*003 魔王様の友達



屋根に雨粒が叩きつけられる音で目が覚めた。


昨日はなかなか寝付けなかったというのに。

こんな雨なら簡単に止ませることが出来るが、それはなんだかいかにも子どもっぽくて馬鹿らしい。寝直そうとしても、背筋に張り付くような湿気が疎ましい。

身体をゆっくり起こすと、大きなため息が漏れた。


「起きるか……寝不足になっちゃうな」


肩からぱさりと髪が落ちる。

ぼんやり顔を上げた視界の先にある窓から見えるのはは地面に叩きつけられる雨粒と、それに打たれて揺れる木々。

それから、赤黒く不気味に光る鋭い目。頬に浮きでた瞳と同じ色の消えない紋章。それらを隠すための長い前髪と、あの人が褒めてくれたからと切れずにいる腰まで届く髪。頭から生えた歪な形の二本の角。


窓に映った自分の姿に少し悲しくなった。雨は無条件に僕の気分を落ち込ませる。何百年もこの姿で生活していても、どうしても慣れない。自分が人ではないと思い知らされるのは、いつだって耐えられない程に辛い。


軽く手を振ると、パリンと音を立てて窓ガラスが割れた。魔法をかけたこの城にはそれでも雨粒は入ってこない。散らばった破片が人ではない僕を嘲笑っているようだった。


「…………外、行くかあ」


こんな日はいつもより独り言が多くなる。


口をついて出ただけのそれは雨音でかき消されるほどのものだが、僕しかいないこの場所ではそんなこと関係なかった。




寝室でのそのそと着替えをした後、そのままその割れた窓から外に出た。雨粒は全て弾かれて、僕の身体や服を濡らすことはない。

怪我をすることはないが破片が散らばっているのは見栄えが悪いので、軽く手をかざして窓を元通りに直してから、飛行魔法で結界のギリギリまで飛んでいく。


いつも通り結界に異変がない事を確かめてから下に降りた。上級魔獣の子たちの中には雨が好きな子もいれば嫌いな子もいる。その辺りは種族差ではなくて個体差な気がしている。

雨が好きな子は冷たい雨粒に体全体を使ってはしゃぎ回り、嫌いな子達は木の影などで大人しく毛繕いをしたりして静かに過ごしている。

雨にはしゃいでいる子達の邪魔をしないように少し避けて横を抜け、隅に三頭で固まって寝ている所へ向かった。

僕が近づくと三頭揃って顔を上げ、閉じていた目を薄く開けて眠たげに甘えるようなを出す。頭、というより鼻の上の所を軽く撫でてやると首を動かして喜び、また甘えた声を漏らした。

「ほんとに可愛いなぁ、お前らは」

ふわふわした毛並みの奥に暖かい体温を感じる。この子達は生きてる。確実な生を感じる。


この子達とは違い感情を持たない中級以下の魔獣は嫌いだ。欲望だけで人を襲い、そのせいで僕だけが世界の悪者になる。

でもこの子達は違う。この結界から出なければ絶対に人は襲わない。人がいたとしても、襲うなという命令すら届かない理性のないあいつらとは違い、必ず僕のお願いを聞いてくれる。違う種の子達と仲違いもしない。


「僕にはお前らしかいないよ。だからどこにも行かないで」


知能はあっても言葉は通じない。僕の頭程の大きさがある目を丸くして首を傾げる顔もまた、言い表せないほどに愛らしい。


暖かいお腹を枕にして横になり、雨音と喉を鳴らす音をBGMに目を閉じた。一人だと冷たく不快なだけの雨も、この子達といればいっそ心地よいBGMに変わる。


「今朝は早く起きちゃったし、少し寝ようかな」


どうせこれも一人で完結する独り言。


結局僕は天気なんていくらでも変えようがあるものよりも、隣に誰かがいること一番大事なんだ。

こんな湿気った日でも、凍えるような雪の日でも、肌を焦がすような日差しの強い日でも、きっとこの子達がいれば────



そうして考えているうちに、眠りに落ちた。



夢の中で、意識だけで何かをぼんやりと見ていた。

これは古い記憶だ。200年以上前、まだ僕が人間だった時の。

場面が何度も何度も切り裂かれるように変わり、僕に向けられた言葉だけがいくつも頭の中で半諾する。



──────悪魔を産んでしまった……死んで償わなければ……


──────ごめんなさい。あなたの事をよく覚えてないの


──────誕生日はね!おーっきなまあるいケーキが食べたいなぁ!


──────行かなくていい、ここから逃げて


──────あなたなんかじゃ足でまといにしかならない!


──────どうせ誰も救えないくせに


──────お前のせいでコイツらは死んだんだ


──────どうして、来てくれなかったの?


──────君はこのままずっと独りで生きて、正義のヒーローの手で無残に殺されるんだ



分からなかった。自分がどうしてこんなことを言われているのか、分かりたくもなかった。


記憶の奥底に閉じ込めている思い出がどんどん溢れてくる。

楽しいこともあったのに、それらが全て嫌な思い出で黒く上塗りされていく。


寂しい夢だった。悲しい夢だった。こんなことを言われるくらいなら、一人のままでもいいと思えるほどに。


「どうして……」


譫言を零しながら泣きながら目を覚ますと、目の前に見慣れた姿があった。


小さな体に二つの大きな瞳と殻のような巻角を付けた、獣でも魔獣でも人間でも精霊でもないその姿。


「天使ちゃん……久しぶりだね…………」


六日ほど姿を見なかった唯一の友人が、寝ていた僕に寄り添うようにそこにいた。体を起こすと枕にしていたはずの魔獣はおらず、代わりに草のクッションが頭に挟まれていた。

空は多少の雲はあるもののすっかり晴れていて、きっと水でも飲みに行ったのだろう。寝ていた僕に気を使ってくれたのか、賢い子達だ。


「☆$:>@*°♪|・」


相変わらず天使ちゃんの言葉は理解できない。

その薄いピンクの体に軽く触れようと手を伸ばすと、すぐに踵を返してぽよんぽよんとお気楽な音を立てながらどこかに行ってしまった。

天使ちゃんの行動は理解も予測もできない。それでも、久しぶりに姿を見れただけでなんだか嬉しかった。


「天使ちゃん、ちょっと待ってよ」


寝起きのぼんやりした体を起こして、少し体を伸ばしてから、小走りでその小さな後ろ姿を追いかける。天使ちゃんの気まぐれはいつもの事だが、今はもう少しだけそばに居て欲しかった。


天使ちゃんの移動は跳ねるだけだから、すぐに追いつくことが出来る。後ろからできる限り優しく抱き上げると、小さく声が上がった。


「-^?」


僕を見上げるつぶらな瞳に、涙の跡が残る魔王が映る。忌々しい顔だ。


「今日は一緒にご飯でも食べようか」


そう言って、笑って見せた。

瞳に映った顔が、下手くそな歪んだ笑顔に変わる。


僕は何かを食べても食べなくても何も変化はないし、天使ちゃんには口がないけど。それでも久しぶりに天使ちゃんと一緒料理を作りたかった。


あの人間に出会ってから、久しぶりに人間とまともに向き合ってから、何だか調子が狂う。こんな人生にもまだ何かいいことがあるかもしれないと思ってしまう。


僕の言葉を聞いて瞳を閉じた天使ちゃんは、何だか笑っているように見えた。

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ただ、美しい男に救われた 翡翠 @Hisui888

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