*002 久しぶりの人間



街に来て真っ直ぐに向かったのは魔獣討伐を中心とした色んな依頼の紙が大量に貼られた掲示板。ここから自分が受けたいものの紙を取ってギルドに持っていくと依頼が受けられる。とは言え、別に僕は依頼を受けに来たわけじゃない。


聞き耳を立てながらその紙を見に来た数組のパーティを少し見回す。頭に大きなリボンを付けた幼い女の子から見上げるほど大きな体に余すことなくムキムキの筋肉をつけた男など、色んな人がいる。皆が思い思いに受けたい依頼の紙を持っていき、だんだんと紙が減っていく。


その中で、一際古くなった紙があった。基本的に依頼は昼に一度何枚か新しいものが追加され、古いものは古くなるにつれて依頼達成時に貰える報酬がどんどん上がっていく。

自分の力に自信のある者はそんな古い依頼を受けて金を稼ぐのが主流であり、古いものは基本的に残らない。だから、それがやけに目に付いた。


「…………中級魔獣の群れの討伐…………」


そう難しくない依頼内容につい声が漏れた。だがこの声も、きっと誰にも届いていない。

中級魔獣の討伐くらいなら多少量が多くてもある程度力のあるものならすぐに終わらせられるだろう。不審に思い少し魔力を使うと、その紙は何度も貼り直された跡があるのが見えた。何度も依頼失敗され、取られた後に貼り直された証だ。

やけに古く見えたが実際はそうでも無いのかもしれない。ギルドに持っていく紙を汚れた手で握りしめている男達を横目に見て見てそう思う。


少し様子を見てみるか。

ここに来たのはこの街に僕、魔王に害をなす者が来ていないかを確かめるためだったが、周りの人をざっと見渡しても会話を聞いてもそれに該当する者が現れた様子はない。


発生場所を見て、そっとその場から離れた。この街からはかなり離れた何も無い岩場だ。

掲示板から離れる時に一人、誰かとぶつかったような気もしたけど、どうせ相手の意識に僕は残らない。

転移魔法を使うための人目のない裏道を探して、賑やかな街を一人歩いた。


騒がしい街の色んな声に混じって遠くの方から何人かの子どもがはしゃぐ声がした。


それがたまらなく懐かしくて、無意識に噛み締めた下唇から血が滲んだ。



依頼場所に指定されていた場所はかなり開けた場所だった。討伐対象の魔獣は湿った日陰や冷たい場所を好む種で、基本的には数十匹単位の群れで生活している。


大きな岩の下を覗き込むと、そこにはざっと見て四十匹程の群れが丸まって眠っていた。僕には何も反応しないが、ここに人間が近づいたら一斉に目を覚まして喰らいつくのだろう。少し数は多い方だとは思うが、パッと見たところ別になにも特別なことは無い。


「もうすぐ夜になる。帰ろう」


気まぐれでこんなところまで来てみたが、久しぶりに訪れたここは地形も住む生き物も昔とあまり変わらない。それになんだか安心感を覚えながら転移魔法をかける。青白い光に目を閉じて─────


突然、身体がガクンと揺れて強い力に帰宅を遮られた。驚きのあまりつい転移魔法を解除してしまい、それにより身体を襲った脱力感に尻もちをつく。尻もちをつくのなんてどれだけぶりだろうか。鈍い痛みを感じるや否やに自分自身に治癒魔法をかける。考えるより前、これもうほとんど癖に近い。

視線を上にあげると、黒い髪と紫の瞳を持つ、フードの着いた長いマントを羽織った小柄な青年が少し遠くからこちらに向かって杖を構えていた。何らかの魔法をぶつけられたのか、と冷静に判断する。人の気配に気づけなかったのはかなり迂闊だ。やはり自分にかけた魔法を過信しすぎるのは良くない。


「転移魔法は何十年も昔に、人の体を壊すからって禁忌になったはずはずだ」


人間に話しかけられたのは随分久しぶりだった。それも、驚くほど冷たい声。でも、別に怖くはない。そもそも僕は禁忌とされたことすら知らなかった。こんな便利な魔法なのに、と心の中だけで首を傾げる。


「………………」


もちろん、知りませんでしたなんて言えない。どうしたものかな、とのんびり思考を巡らせる。このまま逃げるのが一番早いだろうか、それとも無駄に詮索される前に記憶喪失にするか。


「なんか話せよ。それとも喋れねぇの?」


ああ、あまりに長いこと誰かと対峙することがなかったせいですっかり忘れていた。


僕は魔王だった。魔王は魔獣を従わせて、人間を殺すものだった。


「お前しかも──っ?!なんだ、!」


頭の中で考えるだけでいい。声に出す必要すらない。

中級魔獣の半端な知能じゃ正確なことは出来ないが、人一人襲わせる位はできる。先程の群れが一斉に目を覚まして、一目散に何か言いかけた男に迫っていった。


こんな辺鄙な場所まで来た理由は十中八九あのクエストとみた。それならどうせこうなるものだったと、訳の分からない言い訳を自分だけにする。それにこの前男は一目見ただけで分かるほどの高い魔法適性を持っている。死にはしないだろう。


死んだって僕には関係ないけど。


ぐちゃ、ぐちゃ、と何かが潰れる音をどこか遠くに聞きながらもう一度ゆっくりと転移魔法をかけ、静かにその場を離れた。随分低いところにきた日に照らされて、長い影がゆらりと揺れる。




光がほどけてすぐ、鼻につく嫌な匂いに眉をひそめた。嫌な予感が胸を締め付け、ゆっくり目を開く。


そこには昼に見た小さな獣と同じ種のものが血だらけになって、体の半分を失い死んでいた。飛び散った血飛沫で周りの草も赤く染っている。

昼に見たものと同じ種だが、同じ個体なのかは分からない。傷跡から見るにきっと獣同士の食物連鎖が成したことだ。可哀想だが、どうしてあげることも出来ない。


見なかったふりをして顔を逸らし、そっと結界に触れる。視界がぶれるこの感覚に、帰ってきたんだという安心感を覚えた。ここだけが僕の居場所で、守るべきもの。外の世界で誰が生きて誰が死のうが僕には関係ない。そう思うだけでなんだか気が楽になる。帰る場所があるだけで僕は十分過ぎるほどに幸せだ。


こんな日が、戻る場所がある日が、安心できる場所にすぐ帰れる日が、ずっと続けばいのに。


少しセンチメンタルな事をほんの少しだけ、思った。



結界の中にいる生き物は十数匹の上級魔獣と僕、それから城の中に友達が一人だけ。自然があるところに必ず存在するエルフや精霊すらここには例外的にいない。

魔獣達は日が沈むと同時に眠ってしまい、友達は城内にいることは分かるがどこにいるかは分からず、姿を見るのは七日に一度程度。だから夜は本当のひとりぼっちになってしまう。


やることもないので、心を覆う寂しさを凌ぐために机に向かって日記をつける。暇つぶしになんとなく始めたが、もうかれこれ五十年ほど続く日課になった。朝起きた時のことからその時の景色や自分が感じたことなどを細かく書いていくと、あっという間にページが埋まっていく。この感覚は結構達成感があって好きだ。


そしてカリカリ書いているうちに日記は転移魔法に久しぶりに失敗したところまで来た。そして、あの青年のことを思い出す。強い光を目に宿し、それでいて不機嫌そうに眉をひそめた顔。小柄な身体からは考えられない程の魔力を体に貯めていたこと。まつ毛が少し長かったこと。マントだけじゃなく、体の色々なところに魔道具を付けていたこと。声は高めだったし顔も整っていたが女性らしさはなかったこと。禁忌とされたはずの転移魔法を一目見ただけですぐ言い当てたこと。


自分でも驚くほど彼をよく観察していて、それらを全て覚えていた。僕自身も気づかなかったが久しぶりに人と接した事が相当嬉しかったのかもしれない。日記には考えるより先に僕の正直な気持ちを全て書いている。読むだけで浮かれているのが分かる文章に、まだ自分が人の心を持っていたようで嬉しくなった。


「死んでないといいなあ」


僕には関係ないはずなのに、魔王は人々を苦しめるものなのに、僕が魔獣に指示を出したのに、ついそう思ってしまった。


その日の日記は普段よりずっと沢山インクを使った。青年のところを書いた後に、何となく街で見かけた人間のことを覚えている限り全て書いた。

スキンヘッドに刺青をした大男、ふわふわのワンピースを着た可愛らしい女の子、大きなリボンを付けた十歳程の子ども、棍棒を担いだムキムキの男、精霊を従わせた精霊使いの集まり。人間はいつの時代も多種多様で、見ているだけで面白い。


きっと、そのほとんどの最終目的は僕を殺すことだろう。魔獣を倒し、賞金を得て、その金で国中を回ってこの城を探し、魔王を殺す。魔王が死ねばかつての初代魔王が死んだ時と同様にきっと魔獣がこの世からいなくなる。魔王を殺した者は国の英雄となり勇者様と崇められ、一生安泰。それがこの国の力を持った若者が追い求める夢だ。

百年ほど前まではもっと何人もこの城に辿り着く者がいた。

僕が魔法の使い方を覚えていくうちに結界が強くなり、誰もたどり着けなくなり、僕の居場所はこの国のどこかという所までしか分からない。それでも皆心に秘めた想いを抱いてがむしゃらに付き進み勇者を目指すのだ。


「いいなぁ。そんな一直線に突き進めるほどの目標があって」


羨ましい。心から。僕にはそんな時期、一度もなかった。


日記を静かに閉じて、手を軽く振りろうそくの火を消した。城中の全てのろうそくが一斉に消え、広い城全体が静寂に包まれる。

あんなに晴れていた空はいつの間にか厚い雲に覆われて月の光すら届かない。城丸ごと闇に溶け込んでしまったように静かで、ひたすらに暗い。


ひとつ、ため息が漏れた。夜は嫌いだ。


ベットに体を投げると、長い髪が遅れてパサリと体にかかった。

うつ伏せのまま顔を押し当てると、少し枕が濡れた。

母に嫌われた忌まわしい目を隠すための長い前髪が濡れて、鬱陶しい。


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