ただ、美しい男に救われた

翡翠

ひとりぼっちの魔王様

*001 魔王の日常


朝は好きだけど、起きるのはどうも苦手だ。


毎朝古いカーテンの穴から差し込む光で一度は目を覚ましても、直ぐに寝返りを打って光から目を逸らしては二度寝してしまう。そして結局起きて活動を始めるのは日が高く昇ってから。


良くないこととは分かっているが、どうにも朝は起きれない。そして夜は何をする訳でもないのに、つい遅くまで起きてしまう。明日こそ、明日こそ、と変えようとは思っているのに、結局この生活ルーティンの繰り返しな気がしている。

こんな生活をしていても誰かに迷惑がかかるわけでもなく、それでいて注意してくれる人もいない。だから改善しなくてもいいし、出来ないんだとまた一人きりの言い訳をした。


今日は起きたらまず魔獣達の様子を見てから城の結界の見回りをして、もう数十日は結界の外に出てないから、たまには街におりて、その後は……。


そんなことを考えているうちに、再び眠りに落ちた。一人の夜は月の光までもが冷たくて少しだけ寂しいけれど、朝日は暖かくて柔らかな優しさがある。朝日に包まれながら微睡む時間ほど心地のいいものはない。


だから、朝は好き。




太陽が空高く登りきった時、なにかに起こされた訳でもなく自然と目を覚ました。こういう目覚めをした日は気分がいい。

起きるのが嫌になる前にと急いでベットから出て、その勢いのままパジャマを脱ぎ、近くに雑に投げ出されたシャツに袖を通した。ズボンも履き替えてから椅子にかけてある膝下まである大きなマントを羽織る。

そのまま少し目を閉じれば体内にあった魔力が魔法に変わり、それが身体を覆って姿が変わる。


腰に届く灰色の長い髪は黒く染まり、頭に生えた歪な形の角は消え、頬に赤黒く染み付いた紋章は肌の奥に沈み、身長が縮んで、少年と青年の狭間のような年頃の髪が長い男の子の出来上がり。

マントやシャツはこの年頃の子が着るような軽装に変わっている。生憎城中の鏡は全て割ってしまったため自分の姿は分からないが、まあ例え数十日が空いていようと失敗はしていないだろう。何せ僕は魔王だ。


コツコツと響く自分の足音以外何も聞こえない長い廊下と階段をゆっくり歩いて外に出た。太陽は高く昇っているが、涼しい風が軽く肌を撫でる。こんな天気こそが僕の中ではこの上なく最高で、やっぱり今日は気分がいい。


こんな気分のいい日に街へ下りるのは少しもったいない気もするが、一度は心に決めた今日を逃せばまたしばらく行かなくなるのは僕の性格上分かりきっている。嫌な気持ちを気持ちのいい目覚めや心地よい天候で無理やり塗り直して、重い足取りで一歩一歩踏み出した。




城の周りでは、今日も上級魔獣が川でじゃれあったり丸まって寝ていたりしている。みんな僕の姿を見ると一目散に駆け寄って、その大きな体を僕に擦り寄せて甘えにきた。

服の裾を軽く噛んで引っ張ったり、手のひらに鼻を押し付けたり、大きな目をきゅっと細めて喉を鳴らしたり。全身を使って余すことなく甘えられている感覚は言い表せないほどの幸福感与えてくれる。本当にどこまでも可愛い子達だ。

ずっとこのまま幸せに浸っていたい気持ちをなんとか押し込んで、この楽園のような空間と外の世界の境目に向かった。




結界の調子は今日も万全だった。山の頂上に聳え立つこの大きな城も、何メートルもある上級魔獣達も、普通の人は決して気づかないと改めて思うとつい自分の力を過信してしまいそうになる。それでも、毎日あの子たちを振り切ってここまで様子を見に来てしまうのは僕の性分なのだろう。心配性なのは昔からだ。慎重に行動するに越したことは無い。

この結界は内側にあるものを認識阻害の対象にするもの。魔獣も人間もその他の全ての生物も、この空間に近づこうという気すら起きないようになっている。これは僕が、僕自身やあの上級魔獣の子達を守るために張った結界。


だからこそ、外に出る時は少し緊張する。


大きく息を吸って、少し結界に触れた。見えない何かに触れた感覚が手から全身を伝わった瞬間、視界がぶれる。いつもの事ながら酔ってしまいそうだ。




鮮明になった視界の先は、結界の中と何ら変わりない山の続き。生い茂る木々の間から差し込む木漏れ日が綺麗で、特に今日のような風のある日はちらちらと動くそれを必死に追いかける小型の獣の姿が見られる。可愛らしい鳴き声も相まって、そこには癒し空間が広がってた。

そうだ、結界の中も外も人さえいなければ大した違いはないんだった。

久しぶりの結界の外に緊張していた自分が急に馬鹿らしく思えくる。数匹の獣が戯れるその光景に少し安心して、軽く息を吐いた。




緩やかな傾斜に足元を気をつけながら慎重に山を降りていく。魔法でひとっ飛びすることはできるが、たまにはこうして動かないと身体がなまってしまいそうだ。

まあきっと今日が風のない暑苦しい日や、厚い雲が空を覆う湿気た日なら結界を出てすぐ転移魔法を発動している気がするけど。いや、それ以前にそんな天気なら街におりる事もやめていただろう。それが続いて200日近く外に出なかった時もあった。

あれは今思い返しても流石に良くなかったな。


なんて考え事をしていたら直ぐに息が上がってしまった。流石に日頃もう少し動くべきかもしれない。自分に魔法をかければ体力はすぐに回復するが、それでは何かに負けた気がする。男特有の、何歳になっても変わらずあるくだらない意地なのだろうか。それとも、人間らしく生きたいと思うが故なのかもしれない。自分のことは自分でもよく分からない。

休憩のため近くにあった大きめの石に腰掛けて汗を拭うと、足元に小型の獣が戯れに来た。久々に見た小さな生き物に緊張しつつそっと撫でると結界内の子達と同じように、甘えるように手に擦り寄ってきた。

ふわふわした毛並みは少し水に濡れていた。近くを流れる川で水浴びでもしていたのだろう。あの川にはエルフが住んでいるから僕は近づけない。エルフは少し苦手だ。布面積の少ない服を着た綺麗な女性を相手すると、どこを見ていいのか分からなくなる。

いや、僕はどんな人であろうと女性相手に話しをするのは苦手だった。しばらく言葉で意思疎通が取れる相手と会話したことがないから、昔の話になってしまうけど。


「早く行かないと暗くなっちゃうな」


考え事もそこそこに、自分に言い聞かせるように呟いて立ち上がる。小さな獣は急に動いた僕に驚いたのかどこかに走り去って行ってしまった。

その背を何となく眺めているうちになんだか何もかもが面倒くさくなり、足元に転移魔法をかける。結局こうなるんだよな、と思わず苦笑が漏れた。ちゃんとやろうと思うのに、結局諦めて楽な方を選んでしまう性格は昔から変わらない。

転移の青白い光に包まれて、それが眩しくてつい目を閉じた。木漏れ日や朝日と違って、その光はただただ暴力的に眩い。


薄い瞼越しにも伝わってくる光が弱まって、ゆっくりと瞳を開いた。そこにはいつも通り、常に色んな人で溢れる騒がしくて明るい街があった。

誰も突然この場所に現れた僕の方をちらりとも見ない。今は姿の見えないマントに自分でかけた認識阻害の魔法のおかげだ。そしてこの感じが、正体がバレてはいけない魔王であることを除いてもたまらなく心地よい。


ずっと昔からこれが使えたら良かったのになあ、なんてつまらないことを考えた。

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