第22話 アトランティスとかムーとか

「何だろう?」


 ユキは頭をひねったが、とっさに出てこない。


「アトランティス大陸とムー大陸だよ」


と、ソラに言われると、


「あっ、それか」


と、ユキも合点がいった。


「ほら、やっぱり知ってた」


と、ソラはまた笑いながら言った。


「でもね、ユキちゃん、アトランティス大陸やムー大陸の話は基本、作り話だからね」


「えっ、少なくともアトランティスの話はあの有名なプラトンが書き残しているんでしょ?」


「プラトンが書いたからって、本当の話とは限らないでしょ」


「まあ、そうだけど」


「少なくとも、大西洋上にあった『大陸』が一万年ほど前に海に沈んだという地質学的な証拠は何も無いんだよ」


「なんだ、つまらないの」


 ──古代ギリシアの哲学者プラトンの対話篇『ティマイオス』および『クリティアス』では、以下のように語られている。


 ジブラルタル海峡の外側、大西洋に巨大なアトランティス大陸があった。資源の宝庫で、そこにある帝国は豊かであり、強大な軍事力を持ち、大西洋を中心に地中海西部を含んだ広大な領土を支配していた。アテナイは近隣諸国と連合し、侵略者であるアトランティス帝国と戦い、辛くも勝利したが、その直後アトランティス島は海中に沈み、滅亡したとされている。


 プラトンは強大な国々の傲慢さを揶揄した寓話として言及したとも言われる。古典の原典でアトランティスに言及しているのは、プラトンのこの著作だけだからだ。


 プラトンの弟子であるアリストテレスは、師プラトンのこの物語を想像による架空のものと考え、プリニウスやストラボンを始めとする他の古代ギリシア、ローマ時代の知識人も、アトランティスの実在を疑問視していた。


 ──ところが、一九世紀末の米国の政治家ドネリーは、その著作でアトランティスの実在に関する主張を以下の一三にまとめて紹介した。彼の主張は、近代のアトランティス神話のベースとなっており、現在では、その著作は疑似歴史の代表的なものと考えられている。


 1 アトランティスは、かつて地中海の入り口の向こう側の大西洋上に実在した島で、古代にアトランティス大陸と呼ばれた大陸の残骸である。

 2 プラトンの記述は寓話ではなく史実である。

 3 アトランティスは人類初めての文明である。

 4 アトランティスは多くの住民が暮らす強国になり、文明化された住民の一部は    アトランティスを出て、メキシコ湾岸、ミシシッピー川流域、アマゾン川流域、南米の太平洋岸、地中海、ヨーロッパとアフリカの西岸、バルト海沿岸、黒海沿岸、カスピ海沿岸に移住した。

 5 アトランティスはノアの箱舟以前のエデンの園など、古代人が伝承してきたアスガルドの時代に実在し、初期の人類が長く平和と幸福の中で暮らした理想郷の普遍的記憶を表している。

 6 古代ギリシャ人、フェニキア人、ヒンドゥー人、スカンジナビア人などが崇めた神々は、アトランティスの王や女王、英雄たちであり、神話はそうした史実が混乱して伝わったものである。

 7 エジプトとペルーの太陽信仰はアトランティスの宗教の名残である。

 8 アトランティスの最初の植民地はおそらくエジプトであり、エジプト文明はアトランティス島の文明の再現である。

 9 ヨーロッパの青銅器時代はアトランティスの派生で、世界で初めて鉄器を製造したのもアトランティス人である。

 10 フェニキアのアルファベットはアトランティスのアルファベットから派生したもので、アトランティスのアルファベットはマヤ文明にも伝播した。

 11 アトランティスは、アーリア人つまりインド・ヨーロッパ語族の発祥の地であり、セム語族、おそらくウラル・アルタイ語族の発祥の地でもある。

 12 アトランティスは甚大な自然災害で滅亡し、島は住民の大半と共に海に沈んだ。

 13 一握りの人がこれを逃れ、世界に洪水伝説が広まった。


 アトランティス等の失われた大陸が世界の諸文明・全人類の源であるという考えは、第一次大戦前から大戦中にブラヴァツキー夫人に始まる近代神智しんち学(要はオカルト的な思想)などでも流行した。


 そこでは、アトランティスの支配層は白人であったとされ、白人優位主義、自民族至上主義(エスノセントリズム)を正当化し、「かつては全世界が自分たちのものであった」ということを「立証」して植民地支配を正当化する論拠として利用されたのである。


 ナチスでも、アルフレート・ローゼンベルクの著作『二〇世紀の神話』が思想の基本に据えられていた。本書では、太古のアトランティスに住んでいた北方的アーリア人種が、バビロニア、エジプト、中国など世界のあらゆる文明の発祥と繁栄の源であるとされた。ローゼンベルクは、太古の時代より優れて善なる金髪碧眼の人種「アーリア人」の血の純潔性を守らなければならないとし、汚れたユダヤ人の血との混血の危険性を訴えた。ナチスの思想において、アトランティス神話は重要な位置を占めていたのである。


「これを見ても、アトランティスは単なるおとぎ話じゃなくて、現実の政治と関連してることがわかるでしょ? しかも、あんまり良い方向じゃないよね」


「そうか、オカルトと人種差別の接点って、あんまり指摘されないよね」


「そもそも真面目な学者は、オカルトを相手にしないよ。でもさ、それが事実では無いというのは当然でも、そういうものを生み出す心性しんせいというか、心の持ち方の問題として考える意味はあるんじゃないかな」


「なんだかすごい話だね……ソラ君、将来そういう研究者になったらいいのに。それって、哲学いや宗教学の領域なのかな?」


「いや、僕なんか、学者になるなんて無理だよ」


「そうかなぁ?」


「それでね、ムー大陸も同じようなものだよ」


と、ソラは無理に話題を換えた。


 ──ジェームズ・チャーチワードによると、ムー大陸は約一万二〇〇〇年前まで太平洋に存在したという大陸で、現在のハワイ諸島やマリアナ諸島、 イースター島など南太平洋に点在する島々が陸続きになっていたとされる。人口は約六〇〇〇万人、首都ヒラニプラにある王宮には太陽神の化身である帝王ラ・ムーが君臨し、政治や行政、宗教に至るまでのすべてを統治。全世界を支配できるほどの高度な学問と文化、建築、航海の術を持っており、白人が支配者である超古代文明が繁栄していた。

 しかし、約一万二〇〇〇年前に巨大地震が発生して大陸中の火山が噴火、さらに大津波が押し寄せて、ムー大陸は一夜にして海底に沈没したという。


「でも、この話はね、最初にムー大陸の存在を発表したアメリカの作家、ジェームズ・チャーチワードの完全なフィクションだということがもう分かってるんだよ。著作に書いてある彼の経歴も、一次資料の存在自体も嘘だったんだ」


「ソラ君にそう言われると、夢が無くなるよ」


「いや、夢と言われてもね……白人にとっては良い夢かもしれないけど、それ以外の人たちにとっては悪い夢じゃない? 実際、アトランティス大陸やムー大陸が実在したと唱える人たちの多くは、人種差別主義者だったとされているんだよ」


「そういえば、ソラ君、前も言ってたわね。古代オリエント文明にしても、マヤ文明にしても、白人の作ったものではない。だから、それ以前に超古代文明というものを作り上げて、オリエント文明もマヤ文明も白人の影響を受けて作られたという話にすれば、白人は満足出来るという……」


「そうだよ。例を挙げてみようか?……これが、古代マヤ文明のパレンケ遺跡にあった、パカル王という王様の棺の蓋に刻まれた彫刻だよ」


と言いながら、ソラはスマホを操作して画像をユキに示した。


「あっ、ロケットに乗ってるみたい!」


とユキは思わず声を上げてしまった。


「でも、これは王が亡くなった時、地下世界へと落ちていく様子を表したものとされているんだ」


と、ソラは説明を始めた。


「この彫刻はまさに死者の亡骸なきがらの上で見つかったんだ。そのことを踏まえて、死と来世への移行を描いたものなんだよ。これは現代では『世界樹』として知られているイメージで、古代マヤの意匠としてはごく一般的なものなんだよ」


 ──世界樹とは、世界各地の宗教や神話に登場する「世界が一本の大樹で成り立っている」という思想。世界樹は天を支え、天界と地上、さらに根や幹を通して地下世界もしくは冥界に通じていると考えられていた。


「ところが、古代宇宙飛行士説を唱える人たちは、ある文化にとってはごく普通の図柄を取り上げて、元の文脈からかけ離れたものの見方をさせようとするんだ。この図柄にしたところで、石棺の図柄は縦に表示されており、世界樹と鳥という意匠を理解しやすくなっている。ところがデニケンは、著書で古代の宇宙飛行士説を唱えるにあたり、図柄を九〇度回転させて横方向に見せることで元来の解釈をわかりにくくしたとされてるんだよ」


「画像そのものは変えないけど、見せ方を変えたのね」


「そうだよ。そうすると、この図も、なにやらロケットに乗ってるように見えてくる」


と言って、ソラは笑った。


「結局、デニケンたちの主張は、人類、特に白人以外では古代の文明を築き得なかったと主張するもので、前に河村先生も言っていたとおり、人類の成し遂げたことをすごくおとしめているんだよ」


 ソラはさらに続けて言う。


「さらに言うとね、宇宙人の容姿だって差別的なんだよ。平和的で知的な宇宙人は金髪でいかにも白人的な容姿、邪悪な宇宙人は醜いグレイタイプだったり、そもそも人型ではない爬虫類型だったり、見た目だけでも大違いだ。これって、やぱり意図的だと思わない? 美しい、知性的な宇宙人って白人ばかりなんだよ」


「言われてみれば、そうね……」


 今までこんなふうに考えたことなんて無かった。


 宇宙人の話にせよ、超古代文明の話にせよ、「面白い」という観点からでしか見ていなかった。


 でも、これらの話の中に含まれている人種差別主義という思想的な背景に気づくと、ただ「面白い話」というわけにはいかない。


 ソラがそのことに気づかせてくれた。


 そうでなければ、ユキは単に「オカルト話が好きという変わった趣味の女子高生」というだけだったはずだ。


 言うなればソラは、自分の視野を広げてくれたんだ。


 そう思うとユキは、ソラに対して敬意に近いものすら覚える。


 とても同級生とは思えない。


 そんなことを考えているユキの内心を知ってか知らずか、ソラは、


「さて、余談はそれくらいにして、世界史の復習をしに行こうよ。この前のハンバーガーショップでいいよね?」


と、言った。


「うん」


と、ユキはうなずいた。

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