黄昏姫の世界の終わりに




あの後地面に還り、すぐにシーナと飛んで元の位置に戻った。

辺りは日没直後で暗く、まだ慣れていない目にはバレないと思っていた。


「カインツ…ちょっといいか」


斥候を終えて帰舎した時。

いつもは優しい同僚が、険しい顔をしている。


「お前、もしかして意図的に黄昏姫に会いに行ってないか?」

「え?何を言って…」


冷たい汗が背中を伝う。

何故バレたのだろう、何とかして誤魔化さないと…


「俺、今日の夕方にお前が竜から落ちるのを見た。そしてその直後、“消えた”のも。…言い逃れは出来ないよな」


…そこまで見られていて、気付かなかったのは失態だ。

黄昏姫の事は誰にも知られたくなかったのに。


黙って俯いているカインツに痺れを切らした同僚は、最終通告をした。


「俺は黄昏姫に会ったことはないが、そいつはお前に何か危害を加えているんじゃないのか?」

「そんなことは…!」

「会いに行く頻度が多すぎる。洗脳されているのかもしれない」

「違う!僕の意思で行っているんだ!」

「…本人は自覚がないからな。この件は隊長に報告させてもらう。竜の私的利用は罰だが、更に危険な事をした。最悪、竜騎士を除隊させられると思え」

「 待ってくれ!僕は…!」


無慈悲に去っていく同僚を、止める言葉も見付からず…。

僕が会いたくて、勝手に黄昏姫に会っていたのだ。彼女は悪くないのに…。


このまま宿舎に戻っても、待っているのは除隊、良くて竜を取り上げられての謹慎だ。

もう黄昏姫に会うことは出来ない…。


どうしよう、どうしよう、このまま大人しく処分を待つのがいいのは分かっているが、最後にどうしても会いたい…!


そう思った時、カインツは反射的に竜舎に戻り…

シーナを連れて夜の森へ消えた。




---



衝動で飛び出してしまい後悔がない…とは言えないけれど、でも夜の風に当たって冷静に考えてみても、最後に全ての想いを伝えないと一生後悔すると思ったので、これで正解だった。


誰か追って来ていると不味いので、念のため国境近くまで飛び、森で一夜を明かした。

朝になって気付いたが、ここは最初に黄昏姫に会った場所に近かった。どうせなら最後も同じ場所で終わらせよう。


昼間に飛ぶと見付かる危険があるので、森の中を歩いて移動する。

しかし歩くのに適した身体をしていない竜は辛そうだ。こまめに休憩を入れ、ゆっくりと進む。


「…ごめんな、シーナ。お前まで巻き込んで…」

「クルウゥゥ…」


竜もこれで最後と分かっているのだろう、辛くてもカインツと離れようとしない。

頭を擦り付けて、寂しそうな声で鳴いている。


「今日、晴れればこれで終わりだ。最後あと1回だけ付き合ってくれ…。それで一緒に竜舎へ帰ろう…」





日の傾いてきた夕方。

天気はカインツに味方し、2日連続で晴れた。


目立たぬよう、木の頂上すれすれを縫うように飛び、初めて黄昏姫に会った場所へ向かう。


太陽が地平線に手を掛けた。


「…砦が見えた!きっとこの辺りだよ!」


目印もないので正確な位置は分からないが、砦の方角から大体の場所を割り出した。


太陽が沈むまでの間、シーナの背中で今までの事を思い返す。

最初はいきなり竜に乗せられ、その日に作戦に投入されて。落ちて散々…だけど、そのおかげで初めて黄昏姫に会えたのだから、良かった。


太陽が沈み、空の藍色が強くなる。


「…ありがとう、シーナ」

「クルゥゥ…」


手を伸ばし、首を撫でる。

バサッバサッとホバリングしている翼に当たらないよう、後方に飛んで、落ちた。




---



「黄昏姫…!」

「カインツ!待っていたわ!」


前まで見られなかった、満面の笑みでカインツを出迎える。

記憶を維持させ、この笑顔を引き出したのはカインツなのに、それに終わりを告げないといけないのが悲しかった。


「…ごめん、ここに来れるのは今日で最後なんだ…」

「…えっ?」

「危ない方法でここに来ているのを、仲間に見付かってしまって…」

「……」


黙って俯いてしまった黄昏姫に罪悪感が広がる…が、まだ告げなければいけない事がある。


「ごめん、本当にごめん。僕の我が儘で僕を覚えてもらったのに…。もう終わりにしよう。黄昏姫に寂しい思いをして欲しくないんだ。…髪を、返してくれるかな…」

「いやよ…」

「えっ?」

「嫌!やっと持てた記憶なの!私は、今の私は何もない!空っぽで、ただここにいるだけ!」

「黄昏姫…」


泣きながら訴えてくる黄昏姫に、しかし答えを持たないカインツは何もしてあげられない。


「どうして私はここにいるの…?落ちる人を助けるため?でも黄昏時しか繋がれないわ…」

「ごめん、僕が君に記憶を与えてしまったから…。辛い思いをさせてごめん。僕が髪を持って帰れば、きっと全て忘れられるよ…」

「嫌よ!私は忘れたくない…!私もカインツと一緒に行きたい!」


その瞬間。


パシィィィィン!と何かが割れるような音がして、世界が黒く反転した。


「なっ、何だ!?」


暗くとも自分の手はハッキリ見えるのに、目の前にいたはずの黄昏姫が見えない。


「…黄昏姫?どこ!?」


『…お前に感謝しよう』

「っ!?」


身体の底から震えるような、畏怖を覚える低音が空間に響く。


『その少女はこの場所を占拠していてな、やむ無く存在を消さなければならない所だったのだ』

「誰だっ!?どこにいる!?」


カインツが周りを見ながら叫ぶと、黒い空間に一人の男が現れた。


その男は長身で均整のとれた身体を、白い布を纏っただけの簡素な服装で惜し気もなく晒している。

しかし風もないのにふわりと靡く黒い長髪や、他を寄せ付けない冷たい瞳の色も黒で、どちらともカインツの世界には存在しない色だ。

なにより身体に神々しい光を纏っており、一目でこの世の者ではないと分かった。


『我は「魂の管理人」。番人や死神と呼ぶ者もいるがな。案ずるな。寿命と輪廻の流れを管理しているだけで、殺しはせん』


寿命と輪廻を管理…。それは神の域の話だ。

それが本当ならば、目の前の男は神かそれと同等という事だろうか。

自然と身体が震える。


「なぜそんな方がここに…」

『お前、ここがどこか分かっていなかったのか?』

「は、はい、いつも黄昏姫に連れて来てもらっていたので…」

『ここは「彼の世あのよ」の入り口だ。その少女は何百年も前に死んでいる』

「…えっ?」


あの空間は死後の世界だったのか。

もちろん普通ではないと思っていたので、そこに対する驚きはなかったが…

男がカインツの目の前を指差すと、今まで黒だった空間に横たわっている黄昏姫が現れた。


「黄昏姫!」


駆け寄って抱き起こすが、意識がない。


『可哀想ではあるが…その少女は婚約者に崖から突き落とされ、死んだ。しかし少女はその事実が受け入れられず、そこで時を止めた。普通の人間ならばいずれは輪廻の流れに入るのだが、少女は生前魔力が強かったのであろう、崖から落とされた時の黄昏色の空間を作り、閉じ籠ってしまったのだ』


そんな…何百年も前に婚約者から殺され、その事実を受け入れられぬまま、あの空間にずっと一人でいたなんて…!


「ひどい…」

『無意識に魔力を使って「落ちた人を助けたい」と思ったのであろう、同じ黄昏色の時だけ繋がるようになってしまったようだ。この事を初めて知った時、黄昏時に彼の世あのよと繋がり、そして「誰そ彼たそかれ」と呼び掛けられる少女が本当に記憶を失っているとは…言葉を失ったぞ…』


目の前の黄昏姫を介抱するのに必死で、男の言葉は入って来ない。

目を開けてくれないか、伝えたい事はまだあるのに…!


「黄昏姫…!」

『無駄だ。世界が壊れたショックで、当分は起きんぞ』

「そんな!どれぐらい先ですか!?」

『さあな、1年か2年か10年か…』

「そんなに…」


カインツが絶望しながら呆然としていると、男は一番大きな爆弾を落とした。


『…輪廻を繰り返し、覚えていないだろうが…お前と少女の魂は惹かれ合う運命にある。心配せずともこの先、必ず出会う時が来る。そもそも「少女を殺した婚約者」は「お前の魂」なのだから』




---



あの後、どうやってあの空間から地上へ戻ったのか、全く覚えていない。


黄昏姫は実態を失くし光になり、このまま輪廻の流れに入るとだけ聞かされたのは覚えているが…。


呆然として動かないカインツに心配した竜が寄り添い、次の昼に同僚を呼んで来てくれて、とりあえず宿舎に戻った。


何故か同僚はこの一連の出来事を隊長に報告しておらず、カインツは体調不良で寮に籠っていた事になっていて、1週間後に何事もなかったかのように訓練が始まった。


考える事を放棄したカインツは、隊に命じられるまま、訓練と任務をこなし…



気付けば7年が経過していた。




---



「俺らももう25歳かー」

「どうりで皆、結婚するはずだよ」

「カインツは?良い人はいないのか?」

「…俺はいいかな。一人が好きなんだ」


結婚式の帰り道。同僚と話しながら歩いていると、ふとそんな話題になった。


「…お前、まだを引きずってるのか?」


今まで一度も触れなかったのに。

今でも思い出すと胸が痛む。


「…初恋、だったんだ。でも、俺に恋する資格なんて初めからなかった…」

「…あの時のお前、夕方になると嬉しそうだったもんな…」


そう言うと立ち止まり…


「すまなかった…。お前の危険な行為を止めたい一心で、お前の気持ちを考えていなかった…!」

「やめろ!悪いのは竜を私的に使い、危険な行為をしていた俺だよ!むしろあの時止めてもらっていなかったら、今頃どうなっていたか…」


お互い触れないように、でも心にしこりがあったのも事実で、それを解きほぐすように当時の事を語り合った。


「優等生なカインツの事だ、隊長に知られると分かれば自分で止めると思ったから、知らせずに穏便に済まそうとしたんだよ」

「だったらそう言ってくれれば…」

「バーカ、そしたらまた落ちるだろ?嘘でも迫真の演技をしないとな!」


「当時は気付けなかったけど、本当に好きだったんだ…」

「…伝えられたのか?」

「ううん、タイミングが無かったし、何より俺には資格がなかったんだよ…」

「資格?恋をするのに資格がいるのか?」

「…うん、俺の場合は…だけどね」


「次の恋には踏み切れないか?」

「そうだね…。俺にはその資格がないかな…」

「また「資格」だ!気にしすぎなんじゃないのか?人生は一度きりだぞ?」

「うん…でもこればっかりは…ごめん…」

「謝るなって。カインツの分も俺が恋愛して、可愛い嫁さん捕まえるさ!」



もちろん真実は何一つ明かせないけれど…


この日を境に、カインツの心は前を向く事が出来るようになった。




---



「竜騎士様!空を飛ぶのは怖くないの?」

「ああ、俺の飛竜のシーナは賢くてな、最初からゆっくり上手に飛んでくれたから怖くなかったぞ」


休戦協定が結ばれ、戦争も終わり、竜騎士の仕事は国境の警備と国内の治安維持だけになった。

正直規模が大きくもて余しているが、いつ戦時になってもいいように維持しなければならない。


そんな中で国が政策として始めたのが、学校へ騎士を派遣し、子供達に護身術と戦争の事実を教える事だった。


「騎士になるには、どうしたらいいの?」

「入団試験を受けて、合格すれば入れるぞ」

「それって難しいの?」

「戦争をしている時は人手が足りなくて、結構簡単に入れたんだが…今は難しいだろうな」


騎士は年に数回しか訪れないので子供にとって珍しく、終了後も質問責めに合う。

もうそろそろ日も暮れるので子供達を帰さなければいけないのだが、今日は12歳のクラスで進路を考え始める時期でもあり、踏み込んだ質問が多い。


「騎士様は強い?いつまで働ける?」

「そうだなぁ…もう35歳だから若い奴に体力では勝てないが、培ってきた技術と経験を使えばまだまだ強いぞ!」


ふんっ!と力瘤を作れば、子供達がワッ!と沸く。


その時、1人の少女が懐かしい事を聞いてきた。


「黄昏姫って知ってる?」

「…ああ、もちろん。今みたいな晴れた夕方に空から落ちると会えたのさ。もうダメだ!って時に助けてくれて、地面に降ろしてくれる。救世主だな」

「えー?なにそれ?本当にいるの?」

「「落下のショックで気絶した人が見た夢だ」って言うヤツもいるけど…バカ言うなよ、本当の事さ」


「だって、俺は会った事があるのだから-…」


遠い昔の事を思い出していると、質問してきた少女がポケットから何かを取り出した。


それは昔は白かったであろう、黄色にくすんだリボンで括られた、金色の髪だった。


見覚えのありすぎるから視線を外せずにいると、少女が話しかけてきた。


「髪を持ったまま魂になったから、記憶が消えなかったみたい。それでね、産まれたときにこれを握り締めていたんですって」


頭が真っ白になりながらも顔を上げると、栗色の髪に緑の瞳の、愛嬌のある少女が目の前にいた。


面影は何もないものの、さっきの話を信じるならば…


「ねぇカインツ。私、貴方と同じ世界で、貴方と一緒に暮らしたいわ!」


夕日に照らされた少女は、とても幸せそうな笑顔で-…


騎士は少女を、強く抱き締めた。


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忘却の黄昏姫 誘真 @yuma_write

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