安泰たる生業

 しばらく坂東が黙っていると、唐突に家の戸が開いた。


 「わしじゃ、鮎之助様は元気にやっておるかのう?」


 そう言いながら戸を開け、その瞬間に庄屋と坂東は目が合ってしまったのである。


 「お主は…、やっぱり知っておったか…」


 坂東は庄屋を責めるような目で凝視している。


 「あぁ…、いえ…、どうも…」


 庄屋は見たことのない狼狽した表情である。


 「いや案ずるな。責めたりしない」


 その動揺を感じ取って、坂東は眉を正して構わず話し出した。


 しかし、庄屋は鬼に捕まったかのように悲壮な顔をしている。かく言う藤右衛門も牢屋が脳裏に浮かぶ。緊張して無言の二人をなだめるように、坂東の表情は穏やかであった。


 「では、先ほどの問いかけに答えようではないか。噂で耳にしておるかもしれぬが、拙者はあの戦で三城の城に一番乗りをした。その時には半ば崩壊しておったが、その煙の中から一人で逃げ延びて来たのが鮎之助だったのだ」


 「それは真ですか?」


 予期せぬ言葉に藤右衛門は驚いた。


 「それを三城の子と知ったのは、家中に三城家に仕えていた者が居たからなのだが、そういった事情で殿には勝手ながら、拙者の一存で家臣に命じて逃がしたのだよ」


 それを聞いた庄屋は表情を直して相槌を打った。


 「…そうでありましたか」


 「しかし、こちらの不手際で戦の見物人の雑踏ざっとうで、少し目を離したうちに姿を見失ったようでな。探させていたのだが行方知れずだった。もしかすると三城の家中の者に秘かに連れ去られたのではないかと思っていたが、案外と近くにいたのだな」


 「村の裏山で穣吉を見つけたのです」


 藤右衛門はかしこまって言った。


 「そうか」


 ここで藤右衛門は大切なことを聞かなければならないと思った。しかし、それを先に察した庄屋が坂東に問いかける。


 「つまり貴方様は鮎之助を助けたのですね。裏切り者の子ですが、お咎めされないとの意で宜しいのでしょうか?」


 庄屋は神妙な面持ちだった。


 「うちの殿は普段は陽気な気性だが、あれは恐ろしい人だ」


 坂東はそう言って、少し遠い目をしたと思ったら「これは我々だけの秘密だ」素早く言い放った。


 それを聞いて二人とも心から安堵したのである。


 しかし、坂東はもし将来において、その存在が明るみに出れば、自らや藤右衛門にも災いが降りかからないとは言えないとして、その時には遠くの開墾村にでも逃げるか、いっそのこと仏門に入れと言った。


 「村で普通に暮らしているのでな。三城の子とは知らずに拾って、かくまっているわけではないかとも考えたが、…無用な心配をさせたようだ。もう構わないので元気な子に育てるのだぞ」


 最後にそう言って、静かに立ち上がった坂東は庄屋とすれ違うように家を後にした。残された二人は胸を撫で下ろしている。


 庄屋は藤右衛門に手土産の魚を渡して、年貢が以前よりも、かなり下がったと報告した。そうして、ぐっすりと眠る譲吉を見つめながら、孫と遊んでいる時の好々爺こうこうやの表情をのぞかせる。


 「天下を欲さなければ余程安泰あんたいじゃ」


 その言葉の意味を藤右衛門は身に沁みて感じたのである。


(了)

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天下の陰 落ちたる城主 葦池昂暁 @ashiike

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