにある。そのため、2009年以降、アメリカ、中国など50か国あまりのASEAN大使がジャカルタに常駐しており、日本も2011年5月26日にジャカルタにASEAN日本政府代表部を開設し、大使を常駐させている。東南アジアから唯一、G20に参加している。
高知でクーデターを起こした、
朝霧は鶴彦の気持ちが分からないでもなかった。戦争は悲しくて酷い、子供でもわかることがなんで大人たちは分からないのだろう。
たが、鶴彦を逃せばボスから酷い目に遭う。
このまえなんて沙織が意見しようとしたら往復ビンタされた。
『ヒヨッコが私に命令するなんて100年早いんだよ!』
沙織の頬はミミズ腫れになった。朝霧は手も足も出なかった。
9月10日
午後2時に朝霧はジャカルタに到着した。色々済まして、ブロックMに午後3時半にやって来た。ブロックMは、インドネシアの首都ジャカルタ首都特別州・南ジャカルタ市にある地区の名前で、ビジネス、ショッピングの中心地である。通りは昼、夜とも混雑している。ここで売られている商品が安く、ナイトライフが充実していて、市の中心部とのアクセスが良いことが、このエリアが人気のある一つの理由となっている。地区にはジャカルタで最大級のバスターミナルがある。
鶴彦は
土佐国の守護職を兼ねる細川京兆家当主で管領の細川晴元より、京兆家の通字である「元」の一字を受けたため、かつて同じく細川氏より「元」の字を受けた15代当主・長宗我部元親と同名を名乗ることとなった。
土佐の国人から戦国大名に成長し、阿波・讃岐の三好氏、伊予の西園寺氏・河野氏らと戦い四国に勢力を広げる。しかし、その後に織田信長の手が差し迫り、信長の後継となった豊臣秀吉に敗れ土佐一国に減知となった。豊臣政権時、戸次川の戦いで愛息・信親を亡くすと生活は荒れ、家中を混乱させたままこの世を去った。
買い物客に鶴彦の顔写真を見せて聞き込んだが、収穫はゼロだった。店から出て通りを歩いていると1970年代に流行ったマツダ・カペラが近くを通り過ぎた。ボディにロータリーエンジンとレシプロエンジンを載せている。加速時にドライブシャフトが折れることもあるらしい。『風のカペラ』と呼ばれていた。運転席にいたのは紛れもなく志摩傑だった。
志摩はテンプターの同僚だ。遅刻の常習犯で、芽衣子を怒らせてクビになった。朝霧は志摩が立花殺しの犯人だとは気づいていない。
「こんなところにいるとは……」
日本企業が多く進出し、自動車・オートバイ・工業製品などの生産を行っている。日本企業の工場は、タンジュンプリオク・プロガドゥンなどのジャカルタ行政区内やジャカルタの東側に隣接する、西ジャワ州ブカシ県に多く建設されている。都市部の人件費や物価の高騰から2000年代は東側に進出する傾向が強まり、中でもチカンペック高速道路沿いには日系商社が開発した工業団地が集中し、カラワン県などの工場団地に多く工場が建設されている。
ハンカチを拾ったので交番に届けた。初老の警官が治安状況を教えてくれた。
金品を目的とした強盗、スリ、ひったくり、置き引き、車上荒らし等の被害が多発しており、インターネットを通じての商品購入・売却を装った詐欺も確認されている。また、薬物犯罪も常態化しており、観光客が集まる繁華街の路上やナイトクラブなどの場所で、覚醒剤および大麻等の薬物を売りつけてくる売人が出没する事例が後を絶たない。
最近では、市内で銃器を安価に購入出来ることから銃器等を使用した凶悪犯罪も増えており、同国を訪れる際は一層の注意を払う必要が求められている。
交番を出て公園のベンチで旅行雑誌を読んだ。
芝生のところで若い男女がキスをしていた。
🍴インドネシア各地ではパダン料理店が一般的である。客がテーブルにつくと、10種類以上の煮込み料理が出て来る。好きな料理を好きなだけ食べ、食後に食べた分だけ代金を払う。
場所によって、パダン料理店の他に、中華料理店、スンダ料理店、グドゥッと伝統的なアヤムゴレン(鶏の揚げ物)の専門店を含むジャワ料理店、マカサル料理、マナド料理、バタク料理店もある。大都市にはピザ、フライドチキン、ハンバーガーのチェーン店もある。
殆どの料理店では料理を持ち帰る事ができる。パダン料理店のナシブンクスは旅行やピクニックの弁当として人気がある。ビニールスプーンが無料で付いてくる事もある。箱代は別料金で、パダン料理店とグドゥッ専門店では紙箱にご飯とおかずを入れたものをナシコタッ(箱に入ったご飯の意)という。
ジャラン・ジャクサにやって来た。タムリン地区の東側の裏通りの通り名。ムルデカ広場の南側に位置する。バッグパッカー向けの安宿が立ち並ぶ。
パダン料理屋に入った。
朝霧はルンダンを頼んだ。
ご飯のおかず料理であるが、牛肉や水牛肉で作ったものは日本でいうとすき焼きのような特別なごちそうの扱いである。イスラムの断食明けの際には、米の加工品であるルマンやクトゥパッとともに食される。そのほか、西スマトラ州ほかインドネシア全土のマレー系ムスリムの家庭では、ハレの日のおもてなし料理として食卓にのぼる。また、外食や中食ではインドネシア各地にあり、もともとは出稼ぎ労働に出ることが多いミナンカバウ族のための店だったパダン料理店は、現在では多くのインドネシア人が訪れるが、ルンダンは通常、メニューの中でもっとも高価な料理である。
香辛料にはトウガラシ、ガランガル、レモングラス、エシャロット、ニンニク、ショウガ、ウコンなどが使われる。味はいわゆるカレー味であるが、現地でも伝統的カレー料理のグライの1つと理解されている。牛精肉以外には、牛レバー、牛の肺、水牛肉、ヤギ肉、鶏肉、羊肉などで作られ、柔らかい肉を使う場合は長時間煮込む必要はない。また、鶏卵を使ったものもルンダンと呼ばれる。
途中まで煮込んだ水分の多いルンダンは、カリオ と呼ばれる。煮込み汁が無くなるまで煮込んだルンダンは、濃い味付けの保存食であるが、冷蔵や冷凍によってさらに長期の保存ができる。
朝霧が食べたのはカリオだった。少し量が多かった、『スーパーカリオ』って言葉が頭に浮かんだ。
夕食を終え、街を歩いた。
通りの名前の由来はオランダ植民地時代に遡る。ジャカルタ法律学校の学生が、勉学のためにこの通りに滞在していたため、この通りは公式にジャクサ通りとして知られるようになった。ジャクサとはインドネシア語で検事の意味である。
1960年代に、国際ユースホステル連盟を通じて、バックパッカーの間で国際的によく知られるようになった。1968年、インドネシア・ユースホステル連盟の会長であったNathanael Lawalata氏が、自宅をホテルに改装し、宿泊施設「Wisma Delima」をオープンさせた。このホテルは、ジャクサ通りで最初のホテルであっただけでなく、当時、国際ユースホステル連盟のリストに載っていた唯一のジャカルタのホテルであった。 その後通りには多くのホステルが建てられ、ロンリープラネットなどの人気のある旅行書や書物に登場するようになった。 ジャカルタの観光局によると、1993年にジャクサ通り周辺に宿泊した旅行者は57,201人であり、内訳は29,676人のヨーロッパ人、9,309人のオーストラリア人、4,215人のアメリカ人、649人のアフリカ人などであった。ここに滞在する旅行者の平均滞在日数は約3日間であった。
さっき寄った公園とは別の大きな公園が見えた。白い巨塔が見えた。地元ではモナス塔と呼ばれているそうだ。
たいまつやろうそくのように見える塔の外装は白い大理石製で、全高137メートル。頂上部の炎のレリーフは、高さ14メートル、直径6メートル、重さ14.5トンの青銅製で、77のパーツから構成され、更に表面には35kgの純金めっきが施されている。この炎のレリーフは「アピ・ナン・タッ・クンジュン・パダム」と呼ばれ「消える事のない火(=永遠に燃え続ける火)」の意味であり、独立戦争当時のインドネシア国民の闘志を象徴している。使用された金はブンクル州のルジャンルボン金山から産出した物である。また35kgの金の内28kgはアチェ州の事業家であるTeuku Markam氏の寄贈とされる。夜にと炎のレリーフがライトアップされ、遠くからみると座っている女性のシルエットのように見えるとされる。塔と台座はヒンドゥー教で男女の象徴である「リンガムとヨニ」や、インドネシアの伝統的な「米用の杵と臼」をイメージしてデザインされた。
モナス塔のデザインにはインドネシア独立記念日(1945年8月17日)にまつわる数字が込められている。塔の台座となる基部は縦・横45m、基底部の地面からの高さは17mである。
モナスの地下にある基底部内部の国家歴史博物館の広さは縦・横80m、天井の高さは8mである。歴史博物館の中には48個のジオラマパネルがあり、古代から現代までのインドネシア史の主な出来事が描かれている。
台座には独立の広間 (Ruang Kemerdekaan) があり、スカルノ大統領が読み上げたインドネシア独立宣言文が納められている。独立の広間は古代ローマスタイルで、インドネシアの国旗、国章、地図等が展示されている。台座の入り口に展望台行きエレベーターがある。エレベーターの周りには非常階段が設置されている。塔の内部はこれらの昇降用設備以外は何も無い。朝霧はエレベーターに乗り込んだ。ゆっくりと上昇する。
展望台は炎のレリーフの下にある。展望台の高さは地上115m、広さ11m×11mであり、モナス広場周辺の景色が眺望出来た。高層ビルがあちこちに建っている。
公園を出て、安宿に向かった。従業員や旅行客に鶴彦の顔写真を見せたが誰も知らないとのことだった。トイレや水回りは共有だった。風呂場はそこそこ広かった。
2段ベッドになっていて、下の人のイビキがうるさくてなかなか寝つけなかった。
朝起きて沙織の声が急に聞きたくなった。ロビーに電話機が置いてあった。インドネシアの国番号は62だった。
時差は日本の方が2時間進んでいる。柱時計は7時半、向こうは9時半くらいだ。
何回のコールの後、沙織が出た。
《おはよう、どうしたの?》
「いや、声が聞きたくなってさ……」
《かわいいとこあんじゃん》
「そっちはどう?」
《別に変わりないけど……》
「今日は休み」
《うん。あっ、そうそう。長宗我部の家に忍び込んだんだけど、彼はあちこちの国を旅行してるみたいだね》
沙織は国名を告げた。
中国、台湾、マレーシア、ブータン、タイ。
「沙織は今、高知にいるのか?」
《うん、桂浜の景色がとてもキレイ。お土産待ってるからね?》
「うん、坂本龍馬のグッズ買ってきてほしい」
《分かった、気をつけてね?》
可愛い奴だと朝霧は思った。
昼過ぎ、朝霧はイジェン山にやって来た。
イジェン複合火山は、インドネシア東ジャワ州バニュワンギ県にある成層火山群である。火山群の中には、およそ20キロメートル幅の大きなカルデラがあり、最も高い地点は成層火山のムラピ山(グヌンムラピ)である。グヌンムラピとは、インドネシア語で中央ジャワのムラピ山やスマトラ島のマラピ山と同じ語源の「火の山」を意味する。ムラピ山の西側には、1キロメートル幅のターコイズ色をした酸性の火口湖を持つイジェン山がある。湖では硫黄採掘が行われており、手作業によって天秤棒のカゴいっぱいに詰め込んだ硫黄を徒歩で火口底から運び出している。周辺住民の生活のための収入源となっているが、とても手間の掛かる作業であり、労働者は火口湖から3キロメートル離れたパルトゥディンバレーまで硫黄を運び出し、1回当たり50,000-75,000ルピア(5.50ドル-8.30ドル)の収入を得ている。
昼間の火口湖はターコイズブルー色していた。まるで魔女の手みたいに枯れた木が伸びている。夜に変わると青い炎を吹き上げてる。観光案内人によれば、青い炎の正体は亀裂の噴出した硫黄ガスが自然発火したものだ。高濃度の硫黄ガスは猛毒なので朝霧も案内人もガスマスクをしている。
朝霧のいる東ジャワ州は、ジャワ島東部に位置し、マドゥラ島とバウエアン島を含む。州都はスラバヤ。ジャワティモール州、東部ジャワ州とも呼ばれる。
深夜、朝霧はマランにやって来た。マランは、インドネシアの東ジャワ州の都市である。東ジャワ州内第2位の規模である。 州都のスラバヤから南に90kmの距離に位置し、マラン県に囲まれている。ブロモ山観光の拠点となっている。
ユースホステルに宿泊した。浴室は部屋の外にありゆったりとした時間を過ごし、脱衣所でパジャマに着替えて廊下に出ると、窓ガラスが割れてザクロみたいな丸いものが飛んできた。手榴弾だ!
ボンッ!!朝霧は吹き飛ばされたが掠り傷ひとつ負わなかった。幽霊の朝霧にはアリが手に止まるくらいに思えた。
手榴弾は球状や筒状の形をしており、内部に炸薬および信管、撃発装置を内蔵する。手榴弾にはいくつかの種類があり、炸裂時に周囲に生成破片を飛散させるものは破片手榴弾(フラグメンテーション)あるいは防御手榴弾と呼ばれる。爆風効果などにより狭い範囲へのみ殺傷効果をもたらすものを攻撃手榴弾(コンカッション)として区別する。外側にアタッチメント式の弾殻を追加することで、攻撃手榴弾と防御手榴弾とを組み替えられる製品も存在する。手榴弾と一般に呼称されるが、破片を撒き散らす「榴弾」に限定されるものではなく、様々な種類があり、煙幕を展開するもの、光や音で撹乱を引き起こすもの、火炎を広げるものなど、多彩な用途に存在する。
弾体部分は信管と爆薬を内部に収容しており、信管の撃発装置にピンやキャップなどの安全装置が取り付けられている。暴発事故や使用時の不発を予防するために、信管は工場出荷には別途梱包され、使用前に初めて弾体に組み付けられるのが一般的である。安全装置を解除し、レバーを外す、または紐を引き抜いたり撃針を叩くなどの操作によって信管に点火すると、所定の延期時間のあと爆発する。延期時間は3-5秒程度が一般的である。第二次世界大戦以前には、より延期時間が長いものもあったが投げ返される恐れが高かった。反対に罠として用いるために、延期時間が通常よりも短い、あるいは瞬発する信管も存在する。大抵は防水・密閉構造となっており、雨で濡れても使用でき、水中でも爆発する。手榴弾に使用される信管はほとんどが火道式時限信管であり、作動すると確実に爆発することを要求される。第一次世界大戦のころまでは着発信管を備えたタイプも使用されており、これは安全装置を解除しただけでは起爆せず、投擲後に着地した瞬間など、衝撃が加わると即座に起爆する構造だったが、誤作動など問題が多く、第二次大戦になっても着発信管を使用していたのはイタリアのOTO M35型手榴弾など一部の製品だけであった。
朝霧は自分を襲った人間は志摩なんじゃないか?と、疑った。地獄にも知る人って諺がある。どんな遠い知らない土地へ行っても知人にめぐりあえるものだの意なのだが、幼い頃は厳しい場所に知り合いがいることだと思っていた。
この宿にいたらまた狙われる。朝霧は野宿することにした。変な虫があちこちに飛んでいて怖かった。
9月12日
夕方、朝霧はリンチャ島にやって来た。🏝
リンチャ島は小スンダ列島にある島である。コモド島の近くにあり、東にはフローレス島がある。行政的には東ヌサ・トゥンガラ州に属する。コモドオオトカゲで生息することで有名で、他に野生の豚や牛、鳥類などが生息する。フローレス島のラブハンバジョより小船で到着することができ、日帰りもできる。
ヴェオって怪物が棲息してるって噂だ。3メートル以上の巨獣で、全身が鱗に覆われ、細長い顔と鋭い爪を持ち、センザンコウに似てるとされる。
センザンコウは硬い鱗で覆われているのが特徴で、中華圏などで鱗や肉に薬効があると信じられているため、アジアとアフリカ大陸に生息する8種全てが密猟により絶滅の危機にある。
アフリカ大陸(セネガルからケニア、南アフリカ共和国にかけて)、アジア(インドから中華人民共和国南部、台湾、スマトラ島、ボルネオ島にかけて)などに生息している。
オオセンザンコウは頭胴長(体長)75 - 85センチメートル、尾長65 - 80センチメートル、体重25 - 33キログラム。オナガセンザンコウが体長30 - 35センチメートル、尾長55 - 65センチメートル、体重1.2 - 2.0キログラム。オナガセンザンコウやキノボリセンザンコウは物に巻きつけることができる長い尾を持ち、オナガセンザンコウの尾椎は46 - 47個で哺乳綱の中では最も多い。全身は腹面と四肢の内側を除いて、角質の鱗で覆われる。目名Pholidotaは古代ギリシャ語のpholisやpholidosに由来し、「鱗」の意。
頭部は円錐状で、頭骨は単純な形状をしている。耳介は退化しているか、消失している。歯や咀嚼するための筋肉はなく、角質の胃で獲物をすり潰す。
明日は行きたいところがある。朝霧はコテージに泊まった。
水平線に夕日が沈んでいくのが見えた。しかし、イクサは優れものだと感心した。空港の金属探知にも引っかからなかった。問題は対人間の兵器だ。ジャカルタの怪しげな店で買うべきだろうか?
朝霧の耳にローターの回転音らしいものが飛び込んできた。ヘリだ。🚁
窓の外を見た。全長20メートル近いヘリが電線すれすれのところを飛んでいる。コックピットに乗ってるのは志摩だ。ヘリに搭載されたガトリングガンが吠えた。ダダダダダダダッ!!コテージは粉々に砕け、朝霧には無数の弾丸が穿たれたが無傷だった。
朝霧は午前9時、コモド国立公園にやって来た。小スンダ列島に位置し主要な3島のコモド島、リンチャ島、パダール島を含む、173.5km2の面積を有する公園である。世界最大のトカゲであるコモドオオトカゲが棲息していることで有名である。コモドオオトカゲは肉食性であり、普段は大人しいとされるが時に人間の様な大型哺乳動物を襲うこともある。西洋人が1911年に発見した時は、恐竜の生き残りと思われた。また、イルカやウミガメなどの他の希少生物も棲息している。
岩場でコモドオオトカゲを見つけた。
最大全長313センチメートル。頭胴長70 - 130センチメートル。最大体重166キログラム。全長約250センチメートルの個体で平均体重47キログラムという計測例があるが、食物が体内にあるかどうかで変動が非常に大きい。全長200-300cm、体重約70kg。頑丈な体型をしており、メスよりもオスの方が大型になる。分布域には数万年前まで肩高150センチメートルのゾウが分布していたため、それらを捕食するために大型化したとする説もある。体色は暗灰色で、頸部や背面では褐色を帯びる個体もいる。
頭部は小型で細長い。吻はやや太くて短く、吻端は幅広く丸みを帯びる。鼻孔は吻端寄りで、やや前方に向かって開口する。嗅覚は発達し、4キロメートル先にある動物の死骸の匂いも察知することもできる。歯は基部が幅広く側偏し、先端が尖り後方へ湾曲する。縁は鋸状で、獲物の肉を切断できるように特殊化している。四肢は発達し、鋭い爪が生える。尾は側偏する。
孵化直後の幼体は全長25 - 56センチメートル。幼体の胴体には黄色い斑点が見られるが、成長に伴い消失する。
成人男性を食べたという噂もある。
朝霧は腰が抜けそうになった。
コモドオオトカゲはサササッとどこかへ姿を消した。観光客や公園の職員に鶴彦の写真を見せたところ、客の老婆がブータンで目撃したと教えてくれた。
朝霧は夜、ジャカルタに戻って来た。スコールが降っていた。アスファルトの埃っぽい匂いがしてる。
アンチョール・ジャカルタ・ベイシティという遊園地、ゴルフ場、ボウリング場、リゾートホテル、プール、水族館などが一体になったテーマパークや高級住宅が建ち並ぶ地区にやって来た。アンチョール海岸のマリナ・ヨットハーバーからジャカルタ湾にあるリゾートアイランド行きの高速船が出るようだ。
数々の施設があるが、ゴルフ場 、シーワールド、ドゥニア・ファンタジー遊園地、グランガン・サムドラ水族館 、アトランティス・ウォーター・アドベンチャー・プールテーマパーク などが特に人気がある。その他、インドネシアの伝統的な木彫り、革製品、バティック、絵画、民芸品などを展示するアートギャラリーパサー・スニがあり、ステージではインドネシア民族音楽の他に様々のジャンルの音楽ライブが開催され、週末・休日にはカップルや子ども連れの家族がよく集まる場所。グランガン・サムドラ水族館は2006年に改築され、イルカやアシカのショーやバードパーク、東南アジア最大級4-D映画館がある。
ジャカルタ湾を眺望するプトゥリドゥユン・コテージ、メルキュレーホテル 、ラディン・アンチョールなどのリゾートホテルがある。カーニバルビーチとフェスティバルビーチでは様々なイベントが行われ、家族連れの遊び、夜にはカップルで賑わう場所である。大晦日にはカウントダウン・イベントやダンドゥットライブや花火大会が開催される。
フライドチキンやミバソなどのファーストフード店、ジンバラン(バリ料理)、シンパン・ラヤ(パダン料理)などのレストランがある。その中でも特にバンダル・ジャカルタ・インサイド・シーフードレストランは魚市場のような雰囲気で、生簀から、自分で選んだ魚介類を調理してくれる事で知られている。
アンチョール地区の郊外に西部劇に出てきそうな小屋があった。
朝霧は小太りの白髪頭のじーさんからハードボーラーという拳銃を買った。100万ルピア(日本だと1万に相当)を払った。
ハードボーラーの名称は、機構上の問題からラウンドノーズ型弾頭(フルメタルジャケット弾)以外の弾丸を不得意とすることに由来する。しかし、後のフィーディングランプに対する修正で、不得意の問題は軽減された。
オリジナルのM1911との相違は、スライドとフレームにガバメントモデルで初となるステンレススチールを使用しており、その他にも広いラバーグリップによる被覆、鋸歯状でつや消し処理を施したスライドリブ、グリップセーフティの後端を延長したビーバーテイル・グリップセーフティ、ラウンドハンマー、ローディング・インジケーター、アジャスタブル・リアサイト等を備えている。
朝霧はハーバーで船乗りにハードボーラーを向けて、ブータンへ連れて行くよう脅した。
ハードボーラーの装弾数は8発だ。
9月14日正午
朝霧はブータンの首都ティンプーにやって来た。
ブータンは、インドとは東をアルナーチャル・プラデーシュ州と、西をシッキム州と、南を西ベンガル州とアッサム州で接しており、その国境線は605kmに達する。また、北の国境線470kmは中華人民共和国のチベット自治区と接している。中華人民共和国との国境の大部分はヒマラヤ山脈の上を走っており、国境線が確定していない部分が多く、国境画定交渉が現在も進められている。
ヒマラヤ山脈南麓に位置し、ブータン最高峰は標高7,561mガンカー・プンスム。国土は、南部の標高100mから、北部の標高7,561mまで、7,400m以上の高低差がある。
気候は、標高3,000m以上の北部ヒマラヤ山脈の高山・ツンドラ気候、標高1,200mから3,000mの中部のモンスーン気候、標高1,200m未満の南部タライ平原の亜熱帯性気候が並存する。
殺生を禁じている宗教上の理由と、資源保護の観点から、川で魚を取る事を禁じており、食用の魚は川の下流にあたるインドからの輸入に頼っている。
ブータン国内に鉄道は通っていない。地方には悪路が多く、自動車事故は衝突事故よりも崖下への転落事故が多い。転落事故に関しては、シートベルトを着用しているほうが救命率が低くなるという考えから、着用は法で強制されておらず、民間では着用を勧めていない。
ブータンでは1792年から煙草を取り締まる法律が存在した。理由は国民の大半が信仰する仏教上のものである( 葉タバコは、女悪魔の血液で育つと考えられている)。1999年まではTVも禁止されていた。
2004年12月より、環境保護及び仏教教義的な背景から世界初の禁煙国家となり、煙草の販売、製造、流通が禁止された。しかし、200%の関税が課されるが、国外からの一定量の輸入は許されたため、隣国インドからの輸入で闇市場が繁盛した。
2020年のパンデミックで政府がインドとの国境を封鎖したため、闇価格は4倍に跳ね上がった。その折、インドと往来していた行商人が新型コロナウイルスで陽性を示した。そのためロテ・ツェリン首相(週末に医師の仕事を続けている)は密輸品への需要を減らすための一時的な措置として、また、自宅待機中のヘビースモーカーから煙草を取り上げることによって家庭内の緊張が高まることを防ぐため、煙草の販売を解禁し、ロックダウン中の生活必需品に加えられた。
ティンプーは国内各地と南のインドと結ばれているほか、パロ空港とはティンプーの間の道路で結ばれている。
市内には交通信号がなく(ブータン国内に1つもない)、警察官が交通を捌いている。
ブータンにはネコルパって怪物が棲んでいるそうだ。病を流行らせたり、作物の育成を阻害したり天災を起こす。僧侶を呼んで金属の箱に閉じ込め、川に投げ込んだが、1人の若者がネコルパに騙されて箱を開けてしまう。「願いを叶えてやるから箱を開けろ」と、巧みにネコルパは若者を騙した。
朝霧はメモリアル・チョルテンにやって来た。
第三代国王のジグミ・ドルジ・ワンチュクの死後すぐに彼を讃えるために建設された仏塔。独立100周年を記念して2008年に大規模な整備が行われた。
前から現れたフードをかぶった大男が、ナイフで襲いかかってきた。大男は右手でナイフを持ち、正面に突き出してきた。
朝霧は左足を半歩前に出した。左足を軸に回転することで正面から突かれるのを防ぐためだ。右足を180度回転させて、攻撃を躱した。朝霧は自分の肘と敵の肘がぴったり当てるようにした。右手を敵の右手首に添え、左手は敵の肘の裏側にあてがう。このときに、相手の手と自分の手が十字の形になるようにした。左足の膝を曲げ、そのまま体重を前にかけた。敵はつんのめって前に崩れ落ちた。ナイフを奪い、朝霧はハードボーラーの銃口を悶絶してる敵の額に当てた。
刺客の正体は志摩傑だった。
「俺に襲いかかったことをあの世で後悔するんだな」
朝霧の人差し指がくの字に曲がった。
銃声が響き渡り、志摩の額に穴が開き血が迸った。大脳をやられた志摩は絶命した。
朝霧は空を見上げた。大きな積乱雲の底から漏斗状に雲が垂れ下がり、砂塵が巻き上がる。🌪
竜巻だ!
竜巻はメモリアル・チョルテンを直撃して13人が犠牲になったが、朝霧は竜巻に巻き込まれ、空中に浮かび上がった。地面に叩きつけられたがなんともなかった。
竜巻はやがて小さくなり、まるで嘘だったように消えてなくなった。
ネコルパの仕業じゃないか?と、朝霧は思ったがネコルパはいつになっても現れなかった。
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