第21話 アーリア民族は世界一!?

 ユキは昼休みにソラが言ったことについて、その後もあれこれと考えを巡らしていた。その結果、五限目の論理国語や六限目の物理の授業の内容はあまり頭に入ってこなかった。


 放課後、教室前の廊下にて。


 部活も無いので、荷物をまとめて帰ろうとしていたユキは、ロッカーの前でソラに呼び止められた。


「ユキちゃん、ユー○ューブで面白いのがあるんだ」


「えっ、なに、なに?」


 誘われると、好奇心旺盛なユキはまず首を突っ込む。


「まあ、聞いてみてよ」


 ユキの顔に近づけられたソラのスマホから、何語かわからない言葉が聞こえてきた。


「これ、何語?」


「これが、前四〇〇〇年頃の、インド‐ヨーロッパ祖語だよ。まあ、推定だけど」


「へ~っ、すごいねぇ」


と、ユキは素直に感心する。だいたい、ユキは自分の知らないこと、わからないことを教えられると、疑うよりも素直に感心するクセがある。悪徳商法に一番だまされやすいタイプかもしれない。


「『古代言語音声集』って、タイトルなんだけど、聞いていると面白いよ」


「インド‐ヨーロッパ祖語って、歯切れがよくて、何となく英語に似てる感じがするね。何を言ってるのかわからないけど……でもさぁ、そんな大昔の言語の音声なんて残ってないのに、どうたって再現したの?」


「現在のインド‐ヨーロッパ語族に属する諸言語から、共通する型を推定して『インド‐ヨーロッパ祖語』を作り上げているんだ」


「次が古代エジプト語」


「なんか、インド‐ヨーロッパ祖語に比べると、声がくぐもってる感じね」


「エジプト語はアフロ・アジア語族に属する言語だから、古代エジプト語もインド‐ヨーロッパ語族と系統が違うからだろうね。こうして聞いてみると、全く異なる言葉だよね」


「あ~、そういえばさぁ」


と、ユキは突然大声をあげた。


 こういう時は、ユキが何か思いついた時だ。


「古代エジプトって、ヒッタイトと戦争やってたよね」


「ああ、カデシュの戦いだよね」


「戦争やって講話条約結んだってことは、絶対、通訳いるよね。当時の人って、どうやって他言語を勉強したんだろう?」


「ユキちゃんの発想は本当に面白いよね」


と、ソラは本当に感心したように言った。


「普通、高校生でそこまで考えないんじゃない?」


「どうせ私は普通の高校生じゃないわよ」


「よしなよ。僕は褒めてるんだから」


 ユキにしても、本気で怒っていない。それに最近はソラが本心で褒めてくれることがわかってきて、ユキはむしろ本心では嬉しく思うくらいだ。


「あっ、言ってたらヒッタイト語だ」


「何か響きがインド‐ヨーロッパ祖語に似ているね」


「ヒッタイト語はインド‐ヨーロッパ語族に属しているとされているから、当然だよ」


「古代エジプト語とヒッタイト語って、こうやって聞くだけでも全然違うよね……これって、どうやってお互いの言葉が理解できるようになったんだろう?」


「え~と、もちろん外国語学校なんかは無いから、漂流者、移住者、国境地帯の住民、国際結婚をした人々なんかが通訳を務めたんじゃないかな」


「そんなに簡単に通訳ってできるものなの?」


「地続きで国境を接している地域では、通訳に不自由しなかったと思うよ。国境地帯には必ず両国の言葉の出来る人が住んでいるものだよ」


「どうして?」


「エジプトとヒッタイトにしても、別にずっと戦争していたわけじゃないと思うんだ。むしろ普段は交易してたんじゃないかな。そうなったら、生活の必要上、自然と言葉は覚わるよ」


 今度はソラが思いだしたかのように言いだした。


「そういえばユキちゃん、前からシュメール文明は宇宙人が授けただの、エジプトのピラミッドは宇宙人が造っただの、怪しげな話を僕に振ってきたよね」


「うん」


「通訳どうしたと思うの?」


 えっ?


 そんなこと考えたこと無かった。


「え~と、高性能の翻訳機があるんじゃ……」


「いくら何でも、いきなり翻訳できないよね。どんな高性能の翻訳機だってデータがいるよね……」


と言って、ソラはくすっと笑った。


「その点だけでも、『宇宙人が人類に文明を授けた』っていう説が怪しいと思わない? 高度に発達した文明を持つ宇宙人の立場からすれば、言語も思考体系もわからない『野蛮な』地球人に、いきなり何をどうやって教えるというのさ」


「う~ん」


 ユキは返事ができない。


「だったらさ、インダス文明はどうなの? やっぱり、宇宙人に授けられたとか?」


と、ソラは笑いながら言った。


「え~と」


と言いながら、ユキは今まで読んだ宇宙考古学関係の本の内容を思いだしてみる。


 シュメールやエジプトの古代文明は宇宙人から与えられたという説がある。


 では、インダス文明は?


 確かに、そんな話はあんまり記憶が無いなぁ、と思う。


 そのことを告げると、


「そうでしょ」


と、ソラは当然であるかのように言った。


 えっ、なんで?


 ユキは疑問に思った。


 しかし、ソラは、


「ふふ、インダス文明は、宇宙人が関わったことにする必要がないんだよ」


と言った。


「どういうこと?」


「インド人はヨーロッパ人だからさ」


「なに、それ? よくわからない」


「だから、語族の話だよ。インド‐ヨーロッパ祖語を喋っていた人たちは、今のインド人やヨーロッパ人の共通の祖先だと考えられるようになったからだよ」


と、ソラは話し始めた。


「一九世紀のヨーロッパでは、『インド‐ヨーロッパ祖語を使用する民族』という意味で、『アーリア人』という呼び名が使われるようになったんだ」


「歴史上、アーリア人という集団は実際にいたの?」


「いや、もともと言語学上の概念だった言葉を、人種論の領域に移し替えて考えられた架空の概念だと言ってもいいんだよ……ただ、ヨーロッパ人にとっては都合が良い学説だったんだ。なんたってアーリア人は『諸文明の祖』と考えられていたからね」


「ヨーロッパ人の文明が古代から先進的だったことになるもんね」


「そうだよ。さらに二〇世紀に入ると、アーリア人の中でもゲルマン民族こそが最も優秀な民族であるという主張が、主にドイツでなされるようになったんだ」


「なぜ、ゲルマン民族だけ? 理由は?」


と、短い質問を発するユキ。


 それにソラが、


「金髪、碧眼へきがん、高貴で勇敢、勤勉で誠実、健康で強靭きょうじんというアーリア人種のイメージは彼らの理想像となり、ドイツ民族こそがアーリア人種の理想を体現する民族であり、ドイツ的な『精神』が『アーリア人』のあかしとみなされたんだ。アーリア民族は世界一優秀、だってね」


と言うと、ユキは、


「あ~、なんか、マンガの登場人物も似たようなことを口走っていたような気がする……」


と、どうでもいいことを思いだす。


 ──荒木飛呂彦作『ジョジョの奇妙な冒険』第二部の登場人物、ルドル・フォン・シュトロハイムのことを指すと考えられる。ちなみに、二〇三五年現在、連載が続いているかは不明。


「なんか、アーリア人がどんどん理想化されていったみたい。最初はインド‐ヨーロッパ祖語を喋る人たち、というだけだったのに」


「そうだね。おそらく一九世紀のドイツ統一後、ドイツの国力の伸張と相まったドイツ人の自信とうぬぼれが、こうした考え方が広まっていった原因だと思うんだ」


と言うと、ソラはやれやれといったような顔をした。


「ヒトラーはその著『我が闘争』の中で世界の人種を三種類に分け、最上位がアーリア人種で、その中でも雑種化していない純粋民族であるゲルマン民族が最も上等であるとしたんだ。そこでは、アーリア人種、ゲルマン民族は世界で唯一、文化を創造する能力を持つとし『文化創造者』と呼ばれ、一方、ユダヤ人はこの対極にあるものとして『文化破壊者』とされたんだよ。ナチスにとってユダヤ人は最大の敵と見なされたんだけど、他の民族、たとえばロマ(ジプシー)、身体障害者、ポーランド人、ソ連軍の捕虜なども迫害や監禁、絶滅の対象となったんだ。さらに、政治犯や同性愛者なども『反社会的』な人々として、弾圧したんだよ」


と、ソラは近代史にも強いところを披露した。


「私、ナチスに関心なんて無いんだけどさぁ……」


と、ユキが言って続けた。


「私の持っている漠然としたイメージだと、ローマ帝国を滅ぼしたのは『ゲルマン民族の大移動』でしょ? 要するに、当時のローマ人から見たらゲルマン民族って、野蛮人なんじゃないの?」


「そのあたりは、屁理屈をつけて説明してると思うよ……でも、もちろん第二次大戦後は、言語学を初めとする各分野から科学的な反証が行なわれ、この学説自体が信憑性を失って、もう『疑似科学』扱いだよ」


「だから、ドイツ人のことをアーリア人なんて呼び方は教科書にも出てこないよね」


「現在、アーリア人はインドに移住してきたインド‐アーリア人と、イランに移住してきたイラン‐アーリア人だけを指す場合が多いよ」


「それにしても、またナチスが絡んでるんだね」


「うん。ナチスは自分たちの主張に都合のいい学説を結構利用しているところがあるよ。ヒトラーもオカルト関係の本をよく読んでたそうだし」


と言って、ソラは言葉を続けた。


「それでね、西洋ではアーリア人よりも古い時代の話も作られた。何だと思う?」


「え~っ? 何だろう?」


「聞けば知ってると思うよ。ユキちゃんなら」


「それって、どういう意味?」


「いや、その方面に造詣ぞうけいの深いユキちゃんならわかるだろう、って意味だよ」


「その方面、ってどういう意味よ?」


「いや、オカルト関連に滅法めっぽう強いでしょ?」


「ソラ君ほどじゃないわ」


「僕は、オカルトを否定する側だよ」


と言って、ソラは笑った。


「私だって……何でも信じてるわけじゃないって、前にも言ったでしょ」


「少しは信じてる?」


「って言うか、『そうだったら面白いな』って思うだけ」


「確かに面白い話もあるかもしれないけど、危険な場合もあるよ」


「危険? たとえば?」


「人種差別主義につながるって」


「あっ、そうか」


「河村先生も言ってたでしょ。『先人の努力を評価していない』って……ところで、さっきの話。アーリア人よりもさらに古い時代、世界の全ての古代文明の起源の話って、何だと思う?」

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