第17話 誤差

 まだ若い。大学生のアルバイトか?


 でも、たいして化粧っ気も無く、度の強そうな黒縁眼鏡と短めでクセの強い髪の毛が相まって、良く言えば素朴、悪く言えばダサさをその雰囲気からかもし出している。


 まあ、不潔というわけではないし、田舎のファーストフード店のアルバイト店員なら許されるレベルだろうか。


 その店員は二人の座っているテーブルの横で、二人の方ではなくわざわざ通路の突き当たりの壁の方を見ながら無表情に言った。


「古代エジプト時代に建てられたとされるピラミッド。その異様なたたずまいは、本当に人間の力だけで建てたのかと疑ってしまうほど、実に見事なものです。もっとも、神や宇宙人が建造を手伝ったのでは? と、考える人もあるようですが」


「えっ?」


と、一瞬驚くユキ。ソラはソラで、


「あの店員さん、もしかして歴女でさ、僕たちの話に入りたいのかもね」


と、さして気にするふうでもない。


 ユキが見る限り、どうもソラは理屈をこねる時はやたら細かいが、対人関係に関しては普段からおおらかというか、あまり細かいことを気にしない性格らしい。


 それに釣られてユキも、


「ふふ、そうかもね」


と軽く受け流すことにした。


「とにかく、クフ王が建設したとされるギザの大ピラミッドも、そんな方法で建造し

たとされているんだ。それに、採石場の隣にピラミッドを造ることで、より効率よく石を運べたようだよ」


「昔の人も、いろいろ考えたんだね」


と、ユキ。その上で続けた。


「そうだ、ソラ君、こんな話、知ってる? この前、河村先生は『好きじゃない』って言ってたけど、店員さんが言うように、ピラミッドは宇宙人が造ったんじゃないか、って話よ」


「えっ、さっき人間が工夫して造った、って言ったでしょ。ピラミッドは古代エジプト人が造ったものなんだよ」


と、ソラはちょっとムッとしたように強調した。


「それはわかるわ。でもね、そもそも、数学や建築学が未発達だった時代に、どうやって、あんな巨大で精巧な建造物が作れたのか。現代の土木建築技術でも、ちょっと無理なんじゃないか、とか思わない?」


 ところが、ソラは、


「ははは、そんなわけ、ないよ。あのね、ピラミッドって、意外と雑なつくりなんだよ」


と、こともなげに言った。


 ピラミッドは雑なつくり? これにはユキの方がビックリした。


「え~っ、どういうこと?」


 ソラは子どもを諭すような口調で言った。


「あのね、ピラミッドが精巧に造られていると言うけど、どの程度の精度なのかわかってる?」


「以前、テレビで見た○曜スペシャルだったかな……」


「あ~、『ピラミッドの謎』とかいう番組?」


「そうそう。それでね、ピラミッドの四隅は正確に東西南北を指しているんだけど、一辺三三〇メートルに対して、誤差が三センチメートル程度しかないって」


「それって、大げさな口調のレポーターが、何かにつけてオカルト的な解釈をしてた番組でしょ。その時も、さも誤差が少ない、正確だと言ってたわけでしょ?」


と、ソラは笑みを浮かべて言った。


 ユキはちょっと意外な気がして、


「それって、すごい正確なんじゃないの?」


と聞き返す。


 でも、ソラの言葉は意外なものだった。


「全然」


と言って、ソラはユキの眼を見ながらゆっくりと説明を始めた。


「いいかい。三三〇メートル進む間に三センチメートルもずれてしまう程度の科学力では、遠い星から地球まで絶対たどり着けないよ。考えてもごらんよ、一〇〇メートル進むごとに一センチメートルくらいの誤差があるんだよ。誤差は一万分の一でしょ。たとえば、地球から月までだって、いったいどれだけあると思う?」


「ええっと……約三八万四四〇〇キロメートル」


と、大げさに天井を仰いで答えるユキ。


「すごいね、ユキちゃん」


と、ソラは褒める。


「普通の高校生でも、なかなかすぐには出てこないよ」


 ユキは、


「それくらい覚えてるよ。天文同好会だもん」


と、すました顔だ。


 すると、さっきの店員がまたユキたちのところへ、つかつかと歩み寄ってきて、今度はユキの耳元で語りかけた。


「じゃあ、地球から月までの距離を約三八万キロメートルとしましょう。それだけ進んだら、三八キロメートルの誤差ね。ここ亀島から、そうねえ──松阪くらいまでの距離ね。月から出発して亀島に着陸するつもりが松阪に着陸してしまった、というくらいの誤差よ」


「そう聞くと、たいした誤差でもないような気がするけど……」


と、ユキはつい普通に返してしまう。


 すると店員は待っていたかのように話し出した。


「いいえ。仮に地球から一〇〇光年離れた星から地球を目指したとしましょうか……光が一年かかって進む距離が一光年、約九兆五〇〇〇億キロメートルね。一〇〇光年は約九五〇兆キロメートルですから、誤差はその一万分の一として、約九五〇億キロメートルね。太陽系の一番外側の惑星である海王星でも太陽からの距離は約四五億キロメートルですから、地球を目指した宇宙船は海王星の軌道を大きく外れ、宇宙の中で迷子になることでしょう」


 店員はこれだけ言うと、さっさと過ぎ去った。ユキは我に返ると、声も少し大きくなる。


「……って、また、さっきの店員さん?」


「よっぽど、僕たちの話に入りたいんだよ……とにかく、そんなレベルじゃあ、とても目的地まで行けないよ。つまり、ピラミッドの建造に宇宙人は手を貸していない。なぜなら、そんな程度の科学力の宇宙人では、遠い星から絶対に地球に来れないからさ」


「なるほど、そうか~、数字で具体的に考えればいいんだ」


 ソラの説明に、ユキは本心からそう思った。


 ──太古の昔、地球外生命体が地球を訪れ人類の祖先と接触を持ったというような「古代宇宙飛行士説」を唱えているのは、スイスの作家エーリッヒ・フォン・デニケンである。彼は、その著書『未来の記憶』(一九六八年)で、ギザの大ピラミッドに関する多くの疑問を提出した。すなわち、


 1 古代エジプト人は実際はピラミッドを建てるために必要と考えられる道具を持っていなかった。


 2 彼らが労働者として現場で働いていた証拠が無い。


 3 正確な位置にピラミッドを建築するために必要な天文学と地理学に関するあまりにも詳しすぎる知識がある。


ということである。


 しかし、現在そのいずれの疑問も以下のように説明されている。


 1 当時の採石場跡に残されていた道具の多くは現在、博物館に保存されている。


 2 労働者が作業現場近くに居住した跡も発掘され、その中には製パン所、下水道、墓地などまである。また、いくつかの遺骨の中には治療の跡が見られ、彼らは当時としては十分な生活を保障されていたことがうかがわれる。


 3 古代エジプト人は、農業の必要上(おそらくはメソポタミアの影響も受け)、星の運行の知識は豊富だった。


 以上の理由から、古代エジプト人はピラミッドの造営に関して宇宙人の力を必要としなかったと考えられるのである。


 しかし、現在に至るまでデニケンのように「ピラミッドは宇宙人が造った」と主張する人は跡を絶たない。なにしろ、陰謀論者に人気のテーマなのだ。


 ──二〇二〇年、アメリカの宇宙開発企業スペースXの創業者イーロン・マスク氏も「エジプトのピラミッドは宇宙人が建てたもの」と、ツイッターに投稿し、波紋を広げた。

 これを受け、エジプト政府はイーロン・マスク氏をエジプトに招待すると表明。ピラミッドを訪れるよう呼びかけた。エジプトのラニア・マシャート国際協力相は自ら、「ピラミッドの建造方法について書かれた書物や、ピラミッド建設作業員たちの墓を確認することができるよう、あなたとスペースXを招待する」「マスク氏、あなたをお待ちしている」とツイート、「世界の七不思議」の一つに挙げられるピラミッドを、自分の目で確かめるよう促した。


 人類を火星に送り出している企業の創業者ですら、そういった発言をする。それほど、このテーマが人に与えている影響は、根が深いものなのである。

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