第19話 差別意識の投影

ユキもだんだん、ソラのもの言いの特徴に慣れてきたのか、


「あ、なに、ソラ君、得意のオカルト批判?」


と、言った。


「そうさ、あのね、結局、『古代文明は宇宙人の力で建設された』とかいうオカルト学説は、ヨーロッパ人の非ヨーロッパ人に対する差別意識に基づいている、って言われているんだよ」


「えっ、それ、どういうこと? 宇宙人を持ち出すことは差別だということ?」


「まあ、そう言ってもいいかな」


「え~、理由がわからないよ」


 ユキのがっかりしたというような声を聞き、ソラは少し間を置いて、ゆっくりと話し始めた。


「一九世紀から二〇世紀にかけてのヨーロッパ人にとって、古代ギリシャ・ローマに始まった西洋文明と、近代の産業革命を経て確立した近代科学こそが、人類にとって唯一の普遍的な文明なのだという意識が強かったわけ」


「なるほど。それはわかるわ」


「だから、ヨーロッパ人の理解が及ばない文化や文明は、その存在自体が怪しげに映ったんじゃないかな。結局、古代ギリシャの壮麗な神殿が作られるより何千年も早く、砂漠の真ん中にあんな巨大建造物を造ることができるような文明が存在したということを、心のどこかで認めたくないんじゃないか、っていうことなんだよ」


「つまり、ヨーロッパ人以外に高度な文明は作れるわけがないのだから、他の地域の文明は、人類じゃなくて宇宙人が関わったとでも言って、納得したいということね」


「そうそう、そういうこと」


「なんか嫌だなぁ、そういう考え方」


 ユキは本心でそう思った。だって、いかにもヨーロッパ人だけが偉いというようなものの考え方だと思ったからだ。


「独善的だよね。でも、ヨーロッパ人中心の考え方というのは、わりと根深いものがあると思うんだ。近年ではマーティン・バナールって人が書いた『黒いアテナ』って本があってね」


「アテナって、ギリシア神話に出てくる女神の名前ね。それくらいは知ってるわ」


「そうそう。で、あのさ、古代ギリシアの大理石なんかで造られた彫刻って、何色だったと思う?」


「えっ、そんなこと……白じゃないの?」


「それがね、この本の著者の説だと黒く塗られていたっていうんだよ。つまり、神様の肌は白くない、むしろアフリカ起源かも、って」


「え~、それホント? ギリシアの神様って、白人じゃないの?」


「それは違う、っていうのが著者の説。しかも、これは神様だけの問題じゃないんだよ。わかる?」


「あ、そうか。その神様をあがめている人間の問題だもんね」


「その通りだよ。だいたい、古代ギリシア人とかローマ人って、見た目どんな人を想像する?」


「え~と、眼が青くて、金髪で……」


「ほら、でも、その姿は、ドイツとか北欧とかのゲルマン民族のイメージだから。ヨーロッパでも地中海側の人って、今でも、髪の毛や肌の色は日本人に近いくらいだよ。……要するに、古代ギリシア文明は、今、我々が想像している以上に、アジアやアフリカの文明の影響を受けていたのかもしれない、という話」


「すご~い、何か、面白そう」


「でも、この説は欧米の学会ではトンデモ学説として黙殺されているそうだよ」


「あ、そうか。自分たちの祖先の文化がアフリカの影響を受けていたって認めたくないんだ」


「そうだよ。バナールの説は、白人は黒人より知的で優れていると思い込みたい人々にとっては、絶対に受け入れられないものじゃないか」


「何とか事実を認めたくないのね」


「彼らはこう考えた。『知能に劣り、怠け者である黒人たちに、輝かしい文明が作れるわけがない。誰かに教えてもらったに決まっている。それは誰か。失われた超古代の文明か、宇宙人か。とにかく人間ではない。なぜならば、人間の中で最も優れているのは、自分たちの祖先であるギリシア・ローマの人々だからだ』って」


 そこでソラは一呼吸置いた。


「でもさ、そんなこと言っても、どうしようもないことがあってさ」


「なに、なに?」


「人類の起源。人類の祖先はアフリカで進化して、そこから世界に広がっていったということ」


「あ、それ世界史の一番最初に習ったわね。グレートジャーニーって、呼ばれているんだっけ」


「ところがさ、ごく最近、欧米で『人類はヨーロッパで進化した』っていう説が出てきたんだよ」


「え~、そうなの?」


「確かに学問的にはそういう説も成り立つかも知れないけど、何とかしてヨーロッパで人類が進化したという証拠を出したいという願望があるんじゃないかな。僕なんか、ヨーロッパ人の──もちろん全員とは言わないけど──なんかそう言いたい自己中心的な動機があるんじゃないか、って勘ぐってしまうんだけど」


 そう言うソラを真正面から見つめながら、ユキは真面目な顔をして口を開いた。


「ねえ、ソラ君」


「なに?」


「私、今まで歴史って、誰が見ても客観的なものがすでに決まっていて、それを覚えればいいって、思ってたの」


「そうなの?」


「でも、今までのソラ君の話を聞いてたら、何か、違うのね。人は今までずっと、歴史をなんとか自分の都合のいいように解釈しようとしてきたみたい」


「うん、話はいきなり二〇世紀まで飛ぶんだけど、ユキちゃんはこの前のナチスの話、覚えてるでしょ?」


「うん」


「ヒトラーの率いるナチスはドイツ人、ゲルマン民族こそが世界一優秀であるがゆえに、世界を支配する権利があると唱えた。それって、ヨーロッパ人中心主義を極端に煮詰めていったら、出てきてもおかしくない発想だと思うよ」


「確かに~」


「だいたいさ、ある民族が優秀だということは、逆に他の民族は優秀じゃない、ということになるでしょ? でも、人間の能力って、そんなふうに民族の違いで測れると思う?」


「私、専門的な知識は無いけど、そんなこと言えないと思うよ」


「でしょ、確かに、ナチスは当時の不況を背景にして、『ドイツ人は優秀である!』、そして逆に『悪いのは全部ユダヤ人のせい』って感じで、国民をあおったんだよね。不況で自分の生活の維持に不安を抱き、自信をなくしていた人たちは、強い調子で何度も同じことを言われると、それを信じてしまう。でも、その根底には、それを受け入れることのできる、ヨーロッパ人の自己中心的なものの考え方とユダヤ人に対する差別意識があったと思うんだよ」


「ソラ君、なんかすごい! ますます見直したわ。世界史は」


「世界史は、は余計だよ」


「あっ!」


 ユキはいきなり、悲鳴とも奇声ともつかない声を上げた。


「どうしたの?」


「あそこ!」


と、ユキはある方向を指差した。


「なに、なに?」


 ソラの視線が移動する。


ゴキブリだ~っ!」


 ユキは叫ぶなり、自分のノートを丸めてゴキブリを何度もガンガンと叩きつぶし、何枚か重ねのナプキンでくるんでポイとゴミ箱へ捨てた。ソラはその様子を見て、少し引くような仕草をした。


「あ~」


と、ソラが少し情けない声を上げた。


「あ~、もう嫌、信じられない。あんなのここで見たくない!」


「そんなに嫌いなの? ゴキブリ」


「うん、一緒にいたくない。てか、生理的に無理! ゴキブリはこの世から絶滅してもかまわない。というか、絶滅させるべき。私が許す」


 ユキはまくしたてた。


 ユキの大声を聞きつけたのだろう。また、あの店員が顔を出した。


「お客様、どうかなさいましたか?」


ソラは何か言おうとするユキを右手で制して、


「いえ、なんでもありません。大丈夫です」

と言った。


「何よ、ソラ君、私、お店に抗議して、慰謝料を取りたい気分だわ」


「ユキちゃん、それはいくら何でも大げさだよ。あれくらい仕方がないよ」


 と言いながら、ソラは手にしたスマホで時刻を見た。


「ああ、もうこんな時間だ。帰ろうか?」


「待って、私、その前にちょっと手を洗ってくるわ。直接、触ってないけど、何か嫌だもんね」


と言って、ユキはトイレに立った。


 ソラは一瞬、困ったような顔をしたが、ほんの一瞬だったので、ユキは気がつかなかった。


 ソラが二階を見わたすと、あまり客は入っていない。


 スマホを見たら、もう六時前だ。


 隅の席の方で、作業服っぽい服を着て、ちょび髭を生やした体格のよさげな中年男が一人、むさぼるようにハンバーガーセットを食べていた。

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