第16話 ピラミッドの造り方

 六月末。


 むしむしする。もう梅雨も末期だ。


 近年の温暖化のせいか、最高気温はすでに連日三五℃を超える猛暑日が続いている。


 汗が身体と服にまとわりつく感じがして、気持ちが悪い。


 定期考査一週間前からは「試験期間」と称して、部活動は原則行われていない。試験勉強に専念せよというわけだ。


 学校の帰り、国道三〇六号沿いにある、ハンバーガーチェーン店の三〇六亀島店。


 二階の片隅のテーブル席でユキはソラに試験範囲である古代エジプト文明について、要点を説明してもらっている。


 客はそんなに入っていないので、少々勉強していても何も言われないだろう。


 だいたい、世界史は覚えることが多いので、授業の時間だけでは覚えきれない。かといってユキ一人では何が重要なのかどうかも判断しづらい。


 放課後に河村先生にわざわざ質問に行くほどでもない。というか、


「山口さん、それは授業中に言ったよね?」


と言われるかと思うと、恥ずかしいのだ。


 結局、身近なところで、ソラの要点をまとめた話を聞くことが、ユキにとっては「効率が良い」試験勉強ということになるのだった。


 ソラが嫌な顔ひとつせずに、ユキの頼みを聞いてくれるのが幸いだった。


 店にしてみれば、シェイク一杯で一時間以上も粘られるのだから、嫌な客なのだろうが。


 ──古代エジプト文明は、ナイル川の定期的氾濫による肥沃な土地という恵みを受けて形成された。下エジプト(ナイル川下流の大三角州地帯)の古代エジプト人は、メソポタミア文明の影響をうけて前五〇〇〇年頃から潅漑農業による農耕文明に入り、ノモスという小国家の分立を経て、前三〇〇〇年頃にはノモスを統一してエジプト古王国を成立させた。


 農耕文明の開始はメソポタミア文明より遅かったが、統一国家の形成はそれより早い時期であった。古王国の時代に青銅器の使用、文字(ヒエログリフ)、ピラミッドなどの特徴のあるエジプト文明が繁栄した。


 エジプト王国はその後、中王国、新王国と推移し、前三三二年までに三一の王朝が興亡した。ここまでが古代エジプト文明と言うことができる。


「あっ、ユキちゃん、ここのアマルナ革命のとこ、大事だよ」


 ──新王国の前一四世紀、アメンホテプ四世は従来信仰されてきたアメン神に替わるアトン神を創出し、その信仰を国民に強制した。そして、自らイクナートンと改名し、都もテーベからテル=エル=アマルナに移した。この時期には、伝統的な文化にとらわれない特異なアマルナ美術も産み出された。これらの一連の変化をアマルナ革命という。

 しかし、アメンホテプ四世の死後はテーベの神官の勢力が復活し、新王ツタンカーメン王は即位するとアメン神信仰を復活させ、都もテーベに戻したため、この改革は定着せずに終わった。


「あっ、あと、カデシュの戦いのところかな。河村先生、ヒッタイトのところの授業でも触れてたよね」


と、ユキはソラに念を押されたが、あいにくその時、ユキは夢見心地だったからか、どうにも記憶が薄い。


 ──第一九王朝のラムセス二世の時代は、新王国は態勢を立て直して国力を回復し、西アジア(シリア)方面に積極的な進出を図った。その頃、西アジアでは小アジアから進出したヒッタイトが優勢であったが、ラムセス二世は前一二八六年、カデシュの戦いでヒッタイトを破ったと、エジプト側の碑文は伝えている(ヒッタイト側の記録とは逆である)。


「へ~ぇ、同じことの記録が逆なんだ。それって面白いなぁ……ソラ君、ありがとう。なんか頭の中が少しは整理された気がする……それにしても私には無理だ~」


「えっ、なんで?」


「とにかく、世界史は覚えることが多すぎる。期末の試験範囲、エジプト文明とインダス文明と中国文明の後漢滅亡までって、全部まとめて何千年分もあるじゃない」


「歴史は流れで覚えたらいいんだよ。『暗記科目じゃない』ってことは、河村先生も言ってたんじゃなかったっけ」


「そんなこと言ったって……ソラ君、あんたの頭の中には歴史年表が入ってるの? ああ、あんたの頭、こじ開けて年表盗み出したいわ」


と言いながら、ユキはドライバーでネジを回す動作をする。


「そんなこわいこと言わないでよ」


 ソラは手を振って大げさに怖がる仕草をする。


「それとね」


「何? まだ何かあるの?」


「世界史の教科書を読んでると、余計なことを考えてしまう」


「へぇ、たとえば、どんなこと?」


「たとえば、ピラミッドの写真を見ていると、『どんな方法で作ったんだろう?』とか、『作っている時に、王様や動員された人々はどんな会話をしていたんだろう?』とか、『戦争の捕虜とかも動員されてたんかな? だとしたら、どんなことを考えていたんだろう?』とか、いろいろ余計なことを考えてしまって、肝心なことが覚わらないのよ」


 そこまで聞くと、ソラはまた白い歯を見せて笑った。


「ははは、ユキちゃん、そんなこと考えてたの?」


「なに、やっぱりおかしい?」


「全然、僕だって考えるし」


「えっ、嘘っ、ホント?」


 思っても見なかったソラの発言に、ユキは思わず身を乗りだす。


「でもね、その答はある程度はわかっているというか、推測されているんだよ」


「えっ、そうなの?」


「本当だよ。まず、どんな方法で作ったのか、ということだけど、授業中に河村先生

も言ってたでしょ。六〇トンの石だって、地盤を固めレールを敷き丸太で転がせば動くし、長い坂道を造り滑車を使えば坂道を使って石を上げることもできる。それに、今と違って人海戦術で工事を進められるしね」


「それだけで、本当にあんな大きなピラミッドを造ることができるのかなぁ?」


と、ユキはどうもに落ちないようだ。


「古代だろうが、中世だろうが、世界中に巨石を使った遺構いこうはあるじゃない……近世の大坂城とか姫路城とかだって、数十トンの石がいっぱいあるよ。もちろん、あれだって人力で積んだものでしょ」


「あっ、そうか」


 お城の石垣も、巨石を使った遺構か。


「現代だって、石の切り出しは人力でくさびを打ってやってるよ。信じられないと言うなら、それこそ日本のあちこちにある城は宇宙人が造ったとでも言うのかな?」


と、ソラはまた笑って言った。


「だいたい、『どうやって造ったのかわからない』とは言っても、当時のテクノロジーと道具だけで造れることはわかってるよ」


「ふうん、そうなんだ」


「て、ユキちゃん、河村先生の話、聴いてなかったの?」


「てか、あの先生、蘊蓄うんちくが多すぎて、何が大事で何が大事じゃないか、今いちわからないし」


「先生のせいなの?」


と、言ってソラは笑った。


 でも、ソラはすぐ真顔になって言った。


「この前、河村先生の話を聴いたでしょ……僕、あの時、感動した一方で、だましたと思うと、ちょっと後悔もしたんだ。河村先生、真面目に相手をしてくれたのに」


「うん、なんか、河村先生かわいそうって言うのも変だけど、人生思った通りにはいかないのかなぁ、って思ったよ」


 ユキの声も少ししんみりする。


「大人ってさぁ……普段、他人には言わない、言えない葛藤を心にいっぱい抱えているのかなぁ」


 そう言うユキを、ソラは黙って見つめているだけだ。


 この時、ふとユキは父母のことを考えていた。


 ちょっと間を置いて、暗い雰囲気を払おうとするように、ソラが言った。


「そうそう、ピラミッドの話なんだけど」


「うん」


「まあ、意外と人間って、あるもので工夫するものなんだよ。人類の歴史って、そういう簡単な工夫の繰り返しで、とうとう高度な文明を作り上げたって。そう考えると、かえって面白くない? けっして『完成されたもの』を誰かから与えられたんじゃないんだよ」


 と、二人の座っているテーブルに、この店の女性店員が近づいてきた。

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